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片思い就活が失恋に終わったはなし

 今回は失恋した相手へのラブレターです。私のプロフィールに書いていますが、50代でコロナリストラにあって会社をやめたので、今後は大好きな茶道か、着物のことばかり考えていられるような仕事につきたい、と思っていました。とはいえ、お茶も着物も生徒レベル、仕事としては何の実積もありません。

 在職中から、オフの時間に着物の本を読んだり、雑誌の切り抜き帳を作ったり、着物のことを考えているとあっという間に時間が飛び去りました。リモートワークが始まった頃は時々着物を着て、いずれ毎日着物で過ごせるといいなあと憧れていました(木綿の反物を買い、以前から通っていた和裁教室でお家用のひとえを縫い始めましたが、まだ出来上がりには時間がかかりそうです)。

 会社を辞めると決めた昨年12月に、行きたいと思いながら機会のなかったお店を何軒か訪ねました。東京・神田のミナペルホネンのインテリアショップとか、以前スターネット東京があったところはどうなっているのかな、とか。自分のための元気付けです(自分じゃらし、とも言います)。

 その帰りにずっと以前に雑誌で見て気になっていた呉服屋さんに行ってみました。江戸小紋の特集で見たお店です。独特な紬(つむぎ)のセレクトで、なんとも素敵な着物姿の女将さんが相手をしてくださいました。着物はすぐには買えません。実は一年前、清水の舞台から飛び降りていましたから、しばらくは買わないつもりでした。

 でも、あまりに女将さんが素敵だったのでそちらの着付け教室に通うことにしました。多くのひとが着物を着ていた時代の常識と、日常着の意識を持ってコーディネートなさる女将さんが先生です。着付けの技術を教わるだけでなく、帯や小物の組み合わせ方、季節に合わせた着こなしを身近で見て過ごしたいと思ったのです。母のサイズの合わない着物をどんな風にアレンジしたら良いか、などもおいおい相談出来たらいいな、と思いました。「着物大学」ですよね。

 初めから、こんなお店で働けたらいいなあ、と思っていました。着物店はセレクトショップです。そこの商品が好きでなくては。その点では、本当にどれも素敵でした。高級品はもちろん、私のような働いて自分で買う女性向けの、入門価格の商品も取り揃えてあります。よそ行きも、日常着も、これみよがしではなく、チャーミング。

 紬は、高価なものでもカジュアルな位置づけなので、私が着物を着るお茶の世界ではお稽古用。たくさん持っても着る機会は限られます。仕事でいつも紬の着物を着て、というのが究極の憧れでした。とはいえ、こちらはぺーぺー。まずはしっかり教室に通って、少しは見所がある、と思われないと何も始まらないと思って励みました。

 お店と仲良く付き合うにはもう一つ道があって、しっかり稼げる仕事について、お客様として着物を作るというのも、もちろんアリです。着物業界のことを情報集めながら、今までの延長の仕事の可能性も探る、という方向性で行こうと思いました。

 5月ころはなかなか上達しなくて、これは2年くらい通わないと、プロになりたいと言い出せるレベルにはなれないかもと思いました。この頃は本当に孤独でしたが、こつこつ進むしかない。

 それでも、きものを着ることそのものが大きな喜びだというのは発見でした。着ているだけで、幸せな気持ちが湧き上がってくるのです。頭でっかちの私はつい理屈こねたくなる(理屈で納得したくなる)のですが、ノートに書いて勉強するだけでなく、ただ手を動かして少しずつ上達する、というのも新鮮な喜びでした。

 これは茶道も同じ。ネットでどんどん情報を検索して、納得する知識を得て、おしまいではない。頭で理解したことを何度も手を動かして出来るまで練習する。

 もし仕事に全く結びつかなくても、こんなことを時間をかけてやっていられる、まとまった期間を得たことは無駄にはならないだろう、と感じていました。仕事としてではなく、人生の経験として。今まで、慌しすぎましたからね。

 本当は、いきなり呉服店に就職するのは躊躇いがありました。販売は、新入社員のころ売り場研修で週末にデパートに立ったっきりで全く想像つきません。今までの自分の、洋服のテキスタイルデザイナーという仕事と着物の中間になにか仕事の機会があれば、と考えていました。

 ハローワークで「販売の仕事」「着付け教室の先生をまとめる仕事」のふたつを見つけて応募したのが8月。着付け教室には通いながら、まずは外で腕試し。販売の仕事を考えた時に、よそのお店を受けたのは、募集が正社員だったからでした。着付け教室のお店は創業者のファミリー以外に、フルタイムで働いている方がいないように見えたのです。

 でも、その頃、私と一緒に教室に来ていた生徒さんがお店に履歴書を提出して、アルバイトから正社員に向けて仕事を始めてみることになったと知りました。

 好きなひとがいるのに、まだ私には告白する資格がない、と全く意思表示をしていなかったら、ほかに勇気を持って告白したひとが、結婚を決めてしまった。そんな風な失恋をしたようになってしまった。

 落ち込みました。

 お店に入った方が、女将さんに仕立てのレクチャーを受けていたり、過去の色味本帳を整理していたりするのに行き合うと、今でも羨ましくて悲しくなります。書いていてまた泣けてきました。

 でもね。何がなんでも就職させてください! と私は言えなかった。販売の仕事したことないのに、入ってみて、うまくいかなかったら次に出来る仕事って無いな、というのが一番怖かった。好きだから、で飛び込む勇気がまだ自分の中に育っていなかったのです。

 その後、着物が好きで、それこそ勇気をもって飛び込んでいった旧友に話を聞かせて貰えました。彼女が働く、素敵なお店の展示会にも遊びにいかせてもらいました(そのお店の話もそのうち)。それで、多少はイメージを持って受けた正社員の販売の仕事は面接まで行きましたが、不合格でした。接客のイメージ、三年後のイメージ、それらが全く先方の求めていたものと違ったのだと思います。

 お茶も、着物もなんで好きなんだろう?

 そう考えた時に、あんまり他者のことを考えていない自分に気づきました。じっくり手を動かして、自分のペースで練習する。季節にあったもの、という概念。美しいものを見ること。求道とか、修行という感覚が好きなのだと思ったのです。結果として他者へのおもてなしになったり、同じものが好きな同士で繋がるコミュニティの心地よさというのがついてくるのですが、それはすごく素敵なおまけ。

 旧友のお店の帰り。鎌倉でしたので、何十年かぶりに大仏様のお顔を拝見しに行ってみました。高校の時に遠足で歩いた道でした。唐突に思い出しましたが、その時私は友達とではなく、一人で歩いていた。

 ごく少数の友達としか気楽に話せなかったのです。その少数の友達が、クラブ活動の友達と行ってしまったら、私は一人でした。長谷寺駅からの道を歩きながら40年近く前のよるべない気持ちを思い出していました。他のひとと共有するという、販売とか接客に必要な能力にあんまり長けていないなあ、と。

 遥か昔、得意先のアパレルのデザイナーさんが仕入れ先である新人テキスタイルデザイナーの私たちに洋服の企画とは、という研修をしてくださったことがありました。

 その時に「仕事は恋愛と同じ、相手に求めることは期待信頼」との金言をいただき、未婚女性だった5〜6名のデザイナーたちはおおいに納得したものです。

 先ほどから、結婚や恋愛を仕事の比喩にしていますが、とても実感がこもっているのです。求人表をスクロールしながら、この身の置き所の無さは覚えがある。結婚したい気持ちがあるわけではないが、親に勧められてお見合いをしていた頃の「違う気がする……」と思いつつ、でも何が違うかわからない。「このまま一生結婚できないかも」と思う気持ちととても近いと感じていました。

 夫に出会った時、彼は30過ぎて定職のない駆け出しの写真家でした。それでも結婚するのに全く不安はなかった。性格も、考え方も、「これこれ、この感じが正解だったんだね!」と自分が気づいていなかった方向性が見えた気がしたのです。「期待と信頼」がありました。こういうことを結婚に求めていたんだ、と得心がいって、不安は消えました。

 おそらく「これこれ!」と納得して就職するばかりではないと思います。でも、納得出来ないと幸せじゃない、頑固者の自分に気づきました。再就職セミナーで、あまりにも他の参加者の考え方が冷静で客観的だったので、びっくりしました。私には、そんな風に仕事に向かうやり方がまだわかりません。本当に、転職したひとに片端からどんな風に決めたのか、聞いて回ってみたい気持ちです。

 今日も着付け教室に行ってみます。お店に入った方に多分会うと思いますが、彼女の着物のこのみは私も好きで、お店に行けばまた会えるなと思うとそれはそれで楽しいのです……。

 完全な負け惜しみですね!

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