車内放置の話

   ニュースなどで車内に子供が置き去りにされる痛ましい事件が報じられる度、昔の自分を思い出す。
母とどこかへ出かける時、度々車に放置されていた時のことだ。

    それは早くても1時間、長ければ3時間以上はほど待たされることもあった。
頻度としては月に2,3度ある程度、待たされる理由は仕事であったり買い物であったり様々。
長子と末子も同様に放置されていたことを考えれば、相当な頻度だろう。
    その間、当然ながら車の鍵は締められ、窓は指が通るかどうかだけ開けられていた。もちろん、鍵を締めるのだからエンジンは切られる。
夏だろうが冬だろうが車に閉じ込めた。
    少しばかりの温情からなのか、近くに自販機があれば夏は冷たい飲み物かアイスを渡され、冬は温かい飲み物を渡される。
とは言え、停車した場所付近に自販機がなければ何も渡されることは無い。
その上、快適からは程遠い車内では冷たいものはすぐにぬるくなり、温かいものはあっという間に冷たくなる。
それでも誰にも見つからないようにじっと隠れるのだ。
    何故隠れるのか、という疑問には「母からのいいつけ」だとしか答えられない。
    母曰く、子供の私を車内に放置しているのを他人に見られたくないらしい。放置される度にできる限り隠れるように言われた。
    隠れなければならない理由は下記の通り並べられたのを覚えている。

子供が1人でいると誘拐される
強盗、不審者に狙われる
両親が警察に捕まる

などというものだ。
他にも理由を言い聞かされたような気もするが、今も覚えているのはこのくらいだ。
    上記の理由を言った後、決まって最後には「ママとパパに二度と会えなくなってもいいの?」と言われるのだった。
    誘拐、強盗などは子供でも分かる犯罪で、避けるべき危険だと理解できる。
しかし、警察に捕まるから、という理由は今改めて考えると理解できない。
大人になった今では、何らかの法律に触れるような行為だとわかっているのなら実行しなければ良いと思ってしまう。
だが子供の時分では、その思考に行き着くより先に、親がいなくなる恐ろしさが先立ってしまっていた。
両親が大好きだから、というのは幼い頃だけだ。
物事の分別が着くようになってからは、嫌いを越して憎悪すら湧いた。
両親に対し、唯一感謝している点が「殺さないでくれたこと」だと思っている程には。
この場合の恐ろしさというのは、自分や長子と末子の生活が狂うことだけだ。
    親不孝者だ、と思われる方もいるかもしれないが、過去に書き連ねたものを読んで頂ければ多少理解できるだろう。
あまり気持ちの良い内容ではない為、閲覧は推奨できない。

https://note.com/hallo_a/m/m3e11ef5e3a82

   さて、話を戻して要約すると、母は私が他人の目に触れたり、警察を呼ばれると不都合があるということだ。
   それも当然。父と母は家庭内暴力にネグレクト、怪しげなマルチ商法や宗教にハマっているなど叩けば色々なホコリが出てくるのだから。
    先述した通り、母は車内放置は罪に問われると認識している。
だがそれでも車内放置は続けられ、私は言いつけ通り隠れ続けた。
記憶に残っている範囲では、幼稚園生から高校生頃までは続いていた。
    小柄な年頃は2列目の足元でドアに背を向けて膝を抱えるように座り、成長してからは3列目の荷物に紛れるようにして隠れた。
数時間、何もできない状態で膝を抱えるしかなかった。

そして幸か不幸か、私が誰かに見つかることはなかった。

    何時戻ってくるか分からない母を待ち、車の付近を横切る人の気配に怯えた。
可能な限り縮こまり、息を潜め、時には薄手のブランケットを頭から被った。冬には唯一の暖となっていた。
    高校生にもなれば大人と大差ないと思っているのか、隠れるようには言われなくなった。
それでも癖は抜けず、何となく人目につかないようにして待っていた。
特にその頃は日頃のストレスから持病が悪化し、鬱になっていた時期でもあり、余計に人目を気にしていたのかもしれない。
今となっては過ぎたことだが、ふとした時に思い出してしまう程には刻まれてしまった。今でも車内にいる時、車付近を誰かが通ると身が強ばる。
これもまた、ある種の呪いなのだろう。

   以上の経験から、なぜ車内放置された子供が車から出ようとしないのか、助けを求めないのか、という疑問には親からの命令を守らなければならないから。と私は答える。
全ての親が私の母と同じような考えだとは言わないが、あまり遠くは無い答えだと考えている。
あくまで私は運が良かったから生きていたが、条件が揃ってしまえば呆気なく命を落としていただろう。
ニュースで報じられていたのが私であった可能性もあるのだ。
   そのような危機感を母は恐らく持ち合わせていない。もし少しでも思い至ったのなら、こう何度も繰り返しはしないだろう。
母が正常な倫理観や感性を持っていれば、の話だが。

    余談だが、母ほどの頻度では無いが父もまた放置する時があった。
その上、末子の保育園の迎えを頼むとバイクの荷台に自分で取り付けたプラスチックケースに入れ、そのまま運転して連れ帰るような人だ。
何度か繰り返している内に園長から注意を受け、迎えにすら行かなくなったが。
つまりはそういう人たちなのだろう、車内放置をする人というのは。
自身の経験からそう考えてしまう。

 ここまで長々と書き連ねたことをする母だが、ニュースなどで車内放置事件を見聞きすると、目を潤ませてこう呟くのだった。

「なんて酷い親」
「子供がかわいそう」
「つらかったよね、苦しかったよね」
「同じ親として信じられない」

私には母が理解できない。


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