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足跡日記👣§20 hustle and bustle Tokyo(前編)

 今日は午前に留学生と練り切りを作ったりけん玉で遊んだ後、事前健診のために東京に行く必要があった。仙台にも会社と組んでるクリニックがあれば楽だったのだが、まぁ東北が不幸を見るのは慣れっこである。

 今話題になっている、JR東日本が発行する破格の切符”きゅんパス”で東京へ向かう(この時、微塵もキュンキュンしていないのは言わずもがなである)。クリニックは御徒町駅の近くだったので、降車した上野駅から2駅分ほど歩いて向かった。

 駅を出た瞬間、途端に目がいずくなった。行き交う人の多さ、車の多さ、建物の多さ、そして看板や広告なども含めた情報量の多さに圧倒される。建物は立錐の余地がないほどに立ち並び、天を摩する高層ビルが屹立している。東京は特徴や程度の差こそあれ、大体はこのような風景で、いつも目がひりひりしてくるのだが、今回は花粉がよりそれに拍車をかけている。

 アメ横を歩く。首を回らすと、半分くらいは外国の方とお見受けする人たちだった。なるほど東京から秋葉原・アメ横を渡り上野に通じるこの高架下は、東京観光においてのランウェイみたいなものか、と一人合点する。事実、そのように紹介しているサイトを数多く発見した。

 道すがら、既視感のある場所に遭った。秋葉原にある高架下のショップストリート。”ものづくり”するショップが気持ちこっそりと立ち並んでいる。靄がかった記憶が、一歩歩くごとに鮮明になっていく。そこは8年前、ぼくがexに初めての誕生日プレゼントを買って渡した場所だった。この時の気持は名状しがたいけれど、その時に吹いた一陣の風が、さながらぼくの気持を代弁しているように感じた。

 感傷に浸る間も与えまいとするかのように、眼前には秋葉原駅が迫っていた。そこは文字通りカオスだった。真昼間なのに煌々と看板が光り、いろんな恰好をした人がいろんな目的で交錯している。情緒の変化に頭がついていけず、目端に映ったゲームショップのマリオを眺めながら、「スーパーマリオも面がころころ変わるたびにストレスを感じていたのかな」などよく分からない事を考えていた。

 やっと御徒町駅を通り過ぎ、目的のクリニックに着いた。エレベーターのドアが開くや否や、受付の方が挨拶して手慣れた手つきで案内する。ぼくは言われた通りに問診票を出して健診用の服を着て(言い方悪いけど囚人服みたいだな、と思った)、階段を降る。そこでも複数のスタッフが分担して、莞爾として、しかし一切の無駄もなくぼくに指示をしてくれた。ぼくは恰も、ライン製造されている製品になった心地がした。「ぼく」という製品を、従業員が分担して作業し、速やかに次の人に回していく。表情もあまりなく、あるいはどこか不自然な笑みで、説明もRPGの村人が発するテロップみたいな感じに聞こえる。それにつられて二つ返事で答えていると、気づけばぼくは電話ボックスのような箱の中でボタンを握らされていて、慌ててスタッフに再度の説明を乞うた。

健診が終わり(それこそライン作業のように20分足らずで終わった)、時間ができたので新居の住環境を見てみる事に決めた。すると折悪しく、乗るはずの電車が事故により見合わせてしまっていた。構内には駅員による消魂しいアナウンスが耳を劈き、多くの人達が三々五々に屯し、考え倦ねている。これも大都会あるあるだと諦観し、前から気になっていた環境問題のアート展示を見にいくことにした。(後編へ)



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