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イノベーションの不確定性原理

イノベーションは、非連続的な変化であるという印象が強い。しかし、それはイノベーションを、外側から観察した印象であり、内側から眺めると、トライアンドエラーの繰り返しによって起こる、漸進的な変化であることを、我々は改めて認識する必要がある。

イノベーションとは、何か?



筆者らは、イノベーションをこう定義している

イノベーションとは産業革命を契機にして始まった人類社会の新たな進化のプロセスである

発明という観点では、火の発見、石器、車輪など、様々な発明がある。しかし、これらは、人々の生活を一変させることがなかった点から、イノベーションとはいえない。一方で、スマートフォンは、登場する前の生活に戻る想像が出来ないほど、社会構造を変えたという点において、大きなイノベーションであった。


イノベーションとは、どういう歩みなのか

さらに、イノベーションが起こる条件について着目すると、以下のように述べられている。

「イノベーションはある環境のなかでさまざまな変化が生じ、それが淘汰され淘汰を生き延びた結果が社会にいきわたることであり、それにより社会全体が大きく変化することである」

特に、私が本書で着目している表現として、さまざまな変化が生じて、淘汰され、それを生き延びた、という点である。本書の表現を借りるなら、

ライト兄弟が飛ばなくても誰かが飛んだ

のである。つまり、発明とは、非連続的なプロセスではなく、あくまで、一連の試行錯誤、トライアンドエラーの積み重ねでしか生まれない、連続的な変化であるので、一人の天才によってなされるものではないといえる。

何がイノベーションを可能とするのか?

上記の理論を進化論になぞらえるとより理解しやすい。生物の進化は、ランダムな変異の中で、外部環境の変化に対応した種が生き残った結果であると考えられている。ここで重要なのは、生命が未来を予測して、それに備えて変異するわけではなく、ただランダムな変異が起こるだけである という点である。
イノベーションについても同様のプロセスだと考えることができる。将来社会の予測は困難なので、とにかく沢山の振れ幅をもって、試行錯誤することが重要である。さらにいうなれば、そのような試行錯誤を積極的に許容できる、社会が必要であるという仮説が導かれる。
過去、イノベーションが起こった国を挙げるなら、イギリス、アメリカ、日本であろう。それらの社会には、試行錯誤を、許容できる状態であったのか、考えるに値する。

経済、政治、社会制度が整ったイギリスの産業革命

産業革命はまさしく社会構造を変えたイノベーションだったが、では、その産業革命が起こったイギリスは、当時どんな状況だったのか?
具体的には、以下の点があげられる。
専売条例 国内の発明であれば、国外の研究者にも対価と独占権を、あたえる。

立憲君主制 国王の権力も法に制限されるという、議会や国民の権利と自由を成文化した「権利章典」を定めた。

株式会社 1855年に有限責任法、1862年には会社法が制定され、近代的な株式会社制度が出来上がる。資金集めの方法も制定されていく。

以上、当時のイギリスには、個人が新しい試行錯誤を行うための、機会とインセンティブがあったと考えられる。


資本主義によるアメリカのイノベーション

イギリスのあとに、資本主義を用いて、創造的破壊を繰り返すことで、イノベーションを生み出し続けている国は、アメリカである。当時のアメリカには、以下の点が重要であったと考えられている。

特許法 特許を与えられるのが金持ちやエリートだけではなく、あらゆる境遇、あらゆる階層の人々に参加の権利があった。

起業の資金調達 金融業が急速に発展し、貸し手間の競争が、借り手の金利低下に繋がった。

アメリカ文化 伝統的に自由な精神とチャレンジスピリット、それを支える力強い資本主義のシステムと投資家の存在。

元々の自由な文化の上に、参加するモチベーションやハードルが下がることで、累積の探索回数が増え、現在でもイノベーションを起こし続けていると考えられる。

明治維新による近代化した日本

明治維新により、利益を吸い上げる制度から誰もが受け入れる包括的で開放的な制度に転換することで、明治から大正にかけ、多くの民間企業が創業し、経済が発展していった。

しかし、先に上げたイギリス、アメリカと異なり、日本の場合には、第二次世界大戦の敗北からの復興を成し遂げる目的があったため、国家主導、トップダウンで物事を進める体質が濃いことが大きな違いとして挙げられる。

現在、日本ではイノベーションを生み出そうと政府が色々なカタチでけん引しようとしているが、この国主導というやり方がそもそもイノベーションを生むためにはあまり効果がなく、むしろ参加者の行政への依存度を増すだけで、自由な試行錯誤を阻害さえしている可能性がある。
国がすべきことは、一歩引いて、多くのチャレンジャーを受け入れる環境づくりのみに注力するべきである。

日本におけるイノベーションの処方箋

 以上、繰り返しになるがイノベーションとは、試行錯誤の末に社会全体が大きく変化する、漸進的な営みであり、その実現においては、トライアンドエラーを奨励する社会的合意や制度が必要であることがわかった。特に、現状の日本においては、政府が強く介入することで、逆にそのトライアンドエラーの数が低下してしまっている可能性もあると言う状態である。

では、どうすれば日本全体として、イノベーションを生んでいけるのか?それは、トライアンドエラーを積み重ねていける環境をつくること、それ以外に現在の不確定な時代に解を出すことは出来ない。国においては、その環境づくりをしっかりすることであると、筆者は述べる。では、より具体的な組織、民間企業や大学においては、どのような取り組みが必要だろうか?


企業に求められるのはトライアンドエラーを推奨する文化

当然、民間企業内においても、トライアンドエラーの数が重要になってくる。しかし、今の企業では、、何かにつけて上司の承認を取らなければ新しいことに取り組めない、あるいは短期間で収益を出すことばかりが求められるという状態であり、つまりは、チャレジャーを選別することにより、累積の探索回数が低下して、結果としてイノベーションを起こすことは非常に難しいと考えられる。これらは、コロナ禍にて顕著に証明されてしまったが、アストラゼネカ(イギリス)とファイザー(アメリカ)から、コロナワクチンが開発され、日本でできないのは、トライするプレイヤーがいて、リスクを許容出来る土壌があった可能性は高い。
ただし手当たり次第にすればいいかというと、それもまた問題がある。事業のアップサイドとダウンサイドをしっかりと見極めることが大事で、特に企業内では、ダウンサイドの議論になりがちだが、アップサイドをしっかりと議論することが質の高いトライアンドエラーに繋がると考えられる。


所感

今の日本がなぜイノベーションが生まれてこないのか、そもそもイノベーションが出てきた条件はなんだったのか?本書はそのイノベーションの仕組みを理解することが主題であった。
イノベーションが生まれるのは、一人の天才や国の強力なリーダシップではなく、累積のトライアンドエラーの積み重ねだけでしか生み出せず、しかもそれを狙って行うことなど不可能である。企業内研究者として、常に試行錯誤していく気概、そのような文化を醸成する施策などを考えていきたい。











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