見出し画像

【エッセイ・ほろほろ日和17】ファーストアルバムには良くも悪くも自分が強く刻印されている

1995年リリースのファーストアルバムを聴き直す。
あぁ…… なるほどねぇ。痛たたた。
もがいていた当時の記憶がよみがえり、ギュッと胸が痛む。

アーティストとして、自分を確立したい。
どうしても売れたい!
そのためには「CDを制作して売る」しかないと思っていた。
だって当時は、YouTubeもSNSも、まだこの世にない時代だったから。

ある日、友人が「この前知り合った人からカセットもらった」と、
手渡してくれた。
そうそう、デモテープ。
デモは、カセットテープに録音して音楽関係者に配る時代だった。

で、自宅に戻って、そのカセットを聴いてみた。
シンセサイザーで作られた楽曲は、「水の風景画」というタイトルで、湧き水が海に流れ込むまでをイメージして制作された歌のない楽曲。
いわゆる、インストゥルメンタル集。
私、シンセサイザーも打ち込みも多重録音もほとんど知識がなくて、
「音楽は生が一番。機械音楽なんてどうなのよ」という、無知で斜めねじれの姿勢でしかなかったのだけれど、その楽曲がスピーカーから流れ出て来た時、心底驚いた。
とてもひとりの人が演奏しているとは思えず、音楽の繊細さ美しさにちょっとオタオタしてしまった。
慌てて友人のミュージシャンに聴かせると、その人もひっくり返ってうなっていた。

どうしてもこの人とCDを作りたい!
この人となら、なにかできるはず!

そう思い込んで、デモテープをくれた友人に、この人を紹介して欲しいと頼み込んだ。
現れたのが重信将志。
当時バイトで焼き芋屋をやっていた。

「焼き芋屋さんとCD作る」と友人に話すと、大抵「石焼き芋のCMソング」を作っているのだと思われた。

そして出来上がったのが、ファーストアルバム「つむぐ歌」だ。
現場は凄まじく荒れた。
私と重信、お互い我が強い。
譲れないものも多い。
毎日、ぶつかりまくった。
私は、アルバム全曲を聴き終わった時に、映画を一本観終えたような充実感があるものに仕上げたかった。
人間の命の営みみたいなものも織り交ぜたかった。
誕生から宇宙に飛んで、生命の循環的な要素も入れるんだと頑張った。

当然、力む。
それを重信は指摘した。
すったもんだの挙句、ようよう仕上がった時には、闘いから解放される嬉しさに万歳をして泣きもしたけれど、自分のダメさが刻印されているようで聴くのが怖かった。

それから重信とは三枚のアルバムを制作した。
「何かが出来るはず」という勘は当たっていて、結婚し子どもまで作って育てた。
そして、あっという間に銀婚式も過ぎてしまった。
「ねえねえ、リミックスして動画にした!」
嬉しそうに重信がUSBを持って来たのは、2023の春。
動画になったことでエンタメ要素が加わり、観ていてなかなか楽しい。
「イイねぇ」なんて二人で悦に入る。

歌声を聴くとあの頃の痛みがよみがえるけれど、何かを目指して手に入れられなかったことを悔やみ、あきらめ、それでも前に進もうとしていた自分のつたなさ、一途さを、ちょっと認めてやりたい気分にもなる。
「売れたい!」がするりと抜け落ちた今だから、受け止められることもあるのだろうし。

私が伝えたかったことの本質は、たぶん今でも変わらない。
伝えきれていないもどかしさだけは、今も生々しく私の中にある。
あの頃の自分が、「隠居はまだ早いぜ!」と怒っている気がした。








お読みいただき、ありがとうございました。ご支援をいただけるのは、とても励みになります。嬉しいです。引き続きよろしくお願い致します。