【政治の初歩】『自分ごとの政治学』中島岳志
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【政治の初歩】『自分ごとの政治学』中島岳志

濱塾日記(代表:高濱)

※全文を公開している「投げ銭」スタイルのnoteです。

0の付く日の10日なので、投稿します。8日のWeb日記は体調不良で投稿できませんでした。すみません。

今回は、中島岳志氏の『自分ごとの政治学』という本のレビューをしたいと思います。NHK出版の「学びのきほん」シリーズから出版されており、このシリーズは「2時間で読める」というシンプルさが売りだそうです。

Kindleだとワンコイン未満で買えるので、是非政治を勉強してみたいという人にはオススメです。このシリーズの他の本も面白そうですね。『本の世界をめぐる冒険』(ナカムラ クニオ)とか。

これを知ったキッカケは、東京ポッド許可局のパーソナリティでもあるプチ鹿島さんが、ツイッターでオススメしていたからです。

プチ鹿島さんの政治論はラジオ「セッション」のゲストでの話や、東京ポッド許可局でもちょこちょこ話しており、面白いです。

今回は、用語の解説+自分の解釈という流れで紹介していきたいと思います。

政治の役割の1つ:お金をめぐる仕事(税金の配分) 

お金のめぐる仕事ということで税金の分配がありますが、そこには大きく分けて2つの路線があるそうです。それがリスクの個人化とリスクの社会化です。

リスクの個人化は、リスクに対して個人個人で対策をしていくこと。つまり自助ですね。リスクが降りかかったとしても自己責任という考え方です。

一方でリスクの社会化というのは、リスクに対して社会全体で支えていこうという考え方です。このリスクの社会化について、中島氏は、

ここで大切なのは、リスクの社会化であって、国家や行政化ではないことです。つまり、国家や行政だけではなくて、市民社会を含めて支えるのが大事なのです。これは、現代政治学の重要な論点です。 

といっています。国家や行政ということにとらわれないことが重要だそうです。

では、日本はどちらに寄っているのかということで、言わなくても分かると思いますがリスクの個人化が強い社会です。

というのは日本は「小さすぎる政府」であるということです。その理由は3つあります。

1つ目は、租税負担率が国際的に比較して低いということ。

2つ目は、GDPに占める国債歳出の割合が低いということ。

3つ目は、公務員は顕著に少ないということです。 

3つ目は、公務員の数が多すぎると言われた過去がありますが、それは非正規雇用を増やすために政権与党が広めた情報であるといわれています。国際的に比較してみますと、人口1000人あたりの公務員は、フランスでは80から90人、アメリカは75人、スウェーデンやデンマークは100人を超えているにもかかわらず、日本は30人台後半から40人台前半という数字が出ています。

このように、今の政権はリスクの個人化を進めているということが明らかです。先ほども挙げましたが「自助」という言葉が先行していることからも分かりますね。

このように国家の方針もそうですが、社会文化としても、みんなで助け合っていこうという風土が形成されていないと感じています。例えば、生活保護を受けることに大きな抵抗があることバッシングが大きいこともその風土の一端として現れているのかなと思います。

リスクの個人化または社会化ということで、現在の政府や社会の立ち位置を把握することができます。

リベラル  

次に、リベラルということについてです。リベラルという言葉が生まれた背景には、キリスト教のカトリックとプロテスタントによる宗教戦争である「30年戦争」が起源だと言われています。

30年戦争では、30年間も戦争を続け、ヨーロッパ中を焦土にして多くの命を犠牲にしたにもかかわらず、この対立や決着がつきませんでした。
その時に、ヨーロッパの人々は、価値観の違いによって戦争するのはバカバカしいということに気がつくのです。そこでヴェストファーレン条約にてリベラルと言う概念が提唱されました。 
日本語で言うと「寛容」と言う意味に近い言葉です。自分とは違う考えの人や宗教に対して、暴力で倒そうとしても解決はしない。そのこそが30年戦争を通じて明らかになった。であれば、戦うよりも違いを認めて相手の立場や考えに寛容になる方が大事ではないか、と言うことが確認されたわけです。 

このように、違いを認めて寛容になりましょうということで「リベラル」という言葉ができました。保守革新の革新をリベラルと称されますが、根本としてはこの「寛容」という言葉は私にとってしっくりきました。

ガンジーの政治

中島氏の専門が、ガンジーということで、ガンジーの政治についても紹介しています。

ガンジーは、権力に対して暴力をもって戦うのではなく、ただ徹底的に従わないことを貫くという、「第一次非協力運動」を活発化させました。 

そのスローガンの1つとしてガンジーが掲げたのが「スワデージー」と「スワラージ」です。スワデーシーとは、自国産品愛用運動といわれ、地産地消をしましょうということ、スワラージとは、自分自身と統御するということです。

このスワデーシーとスワラージということから、権力に対して自主独立を図っていったのが、ガンジーの政治ということになります。

また、ガンジーは「法とダルマ」ということも意識していたそうです。法とは、法律などの実定法で、ダルマとは法律と実定法を超えた宇宙全体の法則のようなものを指す、宗教的な言葉です。法律的には正しくてもダルマとして間違っていることは従わないといういうことを貫いていました。

民主と立憲 

過半数がイエスと言った法律や物事が通っていくシステムが民主という考え方、過半数がイエスと言ってもだめなことがあるというのが立憲という考え方です。 

では、そのダメと言っている主語は誰なのか。それは、過去を生きた人たち、つまり死者たちを指していると中島氏は述べています。

それが端的に示されているのが憲法97条だそうです。

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

まさにこれを書いている主語は、過去を生きた人たちですね。 この97条をもとに中島氏はこのようなことを述べています。

死者たちが経験したことによって、現在や未来は一定程度拘束されている。今を生きている人間が何でも変えていいわけではない。それが、憲法の土台なのだと思います。そして、最も強く拘束されているのが権力であり、それによって権力の暴走を防ぐのが立憲という枠組みなのです。
逆に言えば、死者からの信託を忘れた時代、死者の存在を自分たちの共同体の外に置いてきた私たちの社会は、民主主義が暴走しやすい状況になっているのではないかというのが、私の考えです。
死者の存在を無視して、生きている人間だけで物事を決定しようとする。それは、生者の怒りに過ぎません。民主主義は常に、死者によって制約された民主主義、立憲民主主義でなければならないのです。

これらの用語から学ぶこと

ここまで「リスクの個人化、社会化」「リベラル」「ガンジーの政治」「民主と立憲」という言葉について紹介してきました。

2015年に国会議員の4分の1が要請したにもかかわらず臨時国会を開かなかった(これは2020年にもありましたね)ことや、検察庁法改正のことや、日本学術会議の任命拒否の問題について、これらは民主主義である多数派であることを良いことに自分たちに都合の悪いことは全面的に拒否するということを現政権がやっていることを如実に表しています。また、憲法を改正しようともしています。

これに対して「立憲」という考えの立場から、これまでに築かれてきた権利を守りよりよい社会にしていくことが今を生きる我々が必要なことです。その上では、様々な人に対して寛容になりましょうというリベラルの考え方やガンジーによる政治・権力を自分のもとへ取り返すという考え方は大いに参考になると思います。

そして、憲法97条にあったように、基本的人権は、これまで人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であり、これを永久の権利として我々に「信託された」ものであるということを念頭に置いて、政治と向き合っていかなければいけないと思います。

ではどうやって向き合っていくのかということは、自分で考えましょう。だから「自分ごとの政治学」というタイトルになったのかと思います。方法論ではなく、政治に対する姿勢ということを、私はこの本から学びました。

とてもスッと読めるので、是非この本を機に政治について考えるキッカケになれたら幸いです。

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