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【掌編小説】 また明日ね

今の自分に降りかかっている不幸や障壁、
それを自分に対する報いや贖罪だと考えるようになってしまったら、幸せを感られなくなってしまう。

別れた旦那は、そんなことを言っていた。
言っていることをもっともだが、彼に関しては実が伴っていなかった。

実際に知識として頭に入っていることと、現実に問題に直面した時にそ
れをしっかり自分の心の中に理解して落とし込めるかについてはまた別の話だ。

少なくとも私に関しては知っていたとしても理解することに関しては数年かかった。いや、正直なところまだ受け入れきれていない部分もあるのかもしれない。

それでも日々は続いていく。
目の前に現れる現実をひたすら受け止めて、自分のやるべきことをしていくしかないのだ。今が幸せなのかということに関しては、考えること自体をやめたほうがかなり合理的であることは最近覚えた。

これまで起こったこと。 これから起こりうること。
その時自分が何をすべきだったのか。何をするべきなのか。
本当にすべて理解できている人間なんているのであろうか。

少なくとも、私はさっぱり理解できていない。



12月26日。

今日は息子とケーキを2人で作っていた。
前日のクリスマスケーキは準備していたのだが、息子は気に入らなかったらしく、また、私と口論になりそのケーキは息子が床にぶちまけてしまった。

ということで、新しくクリスマスケーキを作っている。
生クリームとスポンジケーキとイチゴのシンプルなシュートケーキだ。

生クリーム段階から泡を立ててホイップクリーム作るということを行ったが
久しぶりすぎたのか終わった後、震えて手がなかなか思うように動かなかった。

だが、息子は楽しそうにそれをみていたので、自分的には一から作って良かったなと思った。やはり料理は作っている工程を見せた方が、子供はすんなりとその料理を食べてくれるという話を聞いたことはあったし、今後もなるべくこのようなことを取り入れていこうと思った。お菓子も自分で作ればお金もかからないことが多いし。

クリスマスは1日過ぎてしまったが、部屋の中にはクリスマスツリーが飾られており、私たちに引き続きクリスマスの雰囲気を与えてくれる。 キラキラ光る電飾はいまだに私たちを豊かな気持ちにさせてくれる。

隣でケーキを頬張る息子を見て嬉しくなり、自分もそのケーキを少しもらって食べてみた。 お店で売ってるものと大して遜色ない。むしろこっちの方がクリームが甘くなさすぎて個人的には非常に食べやすかった。

息子との2人暮らしをは生活的に裕福ではないのであんまりお金をかけないように生活をしているがクリスマスプレゼントは準備していた。

クリスマスプレゼントはおもちゃのプラレールだ。
前々日に量販店の大量の列から並んでゲットした「プラレールトーマスのどきどきマウンテン」。

女の子だった私自身は小さいころプラレールで遊んだっていう記憶がほとんどない。だが、やはり男の子は乗り物だったりとか電車だったり、そういったものが好きらしい。

プレゼントを受け取った息子はすごく喜んでいた。

年の瀬が迫る。
今年1年のことを振り返ろうとしても。
あまりに今年はドタバタしすぎていてうまく振り返られない。

離婚。

息子と2人での新たな場所への引っ越し。

新しい職探し、施設探し、保育園探し。

いろんなことがあったが、まぁ振り返ると今年はとても頑張ったかなと総括できる。来年はどうなることやら…。

そう考えている頃に、息子は眠そうにウトウトし始めた。
息子を抱きかかえ寝室に連れて行く。



引っ越したばかりだが、寝室にはすでに息子が癇癪で開けた壁の穴が存在している。もちろん前の家でも経験済みだ。こういったことは、オーナーや不動産の方に大変迷惑をかけてしまうことは重々承知している。
しかし、今の息子の場合はどうしてもそれは避けられないことだ。

ただ、オーナーや不動産の方に事前に息子のことについて話していたので、
穴をあけてしまったことに関してはそれは寛大に受け止めて頂いた。それはとても助かった。 助かるが、お金はかかる。

息子がガッツリと空けた壁の穴を眺めるつつ私は息子を寝かしつける。
ふと昨日のことを思い出した。

パニックなりクリスマスケーキを床に叩きつけた息子。
その時、イライラが頂点に達したが、それでも私は息子に怒りをぶつけなかった。それを自分自身で褒めた。

以前だと手を出し、怒鳴り散らしていたであろう。
しかし今ではそれはしない。それはもちろん息子の為だ。

私の尊敬する人が言っていた。
「怒りは最も安易で、そして最も解決から遠い感情の選択なの。」

私はただただ息子を抱きしめた。
そして、私が悲しい感情であることの説明をした。
もちろん、その言葉を息子が理解しているのか、していないのかよくわからないが、それでも言葉を投げかけ続けた。

それが、息子の為であることは十分に理解している。
しかし、感情を発散できない私自身があり、何か負のものが蓄積されていっているのがわかる。
それすらも無理やり押さめるしかないのであろうか。

息子が眠った後、私は寝室を出てお風呂にはいることにした。



洗面台の前で、溜息をつきながら服を脱ぐ。

自分の裸をみる。
30代半ば過ぎてしまった私の体。

一見何も変わってないかのように見えるが
やっぱり若い頃の体とは全く違う。

よくわからないが、ずーっと自分の裸体を眺める。
小さくボソッと「年取ったなぁ」という。
化粧水がもうない。明日買ってこないと。

お風呂場は、とリラックスできる場所のひとつだ。
特に息子が寝静まった後のお風呂はとてもリラックスできる。

ずーっと真顔でシャワーに打たれながら鏡を眺めてる。
はたから見ると恐ろしいかもしれないが、それだけでも心は休まっているのがわかる。

ただ、少しでも息子のことを考え出すと途端に
これからの2人での暮らし、息子が今後どんな風に年を重ねるのか。年を取った時、彼を面倒見る人間はいるのか。など
いろんなことを考えつつぼーっとしてしまう。

そんなことその時に考えても仕方ないことがわかってはいるが、
考えないようにしようとすること自体がもう既に考えてしまっているのだからそれこそ仕方がない。



お風呂を上がって、寝支度を済ませ寝室に向かう。
息子の隣に寝そべり、息子の寝顔を見る。

天使のような寝顔だ。

もし誰かに、次生まれ変わっても同じ息子が欲しいかと言われた時、私は自信をもって「それは嫌だ、普通の子が欲しい」と答えるだろう。

だが、この時、この寝顔を見せられた瞬間だけは、 またこの子産んでみてもいいかなというふうに思ってしまう。

それほどに愛しい寝顔。

この瞬間だけはかけがえのない時間だ。

なんだか外が気になったので、少し窓を開け、外の様子をみてみる。

外では雪が降っている。
雪というよりは小さく霰(あられ)みたいなものだった。
外はとても寒かったので、すぐ窓を閉める。もう年の瀬なんだな。改めて思う。

もう一度、息子の横になる。

まだ少しポチャッとした面影のあるほっぺにキスする。

先は不安しかない。

だが、この子にとっての明日は希望に満ち溢れたものかもしれない。

彼自身が幸せと感じられるように、私は全力を尽くすべきだと、改めて決心をする。

私は、今本当に母親らしい微笑みをしているのだろう。
私はもう一度息子のほっぺにキスした。

そして「また明日ね。」 と小さい声で囁き目を閉じる。

ゆっくりと。 何も考えることのない。世界に入っていく。

おやすみなさい。

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