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ショート にせぎつね

「ふぅ、今日も忙しかったな」
僕は軽くため息をつくと、アパートのドアノブに手を掛けた。
もうすぐ午前1時、隣に迷惑が掛からないように静かにドアを開け、静かに入り、静かにドアを閉めるとまた、「ふぅ」とため息が出た。

「はら減ったなぁ」
「もう、ホントに忙しかったよ」
僕は誰もいない部屋に向かって、誰かに話しかけるようにつぶやいた。

18歳で田舎を出て、東京で働いている。もう7年になる、早いような遅いような。
最初の仕事は町工場でネジ作りだった。意外とハイテクで難しい作業、嫌いではなかったが、機械を扱う仕事はやはり向いていなかった。
今の仕事は動物園の飼育員。動物園は圧倒的に夜が忙しい。夜行性の動物も多いし、餌の準備も大変だ。昼夜関係なく、動物たちの病気や出産といったこともある。
だから夜勤じゃなくても帰りが遅くなることはしょっちゅうだし、急な泊りも多い。
でも気に入っているんだ。
僕の田舎は世間でいう「地方」や「ふるさと」を意味する田舎ではない、本当の本物の田舎だった。だから子供のころから山や川で遊んで、野生の動物と出会うことも多かった。
そして僕自身、常に野生を感じる子供だった。
「だからかな、嫌にならないのは」
僕が誰に言うでもなくつぶやくと、腹がぐぅっと鳴った。
「そうだ、きつねうどん食べよ!!」

夕食は園で食べた。持ち回りで作ってる「まかない」みたいなやつだ。
でもやっぱり25歳、夜中にお腹がすくのも当たり前。
やかんでお湯を沸かして、カップうどんのふたを半分開けて、中からスープを取り出して、カピカピのお揚げさんの上に乗せるように入れて、ちんちんに沸いたお湯をお揚げさんの上のスープが溶けるように掛けて、ふたを閉めたら7分間、普通より2分間長く置いて食べる。
これは僕がきつねうどんを食べるときのルーティーン、僕は柔らかめのうどんが好きなんだ。
「いただきます」僕はカップのふたをちょっと残すくらいめくって、お揚げさんをちょんちょん、とつついた。メガネが曇る。
そのとき、テーブルの向こう側にふわっと霧のようなものが沸いて、人影が見えた。
「わっ!!」
僕は驚きの余りカップを取り落とすところだったが、すんでのところで留まった。
「どうぞ、きつねうどん、召し上がって」
人影から声が聞こえた。
「ほら、伸びたうどんがもっと伸びるし、どんどん冷めちゃうよ?」
霧のようなものはふわりと晴れて、人影ははっきりと見えるようになった。若い、女の子だ。
「マジか、か、かわいい」
僕は思わず声に出してしまった。
女の子の頭にはふわふわの毛に包まれた小さな三角の耳が付いている。
まん丸の目に濃いめのアイメイクが印象的だ。
少し丸くて小さな鼻、小さな唇はほんの少しとんがっている。
「君ってもしかして、きつね?」
「うふふ」
僕の質問に女の子は答えず、意味ありげな笑みを浮かべた。
「ほら、食べてください、きつねうどん」
「あ、そうか」

食べてる場合かどうか、今の僕には判断できなかった。
柔らかいうどんをひと口すすり、だしをズズっとすすり、お揚げさんをひと口かじると、少し冷静に考えることができた。
「こんなきつねに会うなんて、田舎でもちょっとなかったことだぞ?それもだ、こんな可愛い子がきつねで、目の前に突然現れるなんて、これは相当、いや、超絶に高等な・・・ん?」
僕はそこまで考えると、きつねうどんから女の子に目線を移した。
「耳が、小さい」
僕の言葉に女の子は素早く反応した。
「大きい子が多いけど、少し小さいのが可愛いでしょ?」
「目が丸くて、周りが黒い」
「そう?これ、目の周りが黒いの、人間界では流行ってるんじゃない?」
「それと、しっぽ、しっぽは?」
「キャッ!!」
女の子の後ろに回り、しっぽを確認しようとした僕を女の子はあわてて止めようとして、そして倒れた。
女の子のお尻には、ふわふわで丸くて、焦げ茶色のしっぽが付いていた。
「やっぱりか、君、なかなかやるけど、惜しいね」
僕は遥か上からの態度で、女の子に言った。
「君がきつね族ならすごいなって思ったんだよ。でもこの程度のレベルなら、ぼくらの種族では物足りない」
女の子は下を向いてしまった。
「狐が人間に化けてるように見せたかったんだろ?耳と口許はよく似せてるけどやっぱり違う。観察力の問題なのか、先入観か、いかんせん、しっぽは君の弱点みたいだ、ダメだね、不合格」
僕が次々と繰り出す辛らつな評価に、女の子はうなだれるばかり。
「でも、人間のパーツはかなりのレベルだった。僕がもし人間用の眼鏡をかけていたら、もしかしたら・・」
その言葉を聞いて女の子は顔を上げた。
試験に落ちたのが悔しかったのか、その目は涙で潤んでいたが、僕の言葉はよほどうれしかったんだろう、口元には笑みが浮かんでいた。
「そうなんです、あなたと同じような眼鏡をかけてるA級試験官を、すっかりメロメロにした子もいるんです!!」
--ははぁ、あの子とあの試験官のことか。
僕はその「狐娘にメロメロになった試験官」の顔を思い浮かべた。
「あの子はすごいよね、完全人間化をあえてしない、狐娘ってキャラを初めて完成させたのは彼女なんだから」
女の子はうんうんと頷いている。
「でもね?あのメガネのA級試験官は、結局あの狐娘を選ばなかったんだよ?」
目の前の女の子にハッとした表情が浮かんだ。
きっとあのふたりの顛末を知らなかったんだろう。知っていれば違うアプローチもあったんだろうが、惜しい。
それで僕は、女の子にアドバイスを与えることにした。
「君のようなアプローチにぴったりの試験官を教えよう」
女の子の目が輝いた。
「でも今の君のレベルではその試験官にすぐ疑われて、君は新緑のたぬき?と問われるだろう」

女の子は真剣に僕の言葉を聞いている。
「そうしたら、いいえ、私は真っ赤なきつね、と答えるんだ。そうすればその試験官はものすごく喜んで、うっかり君を合格にしてしまうかもしれない」
女の子は、ほんとかな?という顔をしている。
「いいかい?黒くて長い髪の試験官だ。”なんですかぁ”っていうのが口癖で、すぐに漢字の由来とか例え話とかしだして試験を脱線させる。特S級試験官なんだけどね、つまり、いい人なんだよ」
その言葉を聞いた女の子はパッと目を輝かせたかと思うと、その体にふわりと霧をまとった。
「試験官、ありがとうございました!長い黒髪の特S級試験官、隙をついて化かしてみます!!」
そんな言葉を残して、女の子は目の前から消えた。

「ふぅ、こんな時間のこのタイミングを狙ってくるとは、なかなかあなどれない若者だったな」

・・・

太古の昔から、僕たち”たぬき族”は”きつね族”を凌駕する化け学を身につけていた。
いつの頃からか、たぬきときつねは切磋琢磨し、お互いの化け学にS級やA級といった階級を設け、種族の垣根を越えた階級試験を受けることで自分たちの能力を向上させた。
今やきつね族の化け学も、たぬき族のそれに追いつく勢いだ。

僕は、たぬき族A級化け学試験官、これからも未熟な若造どもを鍛えなければ。きつね族に負けるわけにはいかんのだ。
そんなことを考えていた時、僕は大事なことに気が付いた。

「あぁ、きつねうどんが伸びきってる」

ぐぅっと、ハラが鳴った。


このお話はフィクションであります。

本文と写真は全く関係ございません。

思い当たる企業様、個人様も全く関係ございません。

ええ、ございませんとも。

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