成田山新勝寺断食参籠の記(2017年)

業務の関係で夏休みが10月にずれ込み、今年は家族サービスになりませんでした(家族は8月に私を残しての海外旅行をたっぷり楽しみました)。ひとりの休暇を取るにあたって「とにかく今やりたいこと」を考えた際に思いついたのが成田山での断食参籠です。ネットで検索すれば体験記は山のように出てきますが、私なりの体験談をご披露いたします。

お不動さまの不思議な力に引き込まれて・・・

本当にお不動さまには不思議な力があります。これまでの自分の佛道は、もちろんそれなりに真摯に向き合ってきましたが、どこかに「知的な愉しみ」「やすらぎ」という面があり、特定の仏さまに集中するということはありませんでした。お不動さまも曼荼羅の中にいらっしゃるone of themの存在だったのです。ところが、いざ成田山へ行く決心をして関連書籍を読むなどしているうちに、これはもう「グイグイと引き込まれる」ような感覚がありました。これ以外に表現のしようがないのですが、これもご縁であり、またこれこそがお不動さまのお力ではないか、と思います。一度は講の皆さんと結願した関東三十六不動霊場巡拝も、8月から一人で再開しました(今年は酉年総開帳という特別な年です)。ですので今回は断食がメインというよりは、「お不動さまの懐に籠もって過ごすこと」「スマホや情報から遮断されること」、この2つが大きな魅力でした。業務でもいろいろ困難な局面を迎えているだけに、初めて「とにかくあれこれ悩まずにお不動さまにお任せしてみよう」という境地になりました。

「初めての人は3泊まで」

1週間休むことになったので予約の連絡を入れると、「最大は6泊だが、初心者は3泊まで」とのことで、「4泊か5泊はしたい」と意気込んでいただけになんともガッカリしました。分かっていたことですが、「スマホ・カメラ・音楽プレーヤーなどは一切持ち込み禁止」「本は仏教関係以外は禁止」「数日前から“減食”をして体調を整えておくこと」という指示がありました。この減食が曲者です。成田山に限らず、断食の前後には「減食」「回復食」が必須です。前日まで業務があったので極端なことはしませんでしたが、それでも3日前から意識的に食事の量を減らし、前日は朝食にお粥、昼食は社食のミニサラダ2個、夜もお粥です。当日の朝はゼリータイプの栄養食(ウィダーインゼリー)だけにしました。62キロから63キロで推移していた体重は、出発時には59.9キロにまでなり、自分なりに減食に成功した気がしておりました。しかしやはり断食はそんなに甘いものではなく、参籠2日目の夜にはかなり激しい胃痛と吐き気に襲われて眠れなくなりました。吐こうとしても胃が空っぽでは「カラえずき」だけで、真剣にリタイアを意識するほどの苦しさです。結局、この騒ぎは朝になって成田山で初めての便通があったことで嘘のようにケロっと治まったのですが、つまり「体内の毒素が出た」ということだったのかもしれません。最終日には朝のお護摩のあとにお粥を振る舞っていただきました。梅干しと焼き味噌が添えられていて、文字通り「生き返る」「五臓六腑に染み入る」気持ちでいただきました。これが断食の醍醐味なのかもしれません。

体力が落ちることを実感

胃と腸はなんとか回復したのですが、体力は確実に落ちました。身体に力が入らずフラつくので参籠堂から本堂までの階段を登る気力もなく、エレベーター利用です。腹筋・背筋も弱ってくるのでしょう、お護摩の時に背筋をスクッと伸ばし続けることができず、すぐに猫背になりました(帰京後には愚妻に「お爺サンみたいな歩き方になってる!」と指摘されました)。寒さにも悩まされました。お彼岸を過ぎて急激に冷え込んだ時期だったのですが、身体にエネルギーを入れないとこんなにも寒くなるのだ、と初めて知りました。同宿した方は以前は12月に体験したそうですが「寒くて寒くて、ありったけを着込んで布団にいるだけだった。10月ならまだマシだろうと再挑戦したが、やっぱり寒い」と言っていました。沖縄在住の方なので寒さは一層こたえるのでしょう。体力の低下は意識レベルの低下も招いていたような気がします。ボーっとして集中力がありません。「病気で意識が遠のく、というのはこういうことなのかな」と思った次第です。帰京の2日後には駅のベンチに紙袋を置き忘れるというハプニングもやらかすなど、ダメージからなかなか回復できませんでした。

日々の過ごし方

1日3回の食事というは生活のアクセントです。それがない日々はなんとも味気なく、そしてダラダラと長いものだと知りました。起床は5:00。5:25には前日に飲んだ水の量を管理人さんに申告、その後は6:00からの早朝の護摩行に参列します。15:00には断食参籠者のための夕勤行が設定されているのですが、これは僧侶の方の都合がつかないということで3日間のうち2回はキャンセルでした。これ以外は「自由行動、ただし境内から出てはいけない」というものです。広い境内では空も伸び伸びと広く、秋の雲を見上げるのはなんとも気持ちがいいことでした。消灯は22:00ですが、やることも体力もないため毎日ずっと早く寝ていました。現代人の在りようとしてはこの上なく贅沢な過ごし方であります。

本堂での護摩行は6:00 9:00 11:00 13:00 15:00に設定されていました(冬時間)。朝は理趣経(一部)を読経することもありおよそ40分間、それ以外は20分間程度です。信者を含めた全員でお不動さまのご真言を唱えたり、持ち物を護摩の火にかざしていただいたり、終了後の「お手綱参拝」があったり、やはりこれが成田山参拝のメイン行事、私は3泊4日で9回参列することができました(食事代わりのアクセントでした)。断食者は「数息観」(真言宗の瞑想のひとつ)の指導も受けられることになっているのですが、「ほかに指導を希望する人がいた際に便乗できるもので、残念ながら期間中は開催なし」でした。

「デジタルデトックス」

もうひとつの狙いの「デジタルデトックス」はうまくできたようです。天気予報が分からないのはなかなか不安な気分でしたが、本業であるニュースはあまり気にならず、境内の仏教図書館にある新聞も敢えて読まないようにしていました。ちょうどノーベルウィークだったので、「日本人が獲得したら参拝者さんが話題にするのが聞こえてくるかなー」「ミサイルが飛んできたら流石に成田市の防災無線で覚知できるかな。国際空港が近いから、狙われたらイヤだなー」程度の関心具合です。余談ですが、空港が近いために航空機の騒音はかなり大きく聞こえました。まさに「便利さのツケを地元に押し付けている」わけですが、実は拙宅はモロに羽田空港滑走路の延長線上にあるため、近く実施されるという都心飛行というルート変更がかなり心配になってきました。閑話休題。(2021年追記:都心飛行ルートが始まり、ホントに地元の真上を飛んでいます。騒音もかなり大きい)

参籠させていただきありがとうございました

日程を終了して自宅に戻った際には本当にホッとしました。54歳おぢさんの肉体にとって断食は予想以上に厳しいものでした。形こそ違っても、古今東西の宗教には何らかの断食行が付随していることが多く、共通して「食を断った先に得られるものがある」と見定めているようです。残念ながらその境地は3泊4日より遠くにあったようで、私の場合は体調との闘いばかりが先に立って、お不動さまを身近に感じるまでには至りませんでした。もちろん「ご縁をいただいた」「スマホ・ニュース・情報からの遮断」という願いは叶えられましたが、僧職でもない身上としては「もう次回はないかな」と思っています。成田から東京へ戻る電車では「さあ、ドップリと日常にまみれるぞ!」という覚悟になっていました。自宅でスマホを開くと、3日半に溜まった未読メールは685通。さっそくその日から現実と向き合うことになりましたが、リフレッシュした気分で取り組めました。うーん、やっぱり所詮リフレッシュだけなのか。これでよかったのかなー?

お世話になりました成田山新勝寺さま、管理人さま、そして不動明王さまに感謝いたします。

南無大日大聖不動明王。

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