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ぎりぎりクアドリリンガルの僕が感じる、言語を習得すると広がる世界について〜背景編〜

僕は、今でこそ日本で働いているが、パプアニューギニアに2年弱、ミャンマーに1年半滞在していた経験がある。

現在、曲がりなりにもアジア圏であればビジネスでなんとか意思を伝えられるだけの英語力と、日常会話程度のミャンマー語、拙いピジン語(パプアニューギニアの共通語)を喋れるので、一応Quadrilingual(クアドリリンガル:4ヶ国語話者)ということになる。

言語の習得の変遷と、その勉強法について書いてみたいと思う。

はまーの言語習得の歴史、背景

大学時代

英語は学部教養で2年、また中国語を一応第二外国語としてやったが、こちらは一応文法や声調などの基礎は学び、上海に2週間ほど旅行したものの、会話には程遠い。自己紹介できるくらい。

そもそも、中学から英語の習得に全く興味がなかった。暗記は不得意ではないものの、「翻訳を読めばいいじゃないか」とその必要性を感じない始末。センター試験も800点満点中600点いかないくらいと、勉強して国立大なら普通の感じ。TOEICは大学2年のときに一回受けたが、580点。それからは受けていない。

就職の少し前、アメリカに留学してそのまま就職していた姉が結婚し、結婚式に参列するためにアメリカにも旅行に行った。多少自分が英語が使えることは実感した。中学英語でも十分なのだな、と感じた。
この経験は後に生きたのだとは思う。

しかしながら海外に行ったのはこのとき限りで、それから3年間以上は日本国内にとどまる。

新卒時代

SEとして働き始めたことで、英語のドキュメントを読む機会が非常に多くなった。読み書きに関してはこの頃が一番していたのではないだろうか。

会話は全くだったが、一緒に住んでいた留学経験ありのルームメイトがカウチサーフィンで外国人を家に呼ぶなど、積極的に英語を使う機会をたまに提供してくれていたので、少し場数が踏めた。

青年海外協力隊時代

訓練所での事前の語学合宿というのがあるのだが、このカリキュラムが非常に良かった。相性のいい、当たりの先生だったのだとも思う。ありがとうブライアン。今でもあなたの勉強法が基本になっています。勉強法については後ほど。

2ヶ月缶詰で一日中(日に8時間位)語学の勉強をしていれば、ある程度自信もつくというものだ。

その後、パプアニューギニアに2年弱赴任する。現地では、パプアニューギニアの共通語、ピジン語を使って暮らすので基本的にはピジン語が自然と習得できるのだが、英語を使う機会も結構あった。そもそも先生として高校生にPCの使い方を教えなければならず、英語でのプレゼン能力が身についたと思う。

バックパッカー時代

パプアニューギニアから帰って、トータル3ヶ月程度でアジアを放浪した。タイ、ミャンマー、バングラデシュ、インド、ネパール、キルギス、カザフスタン(通過のみ)、ウズベキスタンと、中央アジアまでしか行かなかったが、各国に2週間位ずつ滞在できたので、結構今でも当時のことが記憶に残っている。

キルギスからウズベキスタンまではほとんどロシア語しか通じなかったため、全く言語が通じない世界で身振り手振りで意思疎通をする、という貴重な経験ができた。

ミャンマー時代

オフィスでは日本語が使えるミャンマー人がいたため不自由することはなく、対外的に交渉する際などに英語を使うことになった。そんなに不自由することはなかったので、英語はそんなに上達しなかった。

一方で、ミャンマー語もそんなに伸びてはいない。これはパプアニューギニアとの違いによる。それは「インターネットの通信速度が悪くない」ということだ。それにより、ネットで日本のメディアに触れる時間が多かった。パプアは2Gの世界だったため、ハナからネットを諦めていた状況で、現地の人と話さざるを得なかったことが言語習得を助けていたように思う。

とは言え、ミャンマー語も日常会話程度はできるようになった。これは主に、女性関係からである。このときに確信したのは、愛欲は言語習得の一番の原動力になるということだ。

言語は度胸と愛嬌。コミュニケーションの手段としての再認識。

パプアでもミャンマーでもそうだったが、複数の国で過ごしたことで、確信めいたものが自分の中に育った。それは、

「言語とは度胸だ」

という感覚である。

言葉がわからずとも、人にぶつかっていくと、なんとか意思は通じる。通じると、もっと伝えたくなる。その感覚を一度覚えると、新しい言葉を覚えるということ自体にものすごい価値を感じることになる。

一度これを体験すると、暇があると言語習得について意識を馳せるようになる。少しずつ単語なり、文法なりが頭に入ってきているので、日本に長く住んでいても、そんなに忘れることはない。少なくとも度胸を持って外国人に話そうとする気概は損なわないで済む。

中学生くらいでこの感覚をつかめると、その後の人生においての言語習得が非常に楽になるだろうなという気はする。言語を習得するなら、早期に一度3ヶ月くらいの国外滞在経験があることはなによりも有効だろう。

勉強法については次回

結構長くなったので、具体的に何をしているとか、心構えとかは次回に書こうと思う。なんにせよ、一度外に出てみるのが一番の勉強なので、結論はそれなのだけど、

そもそも、要はどうやって自分の人生に外国語の必要性を感じるか、というのが重要ポイントだと思っているので、言語を習得したことで何が変わったかなどの体験談も入れていく。言語習得に少しでも魅力を感じてもらえれば幸いだ。ではでは。

※書きました 続き


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