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彼女の胸のエイリアン3

栗鼠のように可愛らしい人

「それ、無印のパジャマですよね? お揃いです」

後ろから声をかけられた。

手術の翌日、傷が痛いし頭も痛いのに痛み止めを出してもらえず、ドレーンがぶらぶらして鬱陶しいし、ヨタヨタと5センチずつくらいしか進めない中、カフェにある自販機に水を買いに行く私に無邪気に満面の笑顔で話しかけてくるその人は、確かにお揃いのパジャマを着ていた。

どうやら同室の女性で、私よりも少し前に手術をしているらしい。

私は人の顔を覚えることがものすごく苦手だ。失顔症という脳血管障害があるようだが、若い頃から必要最低限な人たちの顔を覚えるので精一杯な自分は障害があるに違いない、あるいはものすごく薄情な気質なのかもしれない、そんな風に思っている。

30代前半に皇居のお堀の近くにあるデザイン事務所で働いていたころ、階段ですれ違った男性が「よお!」と声をかけてきて「あんた誰?」と心の中で思ったが笑顔で挨拶を返した。その後30分後ほどで思い出したのだが、その人は約1ヶ月前に退職して別のデザイン事務所へ移った1年もの間狭い事務所で毎日毎日夜中まで顔を突き合わせていた先輩だった。

私は顔を合わせなくなると忘れてしまうのだ。

街中で「ねえねえ、はまぐり子ちゃんじゃない?」と声をかけられ「私、同級生の!」と皆一様にクイズ問題のように自分のことは覚えているよねという重圧のある質問を投げかけてくる。しかし私が覚えているわけがない。

だから同室だという彼女の顔を覚えるのもかなり苦労した。四人部屋はカーテンを閉め切ってプライバシーを守った状態になっている。コロナ禍の病棟ではマスクを外して顔を合わせるのは3食をとるカフェでのみ。私が選んだ病院は、乳がんに特化した個人病院で食事は皆んなでとりましょうというスタイルだった。種類も病期も異なれど基本的には全員乳がん患者であるため、少なくともそれだけは共通点で話題にもできる。だから私はそれぞれの人を覚えるために、病状などを紐付けて、名前と顔を必死で覚えた。

栗鼠のような可愛らしさで笑顔を絶やさない彼女は、とても覚えられない長い名前の難病指定の病気を二つ持ち、服薬しないと上が200に達する高血圧で、おそらく遺伝性の乳がんの家系の人だと、自己紹介した。母親も叔母も乳がんにかかり、自分もおそらくなるだろうからと半年に一度検査をしていたらしい。非浸潤癌の診断で左の乳房を全摘。今後、右の乳房も切除することになりそうだと言っていた。遺伝性乳がんかどうかの検査を受ける手順と費用の概算について看護師と話をする声がよく聞こえてきていた。遅くにできた一人娘がいるそうで、母、叔母、自分が乳がんであれば、娘の将来が心配になるのは当たり前だし、やっと授かった一人娘ならなおさらだ。全摘するか部分摘出するかは病期や種類など生検の結果と本人次第だが、彼女は非浸潤なのに全摘したのは他の病気と遺伝性の可能性が高いからという理由のようだ。

栗鼠の母親

私はそもそも両親に病気のことは隠しておきたかった。しかしDr.ヤマネコが手術の最中に万が一のことがあった場合、重大な決定ができる付き添いが必要だというから仕方なく話した。付き添った父には万が一の時は延命しないようにと再三頼み込んでおいた。生きることにあまり執着はない。でも命を粗末にする気もない。両親より先に死ぬような親不孝はしたくない。乳がんを治療しないという選択肢もあったが、これらの理由から治療を選んだ。
コロナ禍であったが家族のみ1日15分まで面会は可能であった。私は両親には面会はコロナ禍なのてできないと嘘をついた。だから私のところには誰も面会にこなかったが同室の方々のところには毎日面会者がやってきた。

そして中でも栗鼠の母親は、騒々しい人であった。

つづく

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