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【追憶のプリン】

ふと冷蔵庫を開けると、プリンが入っていた。

夫がプリンを買ってきてくれていた。

プリンは人並みに好きだし、もしあったら嬉しい。けど日常で自らストック買いはしない。

私の中でプリンとは、その程度な位置付けだから、自分で中々プリンを買って来ることは無い。
だから久々に逆台形のあのプリンたるフォルムが目に入り、少し胸が高まった。

一体どこで買ってきたの?と聞いたら、スーパー(ダイエー)で売られていた、普通のプリン。
店内で手作りらしく、アルミの銀の入れ物に入って冷蔵庫の中で鎮座していた。

パ○テルのとろけるやつでもなく、
××卵をたっぷり使った超こだわり製法プリンでもない。

けどなんか久々だったからかきちんとお皿に移して食べたくなった。

スプーンですくうと柔らかくて自然な甘さで。

なんて言うんだろう、作る人の温もりが感じられる、ちゃんと血の通ったプリン。

カラメルも、硬すぎず、ほろ苦で甘すぎず。

何だろう、何かを思い出す。

小さい頃、母がよく作ってくれたプリンに似ている。

ほんのり温かくて、崩れやすくて。でもとびきり美味しかったプリン。

エプロン姿の満ち足りた表情の母と、幸せだった家族の日常。

母は健在だけど、色々過ぎ去って変わり果てた家族になったので、きっと私はもう二度とあの母の手作りプリンを食べることは無い。

もう二度と。

ダイエーの手作りプリンは、私をちょっぴり感傷に浸らせた。

はっと目をやると3歳の息子がぐちゃぐちゃにしながらダイエーのプリンを食べていた。

いわゆるワーママである私は、果たして幼き日の母のプリンのような、幸福な家族の記憶の様なもの、手作りの愛情みたいなものを、子どもに与えてあげられるんだろうかと不安になった。

働くことは、私の選択であり揺らがない『絶対』。ただそれと引き換えに、レンチンやお惣菜を与えている、都会の暮らし。
手作りのおやつは作ってあげたことがほぼ無いし、大根の面取りも、茄子を水でアク抜きすることも、私はやめた。丁寧でゆったりとは無縁な母である自分。
でも、いいんだ、出来る範囲で。これから。
手作りおやつは作ってあげられなくても、生きる上で大事なことを教えてあげればいいんだ。幸せは手作りの温もりだけに在らず。

おっと、不覚にも、ダイエーの手作りプリンは、
私を過去と未来どちらにも彷徨わせる。

今日は母の日。
世界中のお母さんにおめでとう、
そして母でいられること、家族へありがとう。

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