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ゲーム理論

私はゲーム理論は嫌いだ。

けれども、ゲーム理論の研究がムダだとは思わない。

「囚人のジレンマ」というゲームがある。

協力するか?裏切るか?どっちが得か?

その昔、このゲームで最も優れた戦略とは?を確かめるため、いろんなプログラムを集めて競わせるという研究が行われたことがあるらしい。

そして、「このゲームを無限回繰り返すとしたら」という条件付きで、最も優れた戦略というのが、初回だけ協力して、あとは常に相手のとる戦略を真似る、というものであることが判明したらしい。

非常にシンプルなのが特徴。

あまり余計なことを考え過ぎない方がいいらしいのだけれど、現代の私たちには中々難しい相談のようにも思える。「相手の意図の裏読みはよせ」とか言われても止めるのは難しそう。ディストピア的未来予測になってしまうけれど、最も持続的であることを示したかの戦略ほどシンプルに見えない私たち、もう自滅への道を歩んでいて、それを大きく方向転換するなんてのは無理なんじゃないか?

いやいや、多様な人々が多様な戦略をとっているように見える現代だけど、冷静になって見直せば、概ね真似してないか?

利己的で獰猛な肉食獣的戦略に見えたとて、長い目で見て果たしてそうなのか?というのは、所詮私たちには分かっていないのだから、儲かりそうな話にはただ乗っかておけばいいというだけの話なのかもしれない。誰かがちょっと控え目になったり、突然出し抜いてきたりしたら、都度それを真似ればいい。概ねそれを実践しているように見える私たち。なぁんだ。じゃあ今のままでOKなんじゃん??

「長い目で見て一番優れている」というのは、「どっかの時点でバランスが偏り過ぎて、ゲームが続けられなくなる」というような事態には陥らず、ゲーム参加者のどちらかが損したり得したりしながらも、延々ゲームは続いていくということ。現実の社会はずっと複雑だし、損ばっかりで人生終わってしまうことだってあるだろうから、そういう事態を全くケアしなくていいのか?というとそうは言えない。ただ人類が生存し続ければいいってことはない。それでも、存在し続けておれば変化だって起こり得る。特に生物学的特徴という面では、どんな変異が起こるか分からないし、通常変異なんてものが起こるには膨大な時間を要する。ただ存在し続けるだけでも意味はないとは言えないのではないか?

本当に真似るだけで人類が存在し続けられるのか?全く持って心許ないところだけれど、ごちゃごちゃ考え過ぎずに「今のまんまでええ」と腹を括ってみるのもまんざら悪いことばかりでもなさそう。その方が、長い目で見て好ましい変異が起こるかもよ???

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