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43歳のおっさんが長男に張り合ってアキレス腱を切った2 入院・手術そして船越大暴れ

続きです。

前回は診察とセカンドオピニオンを諦めて緊急手術に踏み切るまで。


さて、今回の記事を書く前に「そもそもなんで僕はアキレス腱を切ったのか」です。

アキレス腱を切る原因を調べてみると基本線は「加齢」と出てきます。

身も蓋もない。

30代〜50代のスポーツ愛好家で受傷率が増える模様。

身も蓋もない。


もう少し調べると、詳しい原因はわからないもののアキレス腱自体の柔軟性の低下が原因ではないかという記載も見当たりました。

確かにそれっぽい理由ですが逆によくわかりません(苦笑

僕は筋肉はめっぽう柔らかく、前屈は両掌が地面にベッタリとつきます。

日常的にストレッチを行なっていて、家ではストレッチボードに乗ったりします。

スクリーンショット 2021-01-25 18.02.35

こんなやつです。ストレッチボード。

僕はこれを最大角の39度で乗ったりしてました。

僕のアキレス腱、本当に柔軟性がなかったのでしょうか?

次に怪しいのはむしろトレーニング。

僕はこの冬からスプリントトレーニングをちょいちょい取り入れていました。

走りの学校というyoutube番組を見て少年サッカーの指導の合間にこれを積極的に取り入れていたのです。

ちょっとやりすぎて右足の(受傷したのとは逆)アキレス腱に痛みが出ていて、湿布を貼ったりしてました。

これ、ひょっとして前兆だったのかもしれません。

筋肉は3ヶ月で入れ替わり強化されますが、骨、腱、靭帯、軟骨は入れ替わるまでに相当時間がかかります。一説によると1年かかるとか。

トレーニング方法を変えたことに体が追いついていなかったのかもしれません。

走る、飛ぶといった技術はすぐに伸びますが、体の耐久力は急には伸びませんから体にかかる負荷を急に増やしすぎたのかもしれません。


ということで僕が想像する「僕がアキレス腱を切った原因」

・加齢
・トレーニングを変えたことによる腱にかかるストレス増加

の2点です。

さて、気を取り直して入院です。入院。

いざ入院 20年ぶり2回目

まずは部屋に入るわけですが、今回は僕は個室にしようと決めていました。

スポーツ専門病院とはいえ時期が時期ですから相部屋は避けたい。

病院側も同じ思惑だったようで見事やや割引の料金で個室に入ることができました。

角部屋で僕の愛するビッグスワンがよく見える部屋です。


入院してやることはいくつかあります。

・日用品の準備 (ティッシュ、歯ブラシ、コップ、翌日の着替え、ONE PIECE 10冊くらい)
・血液検査
・入院、手術の申込書のサイン

大まかにいうとこんな感じ。

日用品は妻が持ってきてくれました。

午前中に入院したのでお昼ご飯を食べることが最初の仕事。

20年前の入院では学生なのにあまり食が進まず無理やり食べた記憶があります。

今回はというと結論は「めちゃくちゃ美味しかった!」です。

写真は撮りませんでしたがまずはお米がおいしい。新潟に住んでいる人間としてはお米が美味しくないと全く食欲が湧きません。

20年前の入院では「米が美味くない」というのがとにかく印象に残っていましたが、20年で相当改善された模様。

量こそ少なかったですがお味噌汁も、おかずもとても美味しかったです。


ご飯を食べたら点滴をスタートさせて本格的に手術の準備です。

点滴はまぁ20年前にガンガン打たれているので慣れたもんです。


予定通り15時から手術開始。

20年前は骨にプレートを入れる手術だったので腰椎麻酔と言って背骨に麻酔を入れるタイプでした。

今回は骨はいじらないので局所麻酔です。(局所麻酔は骨の痛みには効かない)

局所麻酔はちょっとずれると触覚も痛みもあるので地味に結構怖いです(汗

いざ手術 手術前に聞かれることは?

入院してから聞かれまくることは「アレルギーはありませんか」「飲んでいる薬は?」ですが、今回の手術前に聞かれたことは「手術中の音楽のリクエストはありますか?」「アロマを用意していますがご希望はありますか?」というもの。

どちらも患者をリラックスさせるためのものでしょうね。

僕は術中に好きな音楽を聴きたくなかったので(嫌なイメージを持ちそう)音楽もアロマも遠慮しておきました。

時間が来るとストレッチャーという移動式のベッドで手術室へ運び込まれます。

予定手術時間は40分。20年前の手術が2時間半でしたからそこから比べたらちょろいもんです。

手術台に乗せらられ、患部の洗浄、固定、麻酔をかけていよいよ手術スタート。

術中頭の中で流れたのは船越大暴れ(ジンギスカン)

うつ伏せで手術を受け、まさにアキレス腱の部分にメスが入ります。

基本全く見えないので想像するしかないのですが、おそらく切断後筋肉に引っ張られて脹脛の方に移動しているアキレス腱を踵側に引っ張りながらの手術だったはずです。

裁縫のように針を刺し、糸を引っ張るテンションが思いっきりふくらはぎにかかります。

すごく嫌な気分です。

時折痛みもあり麻酔を追加してもらいます。

20年前は腰椎麻酔で半分眠りながらでしたが、今回は完全に覚醒しているのでそれが怖い。辛い。

術中「なんでこんな思いを・・・」と考えていると、ふと元アルビレックスの船越優蔵選手のことを思い出しました。

2002年に大分トリニータからアルビレックスに加入。194cmの超大型FW。
加入後、ブラジル人FWマルクスと2トップを組み戦術の中心として活躍するもシーズン終盤の超大一番だったアウェイ大分戦でアキレス腱を断裂。僕はこの試合を現地で見ていました。

事実上、この瞬間このシーズンの挑戦は終わってしまったわけでものすごい喪失感でしたが彼の物語は終わりません。

2003年夏に復活し再び活躍し、チームをJ1に昇格させるも2005年に再断裂。さらにリハビリ中にも再々断裂。彼は傷つき復活しチームを救う僕のヒーローだったのです。

その船越優蔵の応援歌「船越大暴れ」が自動的に脳内リピート。
メロディーは1980年代のあの「ジンギスカン」です。

3度断裂した船越に比べればたった40分の手術。15年前、偶然会った定食屋さんで握手してもらった彼の大きな手を思い出し歯を食いしばります。

痛みに耐えながら僕の脳内で船越選手が15点ほどゴールを決めた頃、ようやく無事手術終了です。(外したシュートは30ほどあったでしょうか)

僕は耐えるだけでしたがなぜか一仕事した気分です。

術後 先生に聞いてみた

hama ) 先生、何針くらい縫ったんですか?

先生)何針っていうのかなぁ。。。太いところに4本繋いで、あとは幹部をグルグル巻にするように。。。合計10針くらいなのかなぁ。。。

なんと!

そんな針の使い方!

言われてみるとグルっと巻く方向にテンションがかかっていたような気がします。

先生曰く、切れたところはささくれ立つようになってしまうのでそこを巻いて補強しているのだそうです。

しかし、本当に辛いのは実はこの後だったわけです。

43歳のおっさんが痛みで寝れない一晩が待っている


続く)


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