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一人で生きてない

どうもこのごくごく当たり前の事実がよく理解されていないようだ。

まず第一に、いろいろ考える以前に私たちは全員誰一人例外なく、「一人で生きてない」を現に実践している。これを忘れてはいけない。なんぼ御託を並べてもいいけれども、必ずここには戻ってこなければならない。

あと、ブツブツ区切ったり仕切ったりして見るクセはできる限り抑止するように心掛けた方がいい。全て流れのまままるまる理解しようと努めること。区切ったり仕切ったりすれば楽に世界を理解できたような気になれるからね。自分勝手に広げ過ぎちゃうのよね。ついつい。

また、「一人で生きてない」を現に実践していると言った通り、私たちは観察され/しながら、影響し合いながら生きている。あらためて肝に銘じ直すべきは、「晒し晒されは常に同時進行」ということ。観察していると思っているまさにその有様も誰かに観察されている。そういう”観察の観察”によっても世界のモノゴトはチェンジし続ける。「便宜上」と言ってどれか一つだけの視点で見てみよう!というのはあまりおススメできない。

ここでハタと立ち止まって考えてもらいたいことがある。

私たちって何のためにそういう本当の私たちの生き方・やり方を理解した方がいいのだろうか?

私は社会科学の出身なので、主に私たちの暮らす社会のあれこれについて考え続けてはいるんだけれど、そもそも社会科学って誰のためにあるんだろう?ということを考える。

これまでのところ、あたかも社会科学者のためにあるような気がするのよね。

「ためにある」というかさ、「社会科学者が理解したい」。そのために為されている営みが社会科学という感じ。

社会科学に限った話じゃないんだけどさ、こと、生きてりゃその全員に関係ある事柄だからさ。一部の人が理解してるだけではあまりいいことは起こらなそうな気がするのよね。言うなれば私が何度か言及している「 #知識の民主化 」ね。全員がそれぞれよく知る。社会にまつわるアレコレはその方がいいんじゃないか?と。

具体的に知るべきことというと:

*個々人の行動と社会全体との調和/不調和(ざっくり)
*個々人の行動決定方法(決定のための情報収集・分析なども含む);
*様々な組織(国家や地方公共団体含む)の役割、意思決定の仕組み(組織枠組み、制度)など;
*上記に関わるルール全般(主にルールが作り上げられていく過程)。

これまでの正統的社会科学だとこれらをあたかも解剖していく感じになるんだけど、「一人で生きてない」を現に実践している私たち一人一人が、なるべく分解しないで全体でもって”よく知る”というのはどういうことか?

目標というか、目指すべきところというのは、

自分自身を知る。

「汝自身を知れ」とか言われる。それ。

目標と言ってしまったけれど、まあプロセスね。実際のところは。知ろうとするプロセス。ずっと知ろうとし続ける。「ずっと」のことなんで、やっぱり続けていくためには「方法」が大事。自分自身を知ろうとし続けるための方法。なるべく自然で楽なの。日常の対話・会話とか。

そういうこともあって、既に誰もが実践している「一人で生きてない」に戻ってくることが必要かつ有効なわけ。

自分自身を知るといっても、内面のことじゃないのよね。できるだけ他者・他物との関係のこと(上掲の項目)を知ろうと努める。

内面というか、個々の性質みたいなものはあくまでも他者・他物との関わり合い方をよりよく知るための材料。生まれつきの性質といったって、生きていくうちに他者・他物と関わることで変化・定着するもんもある。そういう変化・定着・変化…、が起こっていく自他の関係。

自他の関係性というのはほぼ常時動き続けているという前提なので、見逃しが沢山あるのも前提。「流れ全体丸々を理解するように」といっても、何一つ漏らさず完全に知り尽くすというようなイメージでは全くない。どちらかというと、漏れがあるからこそ気付いた時には自他の関係を探ることで、自身の居場所を確認する感じ。潜水艦のソナー?

私は社会のアレコレに興味があるといっても、今はもう一人一人がちょっとずつでも「よく知りたいなぁ」という気持ちで生きられるってのが一番いいんじゃないか?と思っている。「よく知りたいなぁ」ってのを抑圧したり叩き潰そうとしたりしない社会。どんどん励ますような社会。

で。結局、「よく知りたい」という時々(結構頻繁に?)訪れる欲求に一番沿うことができるのが、自分自身をよく知るということだろうと。なんでか?というと、基点になるじゃない?社会のアレコレ、他者のアレコレを知るための。基点がしっかり信頼置けるものであった方が、安定してよりよく知るという作業に注力できるんじゃないのか?と。「一人で生きてない」以上、社会で起こるアレコレも、自分と他者・他物との関係性で理解するようにした方が、現実に即した形であまりおっきく間違わないんじゃないか?とも思うしね。

一人一人それぞれが、、、とあまり言い過ぎたけど、大事なのはやっぱり「一人で生きてない」。つまり、誰かの「よく知りたい」が、他の人の「よく知りたい」を促して、どこまでもチェーン・リアクションのようにつながっていくことが理想。そうすることで、とある社会事象に関する理解がどんどんと濃くなっていくイメージね。

そうするのに何も急ぐ必要がない。のんびり。ゆっくり。

そんな夢のような環境。導くイイ手がないか?

「一人で生きてない」。何度も何度もリマインドして戻って来るようにせなあきませんな。。。やっぱり。

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