自由さとしきたり

人間は考える葦である

意思のはたらきは基本自由

考えると一口に言ってもなかなか漠然としていて自由にやっていられるようで実はほとんど真新しいことはやれてない。

方法が必要

もちろんコンテンツを埋め尽くすための素材?まあともかくモノの名前は憶えなきゃならない。

でもやっぱり方法の方が大事な気はする。

いや。やっぱり両方か。。。

実はもっと大事なものがあって、それは魂。

人間って考える以前に色々感じてしまうから。

無心といってもなかなかそういうわけにもいかないし。

多分無心を会得するのにも方法とかそれをカタチにするためのコンテンツは必要だし、そいつらを駆使するヤツがいるはず。

考えるということを考えるのに一つ便利なポイントがあって、それは、私たちは完全なる無を実は認識できない、ということ。

ないはあるの反対

必ず何かを認識している

何故そう理解すると考えがスムーズにいきやすいか?というと探せばなんか見つかると思えるから。つながりが期待される、とも言える。

もちろんいろんな名前を沢山知っていればいろんなものを見つけやすくはなる。けど。まず壁になるのが、なかなか覚えようという気も起らない、ということ(覚えようとしてもなかなか覚えられないという以前に)。

孤独とか孤立とかは心身にマイナスの影響を与えるけれど、実際は何かとつながっているので対処のしようはある。

「つながってない」と感じてしまうのは実はフィルターがかかっているからで、いろんなものが何から何までとある時点・地点での自分とは関係の無いものとして存在している(何もないわけではない)。

学ぶことの楽しさというのはある意味探偵物語にも似ている。

新しい事柄が憶えられたり、理解できたりするという感覚も学ぶモチベーションには重要だけれど、本当に大事なのは、憶えられた!理解できた!で得られる発見に似た感覚。

でも、知らなかったことを知る。理解できなかったことが理解できる。というのも、実はまっさらな何かだけではできていない。知らなかった時代、理解できなかった時代に積み重ねられたものが、それまでと違った形で関係性を持つことに気づいた、というケースの方が圧倒的に多いはず。

そう。学ぶというのは甚だ関係性に関わる行為。

関係性というのはモノとモノとのつながりというだけでなく、それがつながっているよと言えることで誰かを助けることができるかもしれない、というような関係性も含まれる。

探偵物語の探偵さんってなんか不思議な魅力あるじゃない??いろんなキャラがいるけども、なんとなくその他の登場人物たちとはモノの見え方が違うようになっている。なもんでクライマックス。アッと言わされちゃう。読者までもが。そういった魅力って、ものしりというか推理の仕方がかっこよく見えるとかもあるけれど、私はさらにヒューマンな魅力を感じる。(求める?)

単にとある事件を解決することだって、謎を解くことで「悪を暴く」以上の何かプラスの影響が暗示されている気がするし、人気の探偵さんって犯人に対してもわりとヒューマンに対応するし。何かこう、、、大事なものを抱え持っている感じがする。

そう。つながりに敏感になるというのは自他の境界線をとがったもんではなくてなめらかにしてくれる感じ。そんな心持ちで学びが駆動され続ければ世の中はもっと生きやすいものになりそうな気がする。

方法も名前もそんな学びの壁になるんではなくて、新たなつながり発見の楽しみの素みたいな感じで、あまり構え過ぎずにちょいちょいつまんでみるというのもよいのでは?特に方法というのは鍛錬・修練が必要なもんで、どうしても排他的になる(「そんなことはない」と言ってもね。基本動作とか覚えて自然に駆使できるようにならないと先に進めない、、、とかさ。。。)。「ちょいつまみでもいいのよ。このようにすれば。」という方法を私は探っているのだろうと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?