坂道。

小学5年。2000年7月25日。土曜日。18時。

僕は人を殺した。

家の前には急な坂道がある。出掛ける時は玄関を出て右に進み、自転車が傾き足がパンパンになる坂道を登る。家に帰ってくる時はブレーキをかけ、坂道をくだり終わると家の前にたどり着く。
あの日もいつものように玄関を出ていつものように右へ進み坂道を登りサッカーをしに学校に向かった。
5分ほど自転車を漕ぎ、学校に着き校庭の方に目を向けると誰もいなかった。今日はサッカーが休みの日だった。間違えて来てしまったがせっかく来たので1人で軽くストレッチをしドリブルをしてシュートをする練習をした。
2時間ぐらいは経っただろうか。辺りが暗くなりそろそろ帰ろうと思い、帰り支度をして自転車にまたがった。
家の近くの坂道に着き、とても蒸し暑かったのでその日はブレーキをせずに坂を利用して猛スピードでくだり、風を感じていた。

その時だった。

僕は人を殺した。

坂をくだっている途中、脇から出てきた腰が曲がりひげが長く全身真っ黒でボロボロのジャージのような服を着たおじさんとぶつかった。
ブレーキをかける暇もなく2人とも吹っ飛んだ。
宙を待っている間、僕は一切まばたたきをしていなかった。雲が気持ち良さそうに浮いているのがわかった。
ドスン。
打ち所が良かったのか僕はほとんど痛みを感じることなく起き上がれた。
ふとおじさんを見ると横に倒れていて全く動いていなかった。
僕はどうしたらいいか分からず周りを見渡した。誰もいない。変形した自転車が目の前に転がっているだけだった。
僕は人を殺した。
おじさんに近寄り声をかけるのが正しい。ただ、怖くて怖くて仕方なかった。おじさんに近寄ることすらできない。おじさんから声をかけてきてくれればどれほど楽か。
この状態がどれほど続いたかはわからない。
1分?いや、5分?
この間、僕は息をしていただろうか。体中が震え、肩が大きく上下に動き、10歳の僕にはどうすればいいのか判断が出来ない。
自転車を起こし、ちらっとおじさんを見た。おじさんの頭から流れている血が坂道をくだっていた。
とにかく1度家に帰ろう。
おじさんには近寄らずまっすぐ家に向かった。歩きながら恐怖と戦いながら、だんだん呼吸が整っていくのがわかった。
家の前に着くころにはいくらか冷静になっていた。ガチャっと玄関の扉を開けるといつも通り母親が「おかえりー」と言った。
10歳の僕は今さっきあった出来事を親にどう説明したらいいか分からずにいた。怒られる恐怖があった。
「先にお風呂入ってらっしゃい。すぐご飯できるから。」
僕は簡単な返事をし、お風呂に入り少ない知恵を振り絞り考えた。この状況をどうしたらいいか。
そして1つの答えに辿り着いた。

夢だったんだ。

10歳の子供が出した答え。それは現実逃避だった。きっと夢だったんだ。

僕は人を殺した。夢の中で。

お風呂からあがり、家族でご飯を食べる。
休日はいつもソファーに寝転がりテレビを見ている父親。せっせと働く母親。
机の上には大好物のハンバーグ。
何もなかったと自分に言い聞かせバクバク食べご飯をおかわりした。夢だったんだ。夢だったんだ。
部屋に戻りベッドに入る。
目をつぶると、震えて肩で呼吸している自分と、変形した自転車と、倒れて全く動かないおじさんと、頭から流れて坂道をくだっている血が浮かぶ。その瞬間呼吸が少し荒くなったがだんだん落ち着いていきそのまま眠りについた。
僕は人を殺した。夢の中で。


小学5年。2000年7月26日。日曜日。9時。
昨日僕は人を殺した。夢の中で。
遠くから聞こえる母親の声で目を覚ました。
寝ぼけながらトイレに行き、朝ごはんを食べ、歯を磨き、服を着替え、サッカーボールを持って家の玄関を出た。雨がパラパラ降っていた。
僕は焦った。
自転車が変形している。
家に戻り僕は母親にすぐ嘘をついた。
「昨日帰り道、転んで自転車が曲がった。だから走って行ってくるー。」
なんとなく母親の返事は聞こえた。あまり話をすると何か言ってしまいそうだったので急いで家を飛び出した。玄関を出て小走りで右に曲がった。坂道を走って登ってる時に昨日の場所に辿り着いた。
誰もいない。。。
何もない。。。
おじさんはいなくなっている。
雨のおかげで血も流されている。
いつもと変わらぬ道だった。ただ唯一ひとつだけ違うことがあった。
僕の呼吸が大きく激しく乱れていた。 


小学6年。2002年1月21日。水曜日。
僕が人を殺してから1年半がたった。
3時間目の国語が自習になった。みんな喜んでいる。もちろん僕も喜んでいる。
少し開いていた窓の隙間から冷たい風が入り込んできて、僕はふと外に目を向けた。
パトカーが止まっていた。
校長先生、教頭先生、国語の先生、警察官3人が話している。
僕の呼吸が大きく激しく乱れていた。
やっぱり夢じゃなかったんだ。僕を捕まえに来たんだ。。。
少しして警察官は帰って行った。教室の扉が空き、国語の先生が入ってきた。
僕の呼吸が大きく激しく強く乱れていた。
先生が口を開いた。
「学校の近くで不審者が出たので気をつけて帰るように」
呼吸が落ち着いた。ゆっくりゆっくり落ち着いた。
僕は人を殺した。夢の中で。


中学2年。2004年5月10日。初恋。
僕が人を殺してから3年がたった。
ほとんどの男子が好きだった憧れの女子。もちろん僕も好きだった。
偶然席が隣になった。
毎日毎日楽しくて仕方なかった。わざと教科書を忘れて登校する時もあった。教科書を見させてもらうために。常に彼女を目で追いかけ、常に彼女を意識しながら過ごしていた。
たわいもない話をし、笑いあい、きらきらしていた。
ある日、勇気を出してデートに誘った。「今日帰り道一緒に帰らない?」
一瞬気まずい空気が流れたあと彼女は「いいよ」と言った。僕は嬉しさを隠すのに必死だった。
学校が終わり少し歩き公園に着いた。ベンチに座り、またたわいもない話をしているその時だった。
腰が曲がりひげが長く全身真っ黒でボロボロのジャージのような服を着たおじさんが僕達の目の前を横切り、チラッと僕を見た。
笑顔で話しかけてきた彼女の声はだんだん聞こえなくなり、気付いたら僕は彼女を置いて走って逃げていた。
どこまで走ったか自分でもわからないぐらい走った。怖くて怖くて。とにかく遠くへ。
こんなに苦しい呼吸は今までなかった。
気付いたら僕は知らない街にいた。
おじさんは生きていた?死んでいなかった?もし生きていたとしたら仕返しにくる?死んでてくれた方が良かった?本当にあのおじさん?それとも別の人?
僕は人を殺した?夢の中で?
頭の中がごちゃごちゃになりながらなんとなく歩いていた。すると、前から真っ黒のボロボロのジャージを着たおじさんが歩いてきた。一瞬呼吸が乱れたがすぐに違う人だとわかった。よくよく考えると、公園にいたあのおじさんも別の人だった。ただ一瞬焦って走って逃げてしまった。
しばらくすると見たことのある大通りに辿り着いた。
落ち着いたのか、ふと彼女のことを思った。。。初デート、彼女を置いて急に走り出した自分、初恋、終わった。。。


54歳。2000年7月25日。土曜日。18時。
私は自転車とぶつかり死んだ。
土手にダンボールで作った家に住んでいる。54年間ずっと独身で身内も親戚も誰もいない。昔会社の社長をしていた。バリバリ働いていた。ある程度お金が貯まった50歳の時、ふと思った。
もう何もしたくない。
全て捨てよう。
それから土手に住んでいる。私が生きていようが死んでいようが誰も気付かない。誰も私に興味がない。
お金は全然残っていたが、私は毎日空き缶を拾っていた。
風呂にも入らずひげも伸ばし、真っ黒でボロボロのジャージを着ている。
こんな生活が楽しいとさえ思えていた。
ある日いつも通り空き缶を拾いに歩いてる時だった。
私は死んだ。
きつい坂道を横断しようとしたその時、右からきた自転車にぶつかり目の前が真っ暗になった。打ち所が悪かったらしく、意識が遠くなっていくのがわかった。
かすかに見える変形した自転車と、どうしていいかわからず動けない少年。
少ししたら少年は自転車をおこし、何も言わず去って行った。

ごめんよ少年。私から君に声をかけてあげれば君はどれだけ楽だったか。でも私は今、体が全く言うこと聞かないんだ。
もし私がこのまま誰かに気付かれて救急車を呼ばれて病院で死んだとしたら、君は一生辛い思いを背負って生きていかなければいけないんだよね。

私はこの場から立ち去る覚悟を決め、最後の力を振り絞り、必死に土手の家に向かって歩いた。
家が見えたその時だった。
私は死んだ。
誰にも気付かれることなく。
少年よ、今日のことは夢の中の出来事だったと思いなさい。
享年54歳。


高校2年。2007年2月22日。秘密。
僕が人を殺してから7年がたった。
男子高ということもあり、たくさんの友達ができた。サッカー部に入っていたが、遊ぶ方が楽しいと思い1年の時に部活を辞めた。地元の友達とコンビニの前でカップラーメン食べたり、高校の友達と土手でダラダラしたり、ちょくちょく学校サボって、毎日毎日楽しかった。
ある日久しぶりに学校へ行った。授業中はずっと寝ていた。その帰り道友達の自転車の後ろに乗りカラオケへ向かっていた。ちょっとした坂道をくだっていたその時だった。
横からスーツを着たサラリーマンが急に出てきてぶつかった。
その瞬間7年前の光景が鮮明に頭に浮かんだ。
僕が人を殺した日。夢の中で。
運良くスピードが出ていなかったので転倒することなく軽く頭を下げてまた走り出した。7年前の話を友達に打ちあけようと思った。でも、言えなかった。どう話せばいいのかわからなかったし、この話をして嫌われるのが嫌だった。そもそもあれは夢の中の出来事だから。自分にそう言い聞かせた。
カラオケに着き、ドリンクバーのところに行きコーラを入れようとグラスを持った時、僕の手はほんの少しだけ震えていた。


高校3年。2008年8月5日。友達の女友達。
僕が人を殺してから8年がたった。
地元の友達と会う約束をしていた。いつも友達と話しをする公園のブランコへと向かった。誰もいなかったのでブランコに乗り待っていると、友達とその女友達が歩いてきた。
はじめまして。
僕は電気イスに座りながら雷に打たれるぐらいの衝撃を受けた。とても可愛くてタイプだった。
どうやら友達の女友達は彼氏が欲しいと友達に言っていて、僕を紹介しようと連れてきたらしい。
最初から最後までちゃんと目を見て話すことはできなかったがとても幸せだった。また遊ぼうという約束をして連絡先を交換しその日は帰った。


高校3年。2008年8月15日。彼女。
僕が人を殺してから8年がたった。
いつもの公園、いつものブランコ。ただ隣にいるのはいつもの友達ではない。友達の女友達。
セミロングの黒髪でくりっとした目。やっぱりかわいかった。友達の女友達はファミレスで週に4回ぐらいアルバイトをしているらしい。
僕はなんの感情もなく、ただ普通に、なんでアルバイトしているのか聞いた。
友達の女友達が言った。
ママを楽させてあげたくて。8年前にパパが死んじゃって、ママが1人で育ててくれたから。
僕は8年前、人を殺した。
パパは癌で死んじゃって。そこからママが必死に働いてくれたから。
そっか、偉いね。と、言いながら頭の中では僕が殺した人ではないとわかりホッとしていた。そのあと何度か大きく深呼吸をした。
少し沈黙したあと友達の女友達が急に質問してきた。
「彼女いるの?好きな人いるの?」
「彼女はいないよ。好きな人はいるけど…」
「ふぅ〜ん、私の知ってる人?」
「知ってるんじゃない?」
「誰?」
「教えない。」
「え〜。教えて?」
一目惚れだった。
友達の女友達の性格は一切わからないのに。
告白するつもりなんてなかった。でも思わず口から言葉が飛び出ていた。

「………実は…君のことが好き。もしよかったら僕と付き合ってください!!」

告白する前に心臓が口から飛び出そうになるのは聞いたことあるけど、先に言葉が飛び出してしまったため今になって心臓が飛び出そうになっていた。
さっきまでうるさく聞こえていたセミの声が僕の耳には何も入ってこなくなっていた。それぐらい友達の女友達の声に集中して耳を澄ましていた。

「…お願いします。」

僕は人を殺した。とても幸せな世界の夢の中で。


25歳。2015年6月20日。結婚。
僕が人を殺してから15年たった。
高校の時から7年付き合っていた彼女と同棲をしていて結婚することになった。
僕は今貿易関係の仕事をしている。順風満帆。彼女とは25歳になったら結婚しようという話を昔からしていた。
ついにその日を迎えた。ロマンティックなことが出来る人間ではないので、ベタに綺麗な夜景の見えるレストランを予約し、ベタに指輪を用意して、ベタにプロポーズをした。
僕と結婚してください。
一応緊張はしていた。
彼女は泣きながら、はいと返事してくれた。
嬉しかったというよりは安心した。改めて幸せにしようと思った。
ただ僕は彼女に、いや、僕に関わっているすべての人に隠し事をしている。
僕は人を殺している。
誰にも打ち明けることなくここまできた。
どれだけ嬉しいことがあっても、どれだけ楽しいことがあっても、僕は100%の気持ちで笑ったり喜んだりすることのできない人生だった。常に人を殺したということが頭の隅っこにあった。
これから何十年と彼女と一緒に生きていく。彼女には打ちあけよう。そう強く思った。


26歳。2016年。4月1日。別れ。
僕が人を殺してから16年たった。
嫁にはまだ打ち明けていない。なかなか勇気が出なかった。
そんなある日、嫁からLINEが来た。
これから友達と夜ご飯食べに行ってくる。カレー作っておいたから温めて食べてね。お仕事お疲れ様。
僕は、了解!気をつけてね!と返信した。
仕事が終わり家に帰ると部屋は真っ暗だった。どうやら嫁はまだ帰ってきていなかった。テレビをつけ、作り置きしてあったカレーを温めていた。その時だった。
電話がなった。知らない番号。
「もしもし、警察のものですけど…」
心臓が飛び出そうになった。捕まるのか。とうとう僕は捕まるんだ。まだ待ってほしい。これからなのに。やっぱり僕は人を殺していたんだ。夢じゃなかったんだ。
「奥さんが車に跳ねられまして…」

「病院に至急来てください」
僕は無意識の中カレーの火を止めテレビを消し、急いで家を出てタクシーに乗った。
呼吸が苦しい。
神様お願いします!!助けてください!エイプリルフールであってほしい。嘘だよと言ってほしい。
病院に着き受付で名前を言い、案内された所まで走った。
集中治療室。手術中の掲示板が赤く光っている。
ベンチに座り祈ることしかできなかった。
しばらくして赤い光が消え、扉が開き医師が出てきた。
嫁が死んだ。
うまく呼吸ができない。声も出ない。体温が一気に上昇している。じんわり汗も出てきた。
号泣する嫁の母親。なぐさめながら泣いている僕の両親。きまずい顔の医師。
パノラマのように見える。全てがスローモーションに見える。何も言葉が出ない。脳が動かない。目だけが今を見ている。
僕は泣いていない。涙が出るほど現実を受け入れられていない。きっと僕には愛が無いんだと思った。
周りが気を使ってくれて、病室で嫁と2人きりになった。薄暗くとても静かな部屋。少し触ったら起きそうな寝顔だった。
感謝の気持ちを伝えるために喋り出そうとしたその時、涙が溢れ出た。どれだけ泣いても溢れ出てくる。顔がぐちゃぐちゃになり、涙を拭う手もびしゃびしゃに濡れている。それでもまだ溢れ出てくる。泣いても泣いても溢れ出てくる。体中の水が全て涙になって出て行く。

ありがとう。
君のおかげで僕の人生は明るくなったよ。
君のおかげで僕の人生は楽しくなったよ。
本当にありがとう。
本当にありがとう。


26歳。2016年。4月10日。自首。
僕が人を殺してから16年たった。
嫁が死んでから10日たった。
今僕は警察署にいる。
16年間、夢の中で人を殺したと自分に言い聞かせてきた。でもそれは間違っていた。
人が死んだ時、残された人間の苦しくて苦しくて何も手につかないほどの苦しさがわかった。嫁が教えてくれた。
16年前の出来事を全て警察に話した。
後日、僕が殺した人は身寄りのない人間で死んだことに誰も気付かなかったことがわかった。
でもやっぱり僕は人を殺していた。
刑法上不可罰になると言われた。
行為時に刑事責任能力がなければ犯罪にはならないらしい。調書をとって解決してしまった。


これから先、僕はどう生きていけばいいのか。一生苦しみと悲しみの中で生きていかなければならない。
嫁の墓の前で僕は誓った。
嫁が教えてくれた死ぬという意味を深く考え受け止めて、強く生きていかなければならない。
これからの人生はブレーキをかけながら下ろうと思った。

僕は人を殺した。現実の中で。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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