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結婚2年目の旦那に「私たち結局他人だからね」と言ってみた話

「私たち 結局他人だからね」
怒っているわけでも
嫌いなわけでもなくて
家族になっても
やっぱり、私たちは
他人だ




お金に関して話が出た時
もうこいつとはいられないと思った

現金主義の旦那
ポイント貯まらない払い方なんて
もったいなさすぎる
今時なんという……
どれだけ魅力を話しても

「僕はイヤなの」
「怪しい」
の一点張りだった



価値観が合わないなんて
もうやっていけない……
こいつはあかん
と怒りと落ち込みで覆われた


何をそんなにオーバーなと言われそうだけど
私にとっては
大事なことだった




「ねえ、もう無理だと思うんだけど」
とぼそっと言うと
「なんで?」
と平然と聴く
「だって価値観合わないじゃん」
「なんの?」
「お金の使い方」
「ねえ、それって僕たちが一緒にいるってことに
そんなに大事なこと?」



……



何を言われても、一緒にいるということが前提の
このコミットはどこからくるのだろう。
こいつはすごい……


と同時に
納得してしまった


私たちは身近であればあるほど
自分の考えと同じであることをついつい求め
気づくと強要してしまう



「すみかちゃんの為なら死ねる」

と言った母に育てられた私は

家族の為なら

なんでもしなければいけない

考え方を合わせなきゃいけない

という価値観でいた


だけど結局は他人
というか
別の意思をもった個体、個人なのです


自分の価値観を押し付けて
是非を問うのは
人の家に入ってしまうこと


人には人の正義と生き方があり

自分は何を大事にしているのかという哲学がある
何を正義として生きているのかを語り
共存していくことが
平和に生きていけるのだと思います


家族でありながらも
僕は僕
私は私




それぞれが大事にしていることに

いいも悪いもなく

話ができて

結局共にいる

共存している

会話と対話ができることが

大変ありがたいと思うのです




「ねえ、この靴下なんで置いてあるの!?」

「これは明日履くの」

「明日なら片付けなよ」

共にいるということは

毎日毎日

自分の正義と哲学の

ぶつかり合いなのだと

感じる私でした

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