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『ア・ゴースト・ストーリー』(2017)デヴィッド・ロウリー

 デヴィッド・ロウリーという監督は、蓮實重彦『見るレッスン』を読むまで知りませんでした。

 少し前(2018)『さらば愛しきアウトロー』が公開されたときはロバート・レッドフォードの引退作として話題になったことは記憶にありました。しかし、ロバート・レッドフォードより『さらば愛しきアウトロー』というタイトルに偏見から嫌悪感があり、観ようとしませんでした。今思うとなんて愚かなことなのでしょう!原題The Old Man & the Gunだから『老人と拳銃』でいいって、『見るレッスン』のなかで蓮實重彦も書いていました。“さらば愛しき”って・・・クソダサで、ちょっとひどいと思います。

 どうしてひどいと思うかというと、デヴィッド・ロウリーの映画はセンスがいいからです。これだけセンスのいい映画に、センスのない邦題をつけるのはよりいっそうひどいと思ったのでした。
こんなに素晴らしい監督だと知っていたらもっと早く見に行っただろうし、もっと多くの人に見られているのではないかな、と思います。

『ア・ゴースト・ストーリー』(2017)はスタンダード・サイズ(1.33:3)ですから、過去を見ている印象があります。

夫を亡くしたルーニー・マーラが一人で帰宅し、カバンと鍵を置きます。知人が置いてくれたホールのパイにナイフを入れます。
ナイフは一切れ分だけ入れ、皿に取り分けることはせず立ったままフォークを使って食べます。一口食べると、思い出したかのようにどんどん頬張り、ナイフでカットしたことなど関係なく、もうフォークでぶっ刺しながら夢中になっていきます。
このあたりから、キッチンのシンクを背に地べたに座りながらどんどん食べます。アップにはならず、ルーニー・マーラが帰宅したときから同じ位置から動かないで撮っています。

ルーニー・マーラの更に奥にはやはりずっと同じ位置にゴーストが立ったまま見つめています。このシーンはかなり長いと思います。

怖くない、とても不思議な感情になる印象的なシーン。


ルーニー・マーラの横顔の向こうに、差し込んだ光が彼女の鼻先につたった涙をきらきら光らせています。もはや泣きながらパイを食べ続けています。ゴーストと観客の視線はずっと動かずに彼女を見つめ続けています。

役者が感情を露出させるシーンがクライマックスだとしたら、そこにすべてを注ぎ込んでいるかもしれませんが、この映画は明らかに違うと思います。必要な表現ではあるけれど、そこだけ盛り込んで心を奪おうとするなんて下品なやり方はしていません。

パーティーの客ウィル・オールダム

パーティーの客ウィル・オールダムの独白には、はっとしました。人類が滅びること、それは絶望であり耐え難い苦しみであり、そこで誰かがあのメロディーを口ずさむと、人は恐怖や憎悪以外の感情を取り戻す、という内容です。ゴーストはジッと聞いています。パーティーの客でウィル・オールダムの風貌で地球が滅びる過程と芸術の役割を語ることは、とても繊細なイメージがあり、ゴーストに響いているように見えました。ゴーストは音楽家でしたから。

ウィル・オールダムは多くの名義で活躍するシンガー・ソングライターです。2003年にはビョークの全米ツアーのオープニング・アクトとして抜擢された経歴を持ち、アメリカのルーツ音楽やフォークへの傾倒を見せる音楽性と、味わい深い歌声が特徴ということですが、映画の出演も多いようです。

この映画には否定的な意見を持っている人がも多くいるようですが、ウィル・オールダムの鼻歌に身を震わせていた私はゴーストと同じ気持ちだったのだと思います。『セインツ-約束の果て-』すごくよかった。いま一番すきな監督です。

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