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【掌編小説】なぜ人を殺してはいけないのか?※過激表現有

『昨夜、商業施設で、30代の男が刃物で通り客を切りつけるなどし、1名が死亡、4人が重軽傷を負いました。男は事件の前日にスーパーで刺し身包丁を購入後、商業施設の前の歩道に車で突入し、そこから車を降りて施設内に入り、周囲にいた人たちを切りつけたとのことです。』

テレビでアナウンサーが神妙な面持ちで原稿を読み終えた後、一緒に何気なくテレビを観ていた妻に「ねぇ、もし俺や息子たちがこういう事件で死んじゃったらどうする?」と聞いてみた。

(妻)「もちろん犯人のところにいって仕返しするよ。ただ殺しはしないけど。」

(私)「殺しはしないんだ。慈悲深いね。」

(妻)「うん。目を潰して、舌を切って、精器を切り落とす。」

(私)「怖っ!」

(妻)「なんで怖いの?自分の命より大切な人が奪われたのにさ。殺してしまったら犯人が苦しむのはその瞬間だけでしょ。絶対殺しはしない。可能な限りの快楽手段を断ってやって生き地獄を味合わせるよ。」

「あ、そういや洗濯物が溜まってたわ!」

妻は、連日の雨でたまった洗濯物をかかえて近所のコインランドリーへ歩いて向かった。

なかなか過激なことを言っていたが、妻の言っていることは確かに理解できる。結局のところ奪われた命の代償となるものは、この世には無いということなのであろうか。そんなことを考えたときに私は10年以上も前になる学生時代のある講義のいちシーンを思い出した。



2008年1月、私は履修必須科目として「哲学」を選択していた。「哲学」は講義自体あまり人気がないわりには、広めの講義室が準備されていて、出席者は10数人程度でほとんど女性がいなかったことを覚えている。それでも、先生が優しい(学生時代の先生における優しさとは、あくまでも単位をくれやすい人を指す)という噂だったので選択した。


講師は安藤先生で、50代で短髪の割とガタイのいい男性だが、なぜか話し方は語尾に「~なのよねぇ」とか「~みたいだったのよぉ」をつけるのが癖で、非常に特徴のある先生だった。


確かその講義では、『アキレスと亀』が取り上げられていた。

安藤先生「このように、ゼノンの逆説であるアキレスと亀は、アキレスが亀に到達するまでにかかる時間の級数が極限において収束するため、矛盾は解消できるということになります。それでは、これで本日の講義は以上です。皆さん、後期のレポート題名となる自分なりの哲学テーマを今のうちに決めておいてねぇ。ただし、生と死にかかわるテーマは、禁止ですよぉ。」

いつものように生徒達がノートや筆記用具を自分のカバンにしまっている時に、ある一人の男子生徒が手を挙げて質問をした。なぜだかわからないが、その生徒の挙手した手の特徴的な指毛を今でもはっきりと覚えている。


生徒A「先生、なぜ人を殺してはいけないのですか?」


狭い講義室は一瞬で静まりかえった。
なぜなら、その質問自体の気持ち悪さと唐突さ以上の理由があったからだ。


2007年12月、当時大学があった隣町で、散弾銃乱射事件があった。その銃乱射事件では、2人が死亡し6人の重軽傷を出した。全国的なニュースにもなったこの事件。銃規制の不備が強く指摘され、翌年銃刀法が改正されたきっかけにもなった事件だ。犯人は最終的に教会に立てこもり自殺した。


そのような事件が先月あったばかりでのこの質問である。後々わかったのだが、生徒Aはこの事件の被害者の近い親族だったらしい。しかし、私を含めそんなことは誰も知らない。狭い講義室は静かな恐怖に包まれていた。


安藤先生はその質問を受けた後、ガクっと頭を下に落とした。
そして、小さな声で「タジュシツモンノゴビュ」と何か呪文のようなものをゆっくりと唱えた。その光景も怖かったことを覚えている。


そのあと、恐ろしい形相で質問した生徒にこう言った。
「あなたは、人を殺したことがあるということですか…?」


生徒は小さく「いいえ」と答えた。


その瞬間また安藤先生はガクっと頭を下に落とした。
そして次は満面に近い笑みでこう言った。


「そうでないなら、なぜ君は今まで人を殺してこなかったかについて答えることができる。そして、その答えこそが今、君自身が求めている答えでもある。」



妻からの電話が鳴った。洗濯物が多すぎて一人も持って帰れないからコインランドリーまで手伝いに来てほしいとのこと。傘を持って自宅を出た。

道中、もし妻や息子たちが、無差別に殺されるようなことがあった時に自分はどうするのだろうかと想像していた。実際に目の前にその犯人がいたときにはどうするのか。何度もいろんなシチュエーションで想像してみた。そうしているとあっという間にコインランドリーに着いた。


ちょうど、乾燥が終了したタイミングだった。
乾いた衣類を乾燥機から取り出す。おひさまの匂いではないが、乾燥機で乾いた衣類のにおいも好きだ。最後の衣類を取り出すときに静電気が走る。その驚いた時の動きで乾燥機のかどに頭もぶつける。

私「いでっっ!!!もーいや!!」

4歳になる息子のズボンをたたみながら、妻がゲラゲラと笑う。
その時に、先ほどの自問にしっくりとくる答えが見つかった。


俺は殺す。何があっても犯人を殺す。
その復讐のあとに残ってしまう虚無な感情なんてものはその時に浸ればいい。『悪い』と思って行なわれる『犯罪』は確実に存在するんだ。


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