メモ(ベーシックインカム)
「生産性が低下している状況」がポイントかな???
「賃金」と「ベーシンクインカム」は入れ換え可能か???
「ベーシックインカム」と「最低賃金補償」は異なる。
「ベーシックインカム」は「労働に対する対価」ではない。
では何??
「空気」?「水」?(←ないと生きていけないもの)
生産性=成果物÷投入労働力
成果物も投入労働力もとりあえず金額で表される。けど。。。
カロリーで表すのはダメ???
理論上は可能だけれども。。。カロリー(生存に不可欠なエナジー)に直接は換算できないものの価値はどうする???
まあ。計算は理論上可能なんだから、せっせと頑張ればできるでしょう??
「ベーシックインカム」とは、お金とエナジーをリンクさせる(或は、生存に不可欠なエナジーの価値とそれとは比較的関係の薄い価値とを分離する)ための概念???
どんなアウトプット(食糧や食糧生産に必要なインプット(肥料・農薬とか種とか)、それらを製造するための機器を製作したり、動かすための材料・エネルギー(電気など)、運送、販売に必要なエネルギー、施設の建設、維持管理運営に必要な作業だけでなく、廃棄物処理作業、新聞・雑誌・書籍等作成・印刷・販売作業、教育・保健医療サービス、寺社仏閣の維持管理運営作業などなども)もカロリー(生存に不可欠なエナジー)に換算可能として、やっぱり必要なのは仕切りというか仕訳けかな???どれぐらい生存に不可欠なのか??とか。。。(なんかそういうの実際にやった文献とかないのだろうか???)
今のところ私が考えているのは、そういった専門知識を要する計算は適当な人々がやるとして、大多数の人々が、日々それほど意識しないでやっているはずの計算というか見通し作りの方法を、これまたあまり意識しないうちに変えていけるかどうか?ということ。
「変える」というのは具体的には、カネ見積もりで自らをがんじがらめにし過ぎないようにする、ということ。
極論すれば私の思い描いているユートピアというのはあくまでも一人一人の内面のお話で、別にベーシックインカムなんてなくてもいいんだろうな。。。ただ、内面のお話とはいえ、それって外の環境次第でかなり変わると思うので、有力なカンフル剤のようなものの一つとしてベーシックインカムなんてどう??という感じ。
「内面の話」というのはより具体的には、社会とか自然環境とかになるべく動じない心かな??
もっと「内面」性を強調すると、社会とか自然環境とかを語る前に、避けがたく様々動揺する自分の気持ち?感覚??それに伴う行動のパターンとかを分析する心?かな???
「深み」のある人物というのは、気づいた時には出来上がってしまっているので、あまりそうなるまでのプロセスって見えにくい。
内で巻き起こる感情・感覚、考え、それらが作用すると思われる行動の数々と、外との関係というのは様々バランスとりつつ生きていくのが人間だろう。
私が生きてきて気になるのは、外との関係、つまり、見栄とか体裁??ランク付けとか??そういうものの占める比重が大きすぎるのでは??ということ。
以前のノートのタイトルに入れた「うすのろ」というのは私自身や私のごく身近に育った人々のイメージ。
外のことが気にならないわけではないのだけれど、何と言うか。。。のろいのよね。。。行動するまでというか、表現?意見とか??が形になるまでが。。いや。めっちゃ多くのものが形にならずに過ぎ去っている感じ。外から見れば。(でも内面では記憶というか、、まあどっかに刻み込まれている)
本当の意味で謙虚なら、安易に行動なんてしないはず。だって、安易な行動ってプラスの影響よりマイナスの方が可能性高いじゃん???でも世は行動・表現の時代だ。
全然謙虚なんかじゃないよね。。ってことよりももっと大事なのが。。。
「安易」ではなくて「熟考した結果」なのかもしれないけれど、ともかく外の要請により行動した場合、「責任感」が生まれにくいと思うのよ。
そこ。
「うすのろ」でもいいな。私は。結局ご臨終って時に「ああ。色々一生懸命やってみたんだけども、、、世の中の要請ってやつ??あと受け入れられなかったのも世の中ってやつ??」なんて言うよりは、「ふへー。色々しんどかったけども。ここまで来れてよかったよかった。感謝します。いろいろどうもありがとう。」って言いたいからな。。。
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