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大物芸能人が親、という“ガチャ”

 「親ガチャ」という言葉がある。
 
生まれつく家庭(親)が選べないのはガシャポンと同じ、ということらしい。ミもフタもないスラングで大嫌いな言葉づかいだが、確かに貧困やDVという問題に直面していたらこんな呪いの言葉を吐きたくなるかもしれない。これで言えば、優しい両親に育てられ、金銭面の苦労もまったくなかった私は「当たりを引いた」ことになるし、それは人生を賭けて息子たちにも継承してやりたいこと。

 私は地元の公立ではなく私立小学校への電車通学で(親の教育への熱意を感じる)、同学年に有名芸能人の娘さんが2人いた。

 ひとりの親は有名俳優、もうひとりは有名演歌歌手で、運動会などの行事で親の姿を見かけると子供ごころに「ほおー、あれが・・・」と思ったものだ。

 娘は2人とも同じクラスにはならなかったので話したこともなく、見かけると「ああ、○○の娘だな」と思っていた程度。しかし当の子どもにとって、この出自はなかなかの“十字架”だったらしい。俳優の娘は長じて一時芸能界にも進んだようだが大成せず、「大物芸能人の娘であることが辛かった」と告白しているのを見かけたこともあった。
 
セレブ一家としてのきらめきと金銭的裕福さ。その代価として「いつも見られている」というプレッシャー。「親が大物芸能人」というガチャはプラスとマイナスがかなり拮抗していたのではないか、いや、自分はそんな境遇でなくてよかったなあ、などと思っている。
(23/7/11)

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