二十八ヶ月

浜村凡平太です。

noteを始めて二十八ヶ月が経ちました。

七ヶ月の記事で書いたように○ヶ月の○に入る数字に関する事を書いていこうと思います。

二十八。28。ふや。ふやふや。

ということでふやふやについて書いていこうと思います。


子供の頃はよく指がふやふやになっていました。

2歳?~9歳?くらいまでの期間、スイミングスクールに通っていました。プールから上がるとたいてい指がふやふやだった記憶があります。

私はぜんそく持ちの虚弱体質だったので、体を強くしなければいけないということで親が通わせてくれたんだと思います。その頃は週一くらいで病院に通って点滴をしていた記憶もあります。

週一で病院に通ってたのに週二とかでプールも通ってたのだろうか?そんなことあるのだろうか?

体調が良い時に通って悪い時は通わなかったのか?わからん。記憶はあやふや、指はふやふや、であります。


スイミングスクールでの記憶は前世かと思うくらい今とは別人格でした。
真剣に水泳をやっていました。級みたいなのがあって昇級試験のようなものがありました。今では25mプールをそこまで大きく感じないと思いますが、当時は物凄く遠く感じました。その遥か彼方にある25メートルをメドレー?でバタフライ~背泳ぎ~平泳ぎ~クロールで2往復して何分何秒以内に泳げたら昇級みたいなルールでした。

この試験が月に一回か二ヶ月に一回かでありましたが、私は毎回めちゃくちゃ緊張していました。正直大人になってからの賞レースでも単独ライブでもテレビ収録でもあそこまで緊張はしません。スタートの飛び込みみたいなのでフライングしたこともあります。今考えると何をそんなに早く飛び込みたかったのか不思議で仕方ありません。水泳をやっていた方はわかると思うのですが、泳いでいる間は騒音がないので一人の世界に入れます。私は覚醒した漫画のキャラとかになりきって「うおーーー!」と泳いでみたり、無が一番いいんじゃないかと思い真っ白を思い浮かべて何も考えず無心で泳いだりしました。試験が終わると全身が疲労、腕も足も動かないくらい本当に疲れました。大人になってから肉体的にそんなに疲労を感じたことも頑張ったこともありません。

私は水泳をめちゃくちゃ頑張っていた気がします。

その結果、全く速くなりませんでした。全然昇級できませんでした。


ふと思う時があります。私が人生で一番頑張ったものは「お笑い」ではなく「子供の頃のスイミングスクール」だったのかもしれません。



ということで二十八ヶ月!ありがとうございました!
ご愛読ありがとうございます!サポートもありがとうございます!

ふやふやになる。もうふやや。ふややね。

♪銭がなけりゃ~君~銭がなけりゃ~