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人間関係の深さは、過ごした時間に比例するわけではない

では、何と比例する?

多分、深い話ができるかどうか。いうなれば、その人を、「同志」と認識できるかどうか、なのかなと思っている。

いま、自分には同志と呼べる人がどのくらいいるんだろうか。考えてみると、意外といないことに最近気がついた。それもそのはず。いつしか、表面的なつきあいしかしてなかったからだ。学生時代の友達なんかは、その当時、同志であった気はするんだけど。昨今、SNSで繋がっている気がしているけど、会話はしていない。

少し話が変わるが、最近、妻との関係で、いままで自分がずっと自分のことを偽っていたことに気がついた。それを皮切りに、いろんな人との関係性が変わってきている。人と話すたびに同士が増える感覚だ。

それは、積み上げではない。5年ぶり、10年ぶりに話したとしても、一気に同士の感覚が得られる。連続的ではなく非連続で、相転移が起きる感覚だ。

これはきっと、コンピュータにはできないことの一つなんじゃないかと思っている。一つ一つエビデンスを集めなくても、関係性が変わってしまう、人間の面白さ。それは時に危うくもあるけども、きっと愛すべき特性なんだと思う。

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