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留学体験記 11/19

めちゃくちゃ今さらですが、今日からできるだけ毎日、留学中に感じたことをつらつらと書いていこうと思います(今年の1月からスウェーデンに留学中)。ここでは皆さんに向けてというよりは、自分の脳内整理や考察、その時の感想などを備忘録的に綴っていくです。何かみなさんの気づきになれば幸いです笑

さて、最近思っていることは、日本での自分とスウェーデンでの自分のちがいです。
日本にいた時の自分は、学業やバイトの傍らで、精力的に気候変動のアクションをしていました。だけど心のどこかでは、「周りから変な目で見られてたらどうしよう。」とか、「いわゆる”意識高い系”と思われて、友達から距離を取られたくないな。」とか、かなり友達や社会の目を気にしていました。衣食住は揃っているし、生きるために最低限の権利も保証されているのに、閉塞感や「生きにくいな」、と毎日感じていました。

一方でスウェーデンのわたしはと言うと、本当に自由に、自分らしい生活を送れているなと思います。うわべだけを見ると、銀行口座も持っていないし(スウェーデンはキャッシュレス社会なので結構これが足枷)、個人的には言語的なミスコミュニケーションや文化・バックグラウンドのちがいもあるし、たまにホームシックになることもあるから、日本より大変で不自由だな、と感じるはずなのですが、日本で感じていた閉塞感や生きにくさは殆ど感じません。

なぜ日本より不自由なはずなのに自由に感じるのか。
ひとつは社会の目を過度に気にしなくていいから。スウェーデンに住む人たちには、個人主義の風潮が強く、「あなたがありたいような自分でありなさい。あなたがやりたいことをやりなさい。」という価値観があると思います。つまりスウェーデンでは日本によくある「社会的に○○はこうであるべき」(社会人は休みを削ってでも仕事をするべき、男性は仕事に邁進し、女性は男性をサポートするべき、など)という考え方は殆どありません。

だからわたしは自分が着たい物を着て、毅然とベジタリアンであることを打ち明けて、厭なことは厭と言って、だれかの意見に異議を感じたらきっぱり反対の意思を示すことができるんだと思います。そしてそれによって、他の人の意見や価値観を斟酌できる、ということを知ることができました。つまり、「自分を尊重することではじめて、他人を尊重できる」(⇔他人を尊重するためには、まずは自分を尊重する必要がある。)ということです。

日本にいた時の自分は「たとえ自分を犠牲にしてでも、他人のためであることは必ず善である。」と考えていました。だから打ち上げで「焼肉行こうぜ!」と言われても「ここでベジタリアンだから行かないと言ったら、みんなの気持を冷ますだろうな。」と思って甘受してきたし、わたしが環境問題に取り組み始めたのも、元々は「プライベートを犠牲にしてでも、今苛まれている生物たちや将来世代に安心して暮らせる環境を創りたい」と思ったからです。

でも、スウェーデンに来てはじめて、「自分らしく生きる」ことが許容された気がしました。そしてそれによって「自分がどう生きたいのか、自分と向き合う、語り合う」ことができ、純然な自分を浮き彫りにしたことによって、自分と他人を相対化でき、お互いの差異を多様性として受容することができ、他人を尊重することができるようになりました。

話が長くなってきたので、今日はここらで終わりにしたいと思います。三日坊主にならないように、当分は投稿を継続することを目標にしながら、ゆるゆると続けていきたいと思います( ´∀` )


今日の心象スケッチ


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