noteに恋して、noteと懇ろになり、あるときnoteを捨てて、また思い出したように言い寄る
そんなプレイボーイみたいなことをしているなと思う。(すごい、今日2日連続更新じゃん!)
noteを始めるまで、自分は息をするように言葉を綴ることができるたちだと思っていた。書くネタに困るということはなかったし、上手い下手は別にして、気づけばいつでも指が動いて思いのままにひとつづきの文章を完結させることができた。
それも、続ければ続けるほど、精度も解像度も上がっていく。日々すこしずつ、植物が目に見えないような速度で伸びながら内部で細胞分裂を繰り返すように。noteと出会って、自分の内側が変化していくのを感じて、ますます確信を強めることができた。
ところが、書かなくなってしまった。なんの前触れがあったわけでもない。強いて言うならば、カウンセリングを受け始め、書けない(と、あくまで自分が判断した)ことが増えて、制約が生まれてしまったからかもしれない。いまの自分の判断力に自信が持てなくなってしまったとも言えるかもしれない。
とにかく、一度止まった手を動かすのが本当にむずかしく思え、「息をするように」書くということが幻想であったように感じ、私の「ことばのトビラ」は、ぴっちりと閉じてしまった。
あるいは、こんな見方もできるかもしれない。
渡り鳥のような人間なのだ。流れが、季節が、興味が移ればあっさりとそれまでの居場所を捨て、方法論を捨てて新しい護岸に移り住む。ヒトもモノも取り替えるかわりに、自分自身が身の置き所も語る手段も変えてしまう。
そう、歌だけを持って。
ある意味薄情で身軽な、拠り所のない生きもの。未練も持たず今だけを生きる。
そうして、ふと思い出したように古巣(というほど長く居たわけでも、まだないのに)に戻ってみれば、私がここに連れてきた友人があっというまにたくさんの繋がりを持って社会を築いていて、私と同じか少ないくらいだった別の人のフォロワー数が爆発的に伸びていたりして。そんなことを、勝手に浦島太郎のような気持ちで眺めていたりする。
そんなにしょんぼりした気持ちにはならない。だってnoteは、自分が望んで手放し、よそ見をした、もと恋人のようなものなんだから。
自由恋愛はお互い様。
だけど、いざ戻って書こうとしたらうまく言葉が出てこない。気まぐれに触れようとしたら手を振り払われてしまった情けない男のように、取り残されて泣きそうな顔をする。
自由恋愛みたいな振舞いをするくせに、いちいち一途だったり律儀だったりする。フランスあたりの詩人か何かか、お前は。飽きっぽいくせにいちいち本気なんだよな。
……実際には、ほんとうは気後れしているのかもしれなくて、その証左に、ひさしぶりに好きなnoterさんの記事を遡って眺めていた時に出会ったこの文章に、少し心が軽くなってまた書こうという気になれた。ちゃこさん、ありがとう。
そうだよな誰と競うでもないってことは、きっと誰に義理立てするでもない、これは恋愛じゃなくひとり遊びの延長で、そこには「はい、どうぞ」しかないんだから。
翻って、「息をするように書く」ということについて再び思いを馳せてみた。
いやいっそ、実際そうなのだと思う。息をするように書いているから、あたりまえに自律神経が働いて体が息を吸って吐いていたことができなくなると、やりかたを忘れてしまうんだ、却って。
あれ私どうやって文章書いてたんだっけ。意識したことなんてないから思い出せないや。体が勝手にやってたことだもの。
今日、じつはこの文章を書き始めて一度中断している。
寝込んでいたり、心が大荒れだったりして1日離れていた仕事の締切を見つけた瞬間、心が縮こまるのを感じて、ものすごいプレッシャーとともに「書く」という動作がしぼんでいくのを感じた。ああ、そういうことだったのか。
呼吸だってね、心身が乱れればしぜんと浅くなるんだ。無自覚に。
書くことの内容に制限をつけたことと、これまで何年もあたりまえにやってきた仕事が急に重くのしかかってきたこと、カウンセリングによって掘り起こされる、永久凍土のような感情が、本来の熱と重さを取り戻し、それに伴って正当なストレスを順調に感じられるようになりつつあること。
そう、ストレスだ!
ストレスによって、噛み合わない、不自然な滞りが起こると、歌も文章もきれいに流れなくなる。
私は私に対して、どんどん目覚めていっている。これまで自ら麻痺させて、感じないことでなんとか取り回していた日常に、あたりまえの感情を取り戻しつつあるのだ。
書けない私よ、こんにちは。
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