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雨女のとばっちり

母は、歯医者の予約の日に限って雨女になる。


「明日は夕方から雨になる模様」との予報に、母が悲鳴をあげた。
8月になってから、大阪は晴れつづきの毎日だった。そろそろ涼しくならんかなぁ、なんて言っていた矢先の雨予報。歓喜する私のとなりで母は「明日歯医者やのに…!」と天を仰いだ。

「言うても予約は午前なんやろ? 降られんって!」
「大丈夫かなぁ。大丈夫よなぁ」

私にとっては他人ごとだ。さすが雨女、バッチリ被せてくるなぁ、とけらけら笑っていた。

予約の10時半はカンカン照りだった。気ぃつけて行きや、と日よけの上着と帽子を装備した母を送り出す。毎度毎度ずぶ濡れで帰ってくる母だけど、今日ばかりは熱中症リスクのほうが上だろう。
エアコンをつけた部屋でのんびり過ごしていると、父からの電話が鳴った。有給がたまっているから午後休を取ることにした、昼過ぎに帰る、とのことだった。残念だったな父よ。今日の昼飯は君のニガテなゴーヤと茄子だ。内心ニヤニヤしながら「幸っちゃんはまだ歯医者やでぇ」と電話を切った。

ここまでは平和な一日だった。


夕方4時過ぎ、私の勉強がひと段落ついたところで、母が「朝のスムージーに使うバナナを買いに行かないと」と言い出した。「ついでにパンも買いたい」「あと玉出でカイワレ大根も」次々出てくる買い物リストを頭の中にメモしながら、ほんなら行こか、と私も腰を上げた。

このときにスマホを持っていくか、もしくは隣室で寝ていた父を起こしておけばよかったと、後々愚痴ることになるとは知る由もなかったのである。……いや少しは予想できたな?


最短ルートで店を回って、最後のスーパーの自動ドアをくぐる。その時点で雷は鳴っていたし雨もポツポツ降り出していた。それでも短絡的な我々は、まだいけると思っていた。
大急ぎで隅から隅まで見て(これがまずかった)、バナナと大根とキウイをエコバッグに入れて「さあ帰ろう」とした時には、ナナメ降りの雨がコンクリの地面に打ちつけていた。

我々は母の雨女っぷりを甘く見ていた。どれだけ甘かったかと言うと、洗濯物は干しっぱなしだし、持ってきたのは晴雨兼用ではない日傘だった。スマホを置いてきたので寝ている父を起こすこともできない。
もう打つ手はなかった。

「もうどうしようもねぇな〜〜!」「もう何にもできないな〜〜!」と諦め音頭を踊りながら、我々はスーパーに戻り、時間つぶしにまた隅から隅までじっくり店内を回った。

せめてアイスでも食べながら待とうと母を誘い、吟味に吟味を重ねてmowのイチゴを選んだ。「もうダメだ〜!」「mow食べるしかない〜!」とヤケクソで食べたアイスは甘くて冷たくて美味しかった。


雨はナナメ降りから垂直降りに変わっていた。これ以上の改善は見込めないだろうと、布製の日傘をさして早足で帰った。
ありえないくらい水滴まみれになる日傘を見上げながら、私は「父が寝てるほうにカルパス一本賭けるわ」と持ちかけた。母は「起きてるけど雨に気づいてないと思う」と言った。なんだこの救いようのない賭けは。信頼のない父である。

帰ったら、なんと父は起きていた。しかも洗濯物は助かっていた。
マカロニウエスタンを観ていたら雷の音がして、教えてやろうとリビングに来たら誰もいなかった、と拗ねたような顔の父。思わず拍手をした。我々の判断はあんがい間違っていなかった。
服はびしょ濡れだけど、久々の恵みの雨だ。これくらい許容範囲やね、と我が家の雨女を見やると、パンツ一丁で買ったものを冷蔵庫にしまっていた。

とんだビーナスがいたものだ。晴れやかな雨の日だった。

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