「No.10」になれなかった僕へ
色々書き始める前に、こんにちは、はまーです。
この文章は、私の親友二人との共同企画の一環として書く文章で在り、何処までも自分の事しか話さない文章であることを先に明記しておきます。
#SUKI_for_Aqours
はじめに
何故この文章を書くのだろう。
最初は「想いよひとつになれ」という楽曲について、いつもの様に「Aqours学」と銘打って解説するつもりだった。
でも、はりとスパボの文章を読んで、どうしようもなく、「イマ」の気持ちを残したくなってしまった。
この文章は、「どうにもならなかった事」の話。
どうしようもない、「ぜったい消えない」後悔だ。
高海千歌の「0」と同じように、いつまでたっても、俺の人生を蝕んでいる。
高海千歌は乗り越えたのに、俺は乗り越えられない。
そんな、どうしようもない話。
でもさ、どうしようもないからこそ、俺と同じように、苦しんでいる人に届いてほしい。
今の他のファンの人たちすげぇよな。分かる。
みんな、Aqoursの東京ドームに向けて、熱量が頭打ちでさ。
正しく、テンションMAXで。
純粋に「楽しい!」っていう気持ちだけで、俺らも、迎えたいよな。
でもさ、「東京ドーム」っていう言葉を聞くたびに、傷つく人たちもいるんだよ、「今は」。
実際に、ここに一人。
未だ過去に苛まれてる奴が一人、居る。
軽々しく、「気持ちが分かる」、なんて言わない。俺も言われたら反吐が出るから。
伝えたいことがあるんだ。綺麗ごとかもしれないけど、さ。
俺の話を聴いて、どうにかなる、っていう保証はできないけどさ。
何か変わるかもしれない。
こう言ってるけど、俺自身も、この話をして、何かを変えてみたいんだよ。
この気持ちに、向き合う覚悟をしたんだよ。
だから、少しだけ、こっちに来て、一緒に悩みながら、前に進む準備をしよう。
一歩一歩、歩み続けた、彼女たちの様に。
4th LIVEと「想いよひとつになれ」と「No.10」
初めての現地は、この前の「ラブライブ!サンシャイン!! Aqours EXTRA LoveLive! ~DREAMY CONCERT 2021~」。それはつまり、私はそれまで全てのLIVEを現地で見た事ないことを意味する。
確かに、1st DAY2のLVから始まった私は、2ndまでは全部LVで見れた。
受験があるから、3rdは諦めれた。
その一年後ぐらいに4th LIVEがあると思ってた。
でも、実際は5か月後で。
そこで披露された曲は、私のとってどこまでも大切な「想いよひとつになれ」という曲で。
やっと9人という「当たり前」を迎えれた彼女を見れなくて。
行き場のない無力感と悲しみが、ずっと、私の人生を覆っていた。
それは今でも、消えない。
「No.10」。
2nd LIVEの時の事だ。「太陽を追いかけろ!」を、LV会場で無邪気に「10!」ってコールを打っていた私は、それが如何に特別な事か、気づいていなかった。
「ここにいる」みんなが「10人目」。
じゃあ、「ここにはいない」俺は?
そう、「10人目」じゃなかった。
今なら言えるが、「『10人目』だと思えなかった」、という表現が正確かもしれないし、読み手にとっては優しい言葉だと思うが、敢えてこの表現を使わせて頂く。
私にとって、自分が「10人目」、「No.10」ではないことは、どこまでも「紛れもない事実」として、ずっと刻まれていたのだから。
そして、「ここ」という言葉はどこまでも自分を、呪いの様に追いかけてきた。
全部、全部、ぜんぶ!
俺は、何処にも、居なかった。
それが悔しくて、何よりも情けなくて、逃げ出したくて、でも逃げれなくて。
勉強して、落ちて、5thも行けなくて、どうしたらいいか分からなくなって。
気が付いてたら、壊れていた。
LIVEなんて、どうでもいいって思ってた。
何故なら、どれだけ頑張ってもLIVEに行けないから。
でも、諦めきれず、ずるずると斜に構えて、Aqoursを追い続けていたのが、浪人期の私だった。
降幡さんが「10人目のみなさん」っていう言葉を使ってくださるたびに、どうしようもなく、そこに自分が含まれていない気がして。
そう思ってしまう自分が本当に嫌で、申し訳なくて。
何かを解釈して、自分の人生をAqoursと絡めて他人に話をして、粋がっているように見せて、その実際は、現地の経験もなく、見たこともない、Blu-rayや他人の話から受け取ったものを、全部妄想で語っている中身のない空虚な存在。
それが私、「虚飾」という言葉が一番お似合いな存在だ。
転機と「DREAMY CONCERT」
「LIVEなんてどうでもいい」という風に、斜に構えていた私を殴ったのが、逢田梨香子さんのソロアーティストとしてのLIVE TOURである「Curtain raise」というLIVEだ。
そこから、世界が色づいたのだ。
でも、心を蝕む葛藤は少し軽くなっただけで、本質は何も解決していない。
そう思っていた私が、Aqoursを追いかけてきて六年目。
漸く、人生初めてのAqours現地を迎えた。
始まる前のぴあアリーナMM前の横断歩道で、信頼できる二人に支えられながら号泣して入場したのを、今でも覚えている。
初めてのLIVE、「何もない」、「0」の私にとっては、漸く「1」になれるはずだったLIVE。
でも、そうじゃなかった。
「何もない」と思ってたのに、あったんだ。
あったんだよ。
五曲目、「青空Jumping heart」のサイリウムの振り付けを、俺は知ってる。コールのタイミングだって、実際には打てないけど完璧で。
現地に行けなくても、ずっと心に残ってて。
その次の「Pops heartで踊るんだもん!」といえば、自分にとっては、何処までも大切な1st LIVEの事を思い出して。
全部全部、無かったと思ってたのに、心の中には、確かにあった。
「0」だと思ってたのに、「0」じゃなかった。
心の中には、「1」以上の、確かに、Aqoursと共に積み重ねてきた時間があった。
それが嬉しくて、嬉しくて。
ずっと、Aqoursから何かを受け取りたいって思ってたけど。
ずっと、Aqoursは自分に渡してくれてたんだなって。
それは、心の中に、「ぜったい消えない」ものとして、残ってたんだなって。
いまさら、わかった。
<WINDY STAGE>と「約束」
そこから、6th LIVEの<OCEAN STAGE>と<SUNNY STAGE>を迎えて、今回の<WINDY STAGE>。
自分にとっては、何処までも因縁しかない、「東京ドーム」という「約束」の地。
μ’sのfinalも部活故に行けなかった、何もかもを後悔している自分だからこそ、少しだけ、分かったことがある。
「なんどだって約束」。
この曲の本質は、「これまでしてきた約束」よりも、これから、文字通り「なんどだって約束」をすることだと考えている。
かといって、「これまでしてきた約束」が大きな意味を持つことは、間違いない。
じゃあ、俺とAqoursとの「約束」とは?
正直に答えるが、双方で交わした「約束」は、無い、「と思っている」。
仮にあったとしても、それに気づけるのは、今度の東京ドームという場でしか、不可能だ。
年末の私がそうだったように。
じゃあ、「約束」無しに、「約束の場所」へ向かうのか?
言い訳がましいが、私はそれでもいいと思ってる。
私と同じように、「直接の約束」が無かったとしても。
自分は、Aqoursと直接約束したことはない。
だから、「絶対にAqoursに逢う」って、「一方的な約束」をAqoursにした人間だ。
でも、その一方的な約束のお陰で、ここまで来れた。
だから、私と同じ立場の人たちに伝えたい。
一方的でもいいから、貴方もきっと、Aqoursと約束してるんだ、って。
「そう信じないと、辛い」という理由でもいい。
全部、Aqoursが東京ドームという場で教えてくれるから。
私達と、Aqoursの「してきた」約束を。
そして、「これからの」約束を。
私の推しである桜内梨子ちゃんは、「伝わってる」って伝えてくれた。
だから、「約束」が無いって、思っていても、信じてみようと思う。
だって、Aqoursは、信じてくれたから。
私にとっての「呪い」である「No.10」について、一つ気づいたことがある。
それは、「当たり前」かもしれないが、きっとAqoursにとって、私のような存在も「No.10」なんだろう、ということである。
これを疑うほど、Aqoursの事を知らないわけではないし、腐ってない。
結局、自分自身が、「No.10」という存在を、自身に当てはめて、認められないだけなのだ。
そんな時に思った。
きっと、これと同じなんだ、って。
後から、気づけることなんだ。
自分が、「No.10」だったんだ、って。
最後に
人のために書いたこの文章も、結局は全部俺のエゴで。
正直、綺麗事を書いても、今の自分が、「No.10」だとは、到底思えない。
だって、俺は4thの「ここ」にはいなかったから。
だから、東京ドームに行く。
「行けなかった時間にも、意味がある」から。
このことは、決して綺麗事だとは、思わない。
何故なら、「すべてに意味がある、見えないだけできっと」。
俺はAqoursの事を見えなくても、信じて、走ってきた。
やっと見えるようになって、今だから見える景色もあって。
大切な人も増えて。
だから、いい加減、4thから逃げるのを、辞めようと思う。
きっと、東京公演が終わった後は、馬鹿みたいに泣いて、笑顔で、認められると思うからさ。
俺が、「No.10」だって。
2022/06/22 19:46
「いまさらわかった」はまーより
追伸 2022/6/27 0:28
帰りの電車の中で
「10人目」になれたよ。
ありがとう、Aqours。信じさせてくれて、ありがとう。
P.S. この文章の終わりに、どれだけ私が覚悟を籠めたか。今なら分かると思います
Special thanks
はり、スパボ
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