修正するための引き出し

何故大してうまくもならないのに毎日練習するのか?

おかしなことをしでかした時、次に向けて修正したい。けれどもそのネタというか材料が乏しいと、修正を成就させることは難しい。結果ズルズルと泥沼に引き込まれて1ラウンド終了~なんてことにもなる。多分修正するための引き出しを増やすためではないだろうか?

今年話題沸騰の渋野日向子選手の代名詞 #バウンスバック にも象徴される通り、切り替えというのは大事。引きずらないこと。ゴルフは18ホール続く。成功し続けようが大失敗を挟もうが。

しかしこの切り替えなるもの、決して精神力のみでは実践できない。冒頭述べたとおり。確かな技術的土台或いはバラエティがなければ、プレーを良い方向へ切り替えることは難しいだろう。

極端な単純化をおそれずに言うなら、ゴルフとは修正力のスポーツであるともいえよう。(というかスポーツ全般そうか???)

修正するためにはそもそも失敗の内容なり原因なりを特定できなければならない。それがラウンド中の出来事ならかなり迅速にかつ的確である必要がある。

ところが失敗の内容や原因なるもの中々分かるようで分からない。大失敗なんてことになれば相当衝撃はデカいのに、そんなあからさまな失敗の、何が失敗なのか?すらあやふやなことも珍しくない。

技術の向上というのも、そうした失敗内容や原因の特定能力アップとhand-in-handでもって実現されるのではないだろうか?

地味な練習の中でも一体何がどうおかしいのか?注意を向けながらやれるようにしたいものだ。

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