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30歳からの北欧デザイン留学

はじめまして。プロダクトデザイナー濱西と申します。
初めての投稿では、僕の少し変わった経歴を紹介させてもらいます。

1.幼少期〜

版画家の家庭に生まれ仕事の関係で、幼少期の1年間をアメリカのフィラデルフィアという町で過ごしました。この町が当時は安全とは言い難い状態で、家の中で絵本を書いたり自分で遊びを作ることをしていました。思い返すと、ここでの経験が今に通じる原体験になっている気がします。

2.学生時代〜

帰国後は、丹沢の麓で大自然と共に暮らし、相変わらず絵を描いたり、ものを作ったりして遊んでいました。そんな家庭環境の影響もあり中学時代から、迷いもなく芸術系の道に進むと信じ込んで一年浪人しながらも、第一志望の美術大学に進みました。

3.社会人時代〜

就職活動の当時は就職氷河期ど真ん中。なんとか一番行きたかった最大手の内装デザイン会社に就職することができました。本当に毎日ギリギリの精神状態で必死に様々な店舗の内装デザインに関わり結局、約7年間、企業内デザイナーとして働きました。

4.無職時代〜

猪突猛進してきた社会人時代の30歳になる年、急に将来の姿を考え始めました。やっぱり「画家の父親のように独り立ちしたい」という気持ちが芽生え、計画もなく会社を退職しました。今思うと無謀きまわりない決断だったけど。そこから無職の3年間が始まりました。幸い7年間分の給料が残っていた(使う暇がなかった)ので金銭面は考えず、好きなことをやろうと決心し色々なことにチャレンジしました。

5.留学時代〜

そのなかで幼少期の影響もあり、憧れの海外で勉強したい熱が強くなり、まず英語を話せなくてはと、当時流行り始めていたフィリピン語学留学に行くことにしました。2〜3ヶ月で習得できると軽く考えていましたが、結局、約1年フィリピンに滞在することになり、あっという間に無職期間を更新していきました。『やばい』と思い立ち、どうにかして、すぐ入れる海外の学校はないかと探し、入学試験がない、北欧デンマークのホイスコーレという寄宿学校に入ることになりました。その留学先のことなど、またの機会に書いていきたいと思います。

6.まとめ

ふり返ると、かなり無計画に『やりたい気持ち』に誠実に人生を歩んできているように思えてならない。2015年帰国後デザイン事務所を立ち上げてからも現在進行中で、ワクワクすることを探し活動しています。
途中、挫折や路線変更してきた記憶も蘇りながら、人生のターニングポイントらしきものも見えて来るけど、かっこ悪く気持ちの良いことでもないので、体裁の良いものだけを書き残してみました。

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