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TOKYO2020にフランス革命を!
「小学校の運動会は中止なのになぜオリンピックは開催されるのか」問題。
地元市民ネットワークに書き込まれた意見です。ワクチン接種の行き渡らないうちになぜ外国人を多数受け入れ、人の流れを加速させるのか。
これは「オリンピックの目的がなんなのか」が見えない議論だな、と違和感を感じたのが始まりで、つらつら考えたことを書きます。
なんのための、誰のためのオリンピックなのか。
結論から言ってしまうと、国民のためのオリンピックに決まっています。
国税投入して開催するのですから。
では開催した結果国民に何がもたらされるのか。
これがもやっとしているから
目先の不安の方に気持ちが引き寄せられてしまう。
三十年前の橋本治さんは、日本国民は江戸時代の町人のまんまだ、と喝破しています。商売さえ自由にさせておけば、お上の言うことに立てつかない。本のタイトルは「江戸にフランス革命を!」
オリンピック議論を聞いてこれを思い出しました。
「商売」させて貰ってるオリンピック関係者は躍起に開催したがっている。
他の町人達はぼやいてる。
「お上のすることはわからねぇ」
競技者でも商売関係者でも行政でもない者にとってオリンピックは不要なのか?
そこがきちんと議論されて納得出来たら、あるいはその議論が為されることが、今回のオリンピックの意義だと思うのです。
国民のために?
「感動をありがとう」のために?
「感動をありがとう」は観客目線ですよね。今まではそれで良かったかもしれない。ここまで状況が切迫しなければ、私も好きな競技だけ観て「感動した!」と言っていたと思います。
今オリンピックを開催する新たな意味があるのか?
どうしたら当事者になれるのか。
自分とオリンピックの関係をアップデートすることが、今オリンピックを開催する意義だと考えるようになりました。
インフラ 2002年のサッカーワールドカップ、新潟や大分にスタジアムが出来ました。その結果Jリーグチームが地元に。スポーツ観戦が身近な娯楽になりました。地域において年代関係なく人の交流が出来るという意義は大きいと思います。
ロンドン五輪 パラリンピックのためのインフラが整備されたと聞きます。目の見えない人が歩きやすい街、車椅子の人が移動しやすい街作り。
競技会場に近い木場駅には、目の見えない方のための案内バーコードが駅の展示ブロックに埋め込まれています。そういったインフラが整い、不自由な人に自由をもたらす技術を開発する、その実りを社会で共有する。
大きいことを言います。
これからの社会をどうデザインするのか?
それを考えることが今回のオリンピックの開催の意義ですよね。だから、かわいそうだけれど小学校の運動会は中止。まずは参加者の安全確保が第一義だから。
オリンピックの第一義は今や、未来のイメージの共有ではないかと思うのです。
女性蔑視の発言をした政治家が退任する。スポンサーの意向よりもスタジアムの安全を優先する。今までになかったことが新しいスタンダードになりつつあります。金メダルをいくつ取るか、国威発揚とか、もう素敵なおまけにしかすぎないのでは。
今までのオリンピックのイメージでは
競技者にはかわいそうだけれど、怖いから中止。あるいは、ワクチン接種が進んだから、競技者がかわいそうだし経済的にダメージが大きそうだから控えめに賛成。
どちらも、当事者の意見ではないと思われます。
これからの日本のために、やる。各論として、選手の安全、ボランティアの安全、市民の安全をどう守るか。主催団体、行政のその対応はきっちり注視する。
観客を入れる場合にJリーグやプロ野球、Bリーグの実績は応用出来ないか。現在ヨーロッパで行われているサッカーのユーロ2020(こちらも昨年開催予定だったのを一年順延しています)の状況を検証する。ぎりぎりまで頑張ってもどうしても出来なければ、その理由を公開する。
毎日新しい情報が更新されます。強欲な企業が、無能な政治家が、と批判するだけでなく、どの部分がうまくいったのか、行かなかったのか。注視して、今後の自分の暮らす社会の理想にはどの部分が使えるのか。当事者として見極めて行けたらと思います。
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