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ありがとう

愛媛県の南宇和に生まれた母方の祖母は

四国はうどんだと蕎麦が嫌いで

幼い頃にバス転落事故に巻き込まれたことでバスも苦手

薙刀の経験者ということで偏屈なうえに勝気な性格でもあった


幼少時代は悪友が「ばばぁ」と言ったことに腹を立てて近所中を追いかけまわし

アタシを自転車の後ろに乗せては車を追い抜くスピードで坂を下る

ゴキブリだろうが蛇だろうが素手で掴むし

往年はくせ毛の髪を紫に染めていた見た目も手伝って

付いたあだ名は「ファンキーばあちゃん」

周囲からはちょっぴり恐れられていた


それでも愛する長女の息子 

しかも初孫だったアタシはとにかく可愛がられた

船に乗ると何年も帰宅しないタンカーの船長だった父

妹の世話をする母の代わりに

何かと面倒を見てくれた

些細なことですぐ鬼の形相に変わる祖母も

アタシの前では笑顔

さすがに庭でションベンをした時には烈火のごとく怒られたが

基本的には常に味方でいてくれ

置き場がないからと祖父母の家にドラムセットを勝手に設置して

ツーバスをどかどかと叩きまくっても

「雷みたいだねぇ」と嫌な顔ひとつせずに喜んでくれた




そんな祖母の元気がなくなったのは

愛する娘

即ちアタシの母が病に侵されてからだった



闘病の末に49歳で他界

その瞬間には立ち会えなかったものの

祖母は「虫の知らせだ」と病院へ向かい

親と子の絆を感じたものだが

母がこの世を去ってからは心がポキリと折れたのか

徐々にボケ始めてしまった


毎月 アタシの運転で母の墓参りで鎌倉へ行き 昼食をとる

これが祖母は楽しみだったようだが

いつしかボケが一気に進み 目を離せばちょろちょろと徘徊

本格的に行方が分からなくなり

警察の世話になったところで施設への入居を決めた


晩年は寝たきりで家族を見ても分からない状態

そんな中でもアタシや同じく孫たちの手を握れば軽く微笑んだし

元来が子供好きということもあってか 

アタシの息子や娘を見ると顔がやわらいだ


年始に脳梗塞で施設から病院運ばれたものの 奇跡的に復活した際は

さすがは「ファンキーばあさん」と思ったものだが

これが原因で食事をとることもままならなくなり

本日7時25分 ついに愛する娘のもとへと旅立った


娘の病気を誰よりも憎み

誰よりも回復を願った祖母

娘の死を誰よりも悲しみ

生きる気力さえも失いかけた祖母


あれから18年あまりが経過したが 

ようやく今 再会していることでしょう

存分に娘と語り合ってください

ついでにお前の息子は何とか元気にやってると伝えてください

今までホントにおつかれさまでした

どうもありがとうございました








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