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【掌編小説】時の試練により磨かれる美

男女の生き方が多様化するこんにちでは、女らしさ男らしさを定義しようとすること自体がナンセンスなのであろうか。どんなに新しいジェンダーレスなあり方を追求したとしても、そこには最終的に絶対的な雄雌の生物構造が立ちはだかる。

これするお話は、ある人からすればかなりジェンダーステレオな話で一方的な価値観の押し付けにきこえてしまうかもしれない。僕からすれば、世の中で男性と女性がどういう役割を担っているかについて論じるつもりもないし、実際にどうでもいい。

いや、ごめんなさい。やっぱりどうでもいいわけではないのかもしれない。それぞれが持ついろんな考え方のひとつとして少しだけでも皆に理解してほしいところがあるのであろう。なので、皆さんも皆さんなりの価値観をどうか大事にして、それを他人に押し付けることはせず、最後までそれを貫いてほしい。例え誰かにとっては間違っているものだとしても、それすら問題がない。もともと答えなんてないようなものだから。

最後に…
もうこの世にはいない、大好きな僕のおばあちゃんへ。
僕もおじいちゃんと同じ病になってしまいました。でも、それほど落ち込んではいません。幸せな日々を実感することができています。ですが最近は少し疲れてきました。それでも時間は過ぎていく。ありがとう。

これは僕が高校生の時の話だ。


今日はおじいちゃんのお見舞いとして、一人で病院に訪れていた。
あと来週でおじいちゃんは退院する。おじいちゃんは大腸がんで入院をしていた。幸いにも腫瘍は小さく手術はうまくいき、今回無事に退院できるようになった。

入院中、父と母は頻繁に病院へお見舞いに行っていたが、なぜか僕がお見舞いに行く時だけは、僕一人で病院に行くことになっていた。「そのほうが、おじいちゃんも喜ぶから」と言っていたが、今思うと、おじいちゃんが寂しがらないように、何とか家族総出で効率的に見舞い頻度を高める為だったに違いない。

「おじいちゃん、じゃあ、俺もう帰るけん」イスから立って、自分の食べていた和菓子の袋のゴミをまとめていると、おじいちゃんは「ケンジ、今日はすまんかったね」といつものように言った。おじいちゃんは普段から『ありがとう』を全く言わない人だ。ただ、その「すまんかったね」は限りなく『ありがとう』のニュアンスに近いことを僕はわかっていた。

病室を出るときおじいちゃんに手を振る。おじいちゃんも大きく手を振りかえす。たまに看護師さんに微笑ましい表情で見られてなんとなく恥ずかしいのだが、僕とおじいちゃんのお見舞いにおけるルーティーンになっていた。

その日は、おじいちゃんの様子を伝えるために病院帰りにおばあちゃんの家に寄ることになっていた。おばあちゃんはなぜだかわからないが、おじいちゃんの手術の日以外は、おじいちゃんのいる病院に行こうとはしなかった。おばあちゃんの家から病院までの距離は確かに遠いという理由もあるのだが、車で連れて行こうかと父が誘っても頑なにそれを拒んでいた。

おばあちゃん家に到着したが、おばあちゃんは不在だった。
その場合、おばあちゃんは大概自分の畑にいることが多いので、すぐ近くになる畑の方へ向かった。

おばあちゃんとおじいちゃんは、普段、自分たち畑の世話と植木屋さんの仕事をしている。植木屋さんとしての仕事内容は、木の生産、販売だ。もともとは戦前から農家を生業にしており、自給自足を基本として暮らしてきた。77歳を過ぎた今でも朝早くから仕事に精を出している。


畑につくと案の定おばあちゃんはそこにいた。最近はおじいちゃんの入院でいろいろやることが増えて大変そうだ。年齢的なところもあるので、最近は父からは肉体仕事は控えていくように言われているが、控えると逆に不健康になるという理論で今のところ父を制して相変わらず仕事を続けている。

こちらから声をかける前におばあちゃんは僕の存在に気づき「ケンちゃん、なんばしにきたっかい?(ケンちゃん何をしにここ来たの?)」と遠目から大きな声で伝えてきた。まぁまぁ大きい声だったので少し恥ずしくなり、僕はすぐにおばあちゃんの近くに向かった。

おばあちゃんにおじいちゃんの今日の病院での様子を端的に伝えた。
するとおばあちゃんは「ふ~ん、飯ば作ってもらってあとは寝とるばかっで、たいげなよかたい!(病院ではご飯を作ってもらってあとは寝てるだけなんだから、至れり尽くせりじゃない!)」と嫌味ったらしく言葉を放っていた。僕のおばあちゃんらしさ全快だ。

もともと、おばあちゃんは活発で歯に衣着せぬ言葉遣いの人だ。それに対して、性格的におじいちゃんは物静かで、且つ優柔不断なところがあり、おばあちゃんはおじいちゃんのハキハキしていない感じ、ウジウジしている感じにいつも嫌気がさしている。

しかし、おじいちゃんもちょくちょく一丁前におばあちゃんに強い口調で意見をしたりするので、二人は常に言い争いをしている雰囲気だ。他人から見ていると常に口喧嘩をしているように見えているらしい。ちょうどタイミング的におばあちゃんは畑仕事がひととおり終わったので、僕は一緒におばあちゃんと一緒におばあちゃんの家に帰った。



「これでよかろ?(これでいいでしょ?)」とおばあちゃんは家に帰るなり飲み物を出してくれた。おばあちゃんでしか出てこないうす茶色い飲み物。

それはカルピス原液を水で割ったものでなくて、麦茶で割ったものだ。最初にこれを見た時は幼心の中でとても驚いたことを覚えている。ほぼ、水溜まりの水みたいな色をしていたからだ。でも飲んでみると意外と普通のカルピスと変わらない味をしていたので長年飲み続けていたら慣れてきた。

今では自分の中でおばあちゃんちの名物になってしまっている。だからと言って自分の家で絶対にその飲み方はしないし、人にもすすめはしない。なぜだかわからないが、おばあちゃんがおばあちゃんの家で出すから許される飲み物なのだ。

おばあちゃんは農作業の服の着替えなどをしていたため、しばらく僕は居間に一人でいた。そのあと、そこに一人でいるのにも飽きたので、仏壇がある部屋へ行き、仏様に手を合わせていた。その部屋には代々の家族の遺影写真がならんでいる。その中に一つだけ歳を取った遺影写真でなく、20代のとても若い男性の遺影写真がある。僕はその人の精悍な顔つきがなんとなく昔から好きだった。それは、おばあちゃんの兄の写真である。



おばあちゃんの兄は結核で23歳の時に亡くなった。学生時代の時はとても頭がよくて成績もよかったらしい。曾祖父はとても将来を期待しており、おばあちゃんにとっても頼れる兄であった。しかし、第二次世界大戦の際に結核を発症してしまったのである。

亡くなる少し前の当時、おばあちゃんは病床に伏すお兄さんから呼び出され、二人っきりの際に自分が跡取りとしての役目を果たせなかったことを謝罪されたことがあるらしい。お兄さんは、若き日のおばあちゃん手をとり「本当にすまんかったね。なんとかこの家を頼むぞ。」という言葉をおばあちゃんに残した。数年に1~2回その話をする時、おばあちゃんはいつも涙ぐみながらその話をしてくれる。

実は当時、おばあちゃんは既に他の家に嫁いでいたのだが、兄がなくなったことをきっかけに本家に出戻りすることとなった。当時の夫もその家の跡取りだったため、婿入りは拒否された。両家話し合いの結果、おばあちゃんは離婚することとなり、婿入りができる新しい相手を見つけることになった。そこで、婿入りしてきたのが、今のおじいちゃんである。

初めて聞いたときは、凄い話だなと思っていたが、昔はそのようなこともよくあったらしい。それから数十年、おばあちゃんはおじいちゃんと連れ添っている。今思えば、おじいちゃんが婿入りしてきた時、おばあちゃんはどのような気持ちだったのか。また、おじいちゃんもどのような気持ちだったのかを聞いておけばよかったと思う時がある。今の時代では考えられないことだからだ。しかし、そう思う反面、そんなことは聞かないことが正解だったのだとも思う。

着替えが終わったおばあちゃんがやってきた。そして、唐突に「ケンちゃん、今から買いもんに付き合ってくれんかい?(ケンちゃん、今から買い物に付き合ってくれない?)」と聞いてきた。



10分後、僕とおばあちゃんは自転車で近所のドラッグストアへ向かっていた。ドラッグストアへ向かう道中、坂道があったが、おばあさんはキツそうだったので、そこは自転車を降りて歩いて坂道をのぼった。

おばあちゃんはやたらブレーキ音が大きい自転車を押しながら、僕に「着いたら、遣い銭ばやるけん、そっでお菓子ば買うたい!(お店に着いたら、おこづかいあげるからそれでお菓子かっていいよ!)」と大きめの声で伝えてくれた。高校生の僕をまだお菓子で釣コントロールできると思っているのか?と考えつつ、それはおばあちゃんのやさしさであることは理解できていたので「ありがとう」とお礼を伝えた。


その直後くらいの時だった。目の前から数人の高校生のグループが坂を下ってきた。最悪にも僕と同じ高校の男女グループであった。

彼らは僕とおばあちゃんを視界にいれつつ、少しニヤけた表情で僕の目の前の道を少し遮るようにしながら、坂道を下っていった。
最悪だ。その時、僕はとても恥ずかしい気持ちになってしまっていた。今思うと、そんな気持ちになっていた自分自身に恥ずかしさを隠せないが、その当時はどうしてもそうは思えなかったのだ。その時のおばあちゃんの表情は見ていない。どんな表情だったのかも考えたくはない。

ただ、最後に坂道をすれ違った女の子だけは、自転車をわざわざ降りて僕のおばあちゃんに会釈をしてくれた。その女の子は当時高校で一番ヤンチャな女子だったユイという子だった。なぜか学校では皆から「ユイさん」と「さん」付けで呼ばれている。彼女は、明るく染まった長い髪をなびかせながら、また自転車にまたがって、坂道を下っていった。



ドラッグストアに到着するとおばあちゃんは僕に3つ折りにした歪な千円札を1枚渡して、店の奥へ入っていった。僕はもらった千円札でドラッグストアの隣にある本屋で漫画を購入しようかと考え本屋に行ってみた。しかし、先週、欲しい漫画は手に入れたばかりだったので、特にほしいものが無く、早々に本屋を出て、ドラッグストアのおばあちゃんの様子を見にいくことにした。

ドラッグストア内でおばあちゃんを探したがなかなか見つからなかった。それもそのはずで、おばあちゃんはいつもとは違う僕の想定していない店内のエリアにいたのである。

おばあちゃんは険しい表情で化粧品を眺めていた。僕にとっては初めての光景ですごく違和感があった。なぜだか僕はおばあちゃんに声をかけずに遠目からずっとその様子をみてしまっていた。心配した店員さんがおばあちゃんに話しかける。おばあちゃんは何やら真剣に店員さんに質問をしていた。僕もそのうち少し心配になってきたが、おばあちゃん・20代後半くらいの店員さん、そしてそのエリアに並ぶ化粧品のモデルとなっている美人な若いタレントと女優さんのパネルがある異様な空間に最後まで近づくことはできなかった。

ひとしきりドラッグストアで買い物が終わったおばあちゃんをお店の出口で迎えた。おばあちゃん左手には4つ入りのキッチンペーパーの袋、そして右手にはレジ袋をもっていた。

帰り道、僕はそのレジ袋の中に一体何が入っているのかをおばあちゃんに尋ねることは最後までしなかった。別れ際、おばあちゃんは僕に「ケンちゃん今日はすまんかったね」と一言だけ残していったことを覚えている。



1週間後、その日はおじいちゃんの退院の日だった。おばあちゃんもその日は病院にいくことになっていた。当日、父の運転でまずはおばあちゃんの家により、おばあちゃんを乗せたあとで、僕と父とおばあちゃんの3人で病院に向かう予定になっていた。

予定より早めの時間におばあちゃんの家の前に到着した。
父から「俺は車の中でゆっくり待っとるけん、家まで行っておばあちゃんを呼んできて。」と僕に伝えると車の窓を開けて煙草に火を着けだした。

僕は車を出て、おばあちゃんの家の中に入った。
おばあちゃんの出迎えがなかったので、「おばあちゃーん、少し早めに来ちゃったー。病院行こうかー?」と呼んだ。そしたら、奥の方から「ちょっと待っとってー」というおばあちゃんの声が聞こえた。僕はその声がする方へ向かっていった。



おばあちゃんがいつもはあまり使わない部屋。そこにおばあちゃんはいた。
だいぶ年季の入った化粧台の前で、おばあちゃんは化粧を入念におこなっていた。

「それ化粧台だったんだね。」そんなことを言いながら、僕はおばあちゃんの左ななめうしろくらいからおばあちゃんが化粧をしている様子をみていた。農家で畑仕事をしているおばあちゃんは普段は全くと言っていいほど化粧をしない。そんななかで化粧をしたおばあちゃんは何度か見たことはあったが、化粧をしているところのおばあちゃんを見たのは初めてだった。

僕はその時、おばあちゃんから女性らしい美しさを感じた。
何度も鏡をみて自分の顔を確認する仕草、使い終わった分の化粧品を丁寧に化粧台にしまう時の動き、白髪染めをしてはいるが数日経ち若干髪の生え際が白くなってきていることを気にしている様子、それらもふまえたすべてになんとも言えない美しさを感じていた。

それは女性による女性らしさとでもいうのであろうか。どんなに幼くても、どんなに年をとっていても、女性はできる範囲で最低限ではなく、最大限の美しさを保とうとする意識を持っているのであろうか。その意識の尊さというものを僕は人生で初めてその場で感じ取ることができたのだった。

化粧が終わったおばあちゃんはそそくさと手荷物をまとめ、父の待つ車に乗り込んだ。僕も車の助手席に乗り込んだ。父はいつもとは違うおばあちゃんをバックミラーでチラッとだけ見たあと、何も言わずに車を走らせ始めた。


車で病院へ向かう道中、ユイさんを見かけた。友達と談笑をしている様子だった。僕からは横顔しかみえなかったが、彼女は若々しくしなやかでハツラツとした若さに輝いていた。

そのユイさんの笑顔も美しかったので、病院に到着するまでの間、ずっと僕の中に残り続けた。


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