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私が宝塚に出会って、贔屓が退団するまでの話・ボイフロ編

ヅカオタへの道編の続きです



衝撃のニュース

双曲線上のカルテ観劇からだいたい10日後、9月26日の15時、ちょうど授業を受けていた時である。今日が集合日らしい、という噂を聞き、朝から役発表にドキドキしつつ過ごしていた。スマホの通知が鳴って、役の発表と退団者のお知らせが届いた。和希そらは何の役だろう、と宝塚のアプリを開いた。なんとなく、何の気なしに退団者のお知らせから見ることにして、ページを開くと、私の愛してやまない人の文字が並んでいた。
「退団者 和希そら」
たいだんしゃ、かずきそら。事態を飲み込めず、呆然とした。退団者。嘘だろう。何度確認しても和希そらが退団することは事実だった。前日に月城かなとと海乃美月の退団が発表されたばかりである。こんなにほいほい好きな人が退団することあるのか、とぼんやり思った。和希そらなんて、10日前に観たばかりである。大好きだ、これからもっと観たい、と思ったばかりである。到底受け入れなれなかった。しかし冷静になっている自分もいた。「あわよくばトップスターに」とまでは思っていなかったけれど、朝美絢を支えて退団すると信じていた。しかし、退団。出逢ってまだ1年も経っていないのに、退団。退団という言葉がぐるぐると頭を回っていく。インスタのリア垢では、夜には物分かりの良いフリをして「2月まで全力で応援します」と言った。もちろん強がりである。家で少し泣いた。辛くて、寂しくて、その日は何故か和希そらが出ていないシティーハンターとファイヤーフィーバーを観た。勢いだけで寂しい、と手紙を書いた。まるで恋している女の子のようだ。実際、私は和希そらにほぼ恋をしていたのだろう。
手紙を書いた翌日、私はシアターオーブでアナスタシアを観た。予約していたチケットは無駄にしてはならない。U25チケットは倍以上の値段の2階S席センターに化けた。少しだけ、和希そらの演じた、まだ観たことのないリリーを想った。観たことがないのに、大好きだと思った。

続くニュース

そんな週末、世間を賑わせたあのニュースが飛び込んできた。何も受け入れられない頭をさらに殴られた気分だった。なんでそうなってしまったのだろう、といたたまれなかった。雪組にとっても、深く関わりのある話題である。彼女の姉妹がいて、トップ娘役は同期で同組だった過去もあり、3番手も元同組でトップスターとも仲良しだったはず。みんながきっと苦しいのだ。もちろん、オタクも。でも、私はその組についてほとんど知らなかった。一度も観に行ったこともなく、テレビでもほとんど触れていない、唯一の組だった。私にとって、他の人々に比べて、それはほんの少しだけ、遠い話だった。

それでも舞台は続く

10月5日は和希そらの誕生日だった。誕生日もあと数年は祝えると思っていたものだから、びっくりしてしまって、個人的には羽目を外した。バースデーカードと共にスタバのカードを送りつけた。本人不在のバースデーパーティーもした。不安になりながらも初めて焼いたガトーショコラはまあまあ良い出来だった。バースデーカードを出してしばらく、忘れた頃にファンクラブのお誘いが来た。入らなかった。失礼な話ではあるが、そもそも宝塚の会制度をいくら調べても理解できなかったので諦めていたのだ。でも、なんとなく紙は残してある。贔屓と赤い車の写真が格好よかったから。

辛いことがあっても、すぐに舞台の幕は開いた。当時の花組はさぞ辛かっただろう。私は翌月に月組を観に行った。お芝居もショーも、本当に素晴らしい作品だった。パワーを感じるハッピーでコメディ基調のお芝居、儚くも煌めく人生を映したようなショー。特にショーはとても気に入った。願わくはこの作品がタカラジェンヌたちの「しんどい」のもとに出来上がったものではないことを祈った。

おわりのはじまり

12月1日、本来の開幕から遅れて雪組の舞台の幕が上がった。よくわからないが、スチールとパンフレットによれば、和希そらは神父だった。真っ白い衣装を着て踊るらしい、彩風咲奈とデュエットダンスをするらしい、という断片的な話を聞いて、わくわく、そわそわしていた。勢い余ってスチールケースのデコもした。私にはセンスがなかった。結構難しい。世の中のオタクは芸術度が高い。この頃には立派な久城あすのオタクにもなっていたので、久城あすのビジュにも動揺した。なんだいその髪色は。似合ってるどころじゃない、美しすぎる。
12月15日、短い宝塚劇場での公演が終わった。初めて映画館でライブビューイングを見て、挨拶で泣いてしまった。「出逢ってくれてありがとう」はこちらの言葉である。「和希そら」として、赤薔薇の花束を抱えて美しく微笑んで締めくくる姿に、また好きになった。私の愛する人はこんなにも美しいのだ、と世界中に言って回りたくなった。

クリスマスディナーショー

12月24日、クリスマスディナーショーが行われた。我が家には家族がたまたま誰もいなくて、私と和希そらの2人きりの夜を過ごすことになった。よくわからないスイッチが入り、和希そら神父がショーで歌うブッシュドノエルを焼いた。後で知ったが、ディナーショーのデザートはブッシュドノエルではなかったらしい。ディナーショーは、和希そらの思い出深い曲をたくさん歌っていた。和希そら歴の短い私の知らない曲もたくさんあって、心のどこかで寂しくなった。下級生とのトークセッションも面白かった。咲城けいが和希そらのオタクだということを初めて知った。1時間と少しのはずのディナーショーは2時間弱に伸びた。ホテル側からしたらとんでもないことだろう。

最後の和希そら

1月7日、初めて生でボイフロを観た。初めての立ち見。センブロで、前日翌日にフルタイムで立ち仕事を行う謎の自信から、ヒールのあるブーツを履いて行って、見事撃沈した。流石にしんどかった。馬鹿である。和希そらと久城あすばかり目に入り、観劇メモにはほとんどその2人のことしか書いていない。ショーのオープニングで彩風咲奈の「フローズンホリデー!」の掛け声と共にキラキラしたタカラジェンヌたちが出てきた瞬間に何故か涙が溢れ出し、オープニング中はずっと涙が止まらなかった。どうやら私は多幸感に溢れる瞬間に弱いらしい。フィナーレのメリーゴーランドで、キュ、キュという靴音が1番後ろにも聞こえて鳥肌がたった。たぶんマイクが拾っただけなのだけど、静かな中、別れを惜しむように靴音が響いていて、すっと胸に沈んでいった。あの靴音はあのダンスになくてはならないものだと思う。

手持ちのチケットは残り1枚、耐えればどうにかなる、と思っていたが、1月末に禁断症状が出た。ご贔屓の退団公演なのに2回で満足できるわけがなかったのだ。Twitterで募集をかけると、破産しそうな勢いで声がかかった。みんなどうしてそんなにチケット持ってるんだよ。親切な神々のおかげでS席を2枚手に入れた。人生で初めての東京宝塚劇場のS席である。1月30日、初めてのS席でも私は和希そらと久城あすばかり見ていた。久城あすはひまりちゃんとのアドリブでふざけ倒していた。和希そらも中詰で久城あすとあっち向いてホイしていた。あすそらのオタクは成仏した。編集部の面々の愉快さを知った。sfwbのシーンで、眞ノ宮るいが美しいポーズをしていることを知った。何度見ても楽しい作品で、大好きだ、この作品が私の愛する和希そらの最後の作品で良かった、と心から思った。

2日後、私はまた2階S席で観劇をしていた。ショー中によく目にする、麻斗海伶というタカラジェンヌを知った。彼女は縣千と同期だった。175センチという高身長で、しっかりしつつもスラリと美しい体型をしていて、貴族のような気品のある顔をしている。決して目立つような動きはしていないけれど、彼女の所作にはハッとさせられた。編集部の面々、特に副編集長の諏訪さきにも目を惹かれた。私は惚れっぽくて浮気性のオタクである。

そして2月7日。生で見る最後の和希そら。B席ではあったけれど、被りも少なくとても見やすい席だった。麻斗海伶と琴羽りりのペアダンスを見ることができた。身長差がとんでもなくて、惚れた。諏訪さきにも惚れた。ガチ男すぎる。宝塚カフェブレイクは偉大な番組だ。見ることで役や作品への解析度がぐっと変わる。ストレス性胃痛持ちの副編集長をじっくりと見ることができた。そして、和希そら。私の愛するご贔屓、和希そら。いつものように、重力のないようなダンスを舞い、輝くような笑顔を浮かべていた。愛おしい、と心から思った。

大千秋楽

千秋楽は自宅で配信を観た。テンションが上がって、フロホリのショートケーキを作った。意味がわからない。通常営業のあすひまが映っていて嬉しかったり、くしゃみをするホームズを見れて感無量だったり、初めて観た妹が「編集長、声も顔も良いね、すごいね」と言っていて、どうだ見たか、これが和希そらだぞ、と誇らしく思った。ショーのオープニングで和希そらを愛おしそうに見つめるトップスターの彩風咲奈にしんみりして、アドリブではいつものようにおちゃらける和希そらに笑った。sfwbの久城あすの表情が寂しげで、勝手に視線の先を想像して、仲の良さげだったふたりに思いを馳せた。靴音の響かないメリーゴーランドは、少しだけ寂しかった。白百合の花束を抱えて、退団者挨拶を素敵に締めたと思ったのに、カーテンコールであっさりとネタバラシをし、プーさんのモノマネをしだす最愛の贔屓に思わず声を出して笑った。ああ、やっぱりこの人は簡単には泣かせてくれないなぁ、と思った瞬間、自分の目からボロボロと涙が流れた。物分かりの良いオタクではいられなかったらしい。大好き、いかないで、やめないで、と何度も何度も言った。テレビの前では何の意味もないけれど。笑顔で劇場を見渡し、観客の幸せを願った彼女のこれからの幸せを心から祈った。


最後に…

ここまで読んでくださりありがとうございます。計1万字超!軽い卒論レベルですね。まとめを書いているうちに恥ずかしくなってきたので、これでおしまいとさせていただきます。

私の愛が彼女に届くかはわからないし、きっと直接は届かないけれど、どこかで彼女を少しでも暖められていたら嬉しい。またどこかで貴女の踊る姿を見れたら、私は幸せです。

いつか、ふたたび舞台で会えますように。

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