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「クスノキ返せ」運動についての一意見

事実確認

皆さんは、京都大学において「クスノキ返せ」運動というカウンター運動(注釈:ある運動に対して異議を唱える目的で行われる運動のこと。レイシストのヘイトスピーチに対するカウンターデモ、左翼のデモ行進に対する右翼の妨害等)が起こっているのを知っているだろうか。
これは、パレスチナ人民と連帯する京大有志の会(KUVASP)が5月後半に行った、クスノキ前(京都大学のシンボル、学生交流の場として機能している広場)におけるパレスチナ連帯テントの長期占有に対して行われたカウンターである。

クスノキ前では、パレスチナ連帯スタンディングやデモが闘われてきた。
これはイスラエルによるパレスチナ人民ジェノサイドに反対する世界的なムーブメントの一つで、多くの世界市民がパレスチナ人民に連帯の意を表し、運動を闘っている。
日本でも各地の駅前でパレスチナ反戦デモが闘われたり、東京大学でもキャンパス内に連帯テントが設置されたりしている。
その運動の高揚の中で、京都大学でもパレスチナ連帯キャンプが5月中旬以降に張られることとなったのだ。

しかし、その連帯テントのクスノキ前占有が”長期間”に渡るとして、不満の声が囁やかれ始めた。
その中で巻き起こったのが、表題の「クスノキ返せ」運動である。
5/20に突如としてTwitter上に現れた「クスノキ返せ」という名前のアカウントは、翌5/21から、パレスチナ連帯テントに対するカウンター行動を実際に開始した。

「クスノキ返せ」運動の主張は以下

出典:Twitter(現X)「クスノキ返せ」アカウントより

②とあるのは、①として公開したビラが「反パレスチナ、イスラエルによるジェノサイド肯定」とも取れる内容で批判が集中したのである。
「最後に」の項で述べられている通り、”中東情勢やパレスチナ連帯キャンプへの一切の主張を撤回し、純粋に占領行為への批判のみを行う”ことがその目的であったからだ。

実際に彼は「クスノキ返せ」運動として、大学構内・クスノキ周辺でカウンター運動を展開し始める。
当初行われた主なカウンター活動は以下
・通りかかる京大生相手に「クスノキ返せ」に同意する署名集め
・「クスノキ返せ」ビラの配布、掲示板
・テント内に乗り込みKUVASPの運動主体に直接抗議
・大学当局、警備員へのメールや直接交渉による申し入れ


署名集めでは1時間で20筆も集めたり、ビラも配ったりといっぱしの活動家である。素直に凄いと思う。
私はもちろん当初から今まで一貫して”活動”自体は評価しているが、その”主張”に関しては肯定していない。これが基本的な私のスタンスであるというのを念頭に以下読み進めて頂きたい。

さて、論を進めるに当たって、大きく「クスノキ占領中」と「クスノキ解放後」の2つのフェーズに分けることとする。


クスノキ占領中

私は、KUVASPがクスノキ周りにテントを建てて占領している間に「クスノキ返せ」の運営責任者と、KUVASPの活動家たちを交えて対談を行った。そこで彼から何故この活動を始めたかや、KUVASPの占有のどこが”最大の問題なのか”を聞いた。以下その内容も踏まえながら私見を述べていく。

まず初めに彼が「何故この活動を始めたのか」であるが、それは「クスノキ前という公共空間が一団体にのみ占有されるのはおかしい」という問題意識からであるという。
本来ならクスノキ前という、京都大学に属する者なら誰でもアクセス可能な(その広場で自由に好きなタイミングで昼寝をしたりお昼ご飯を食べたり)場所が、一団体が占有し続けることによって物理的にそのアクセス権が阻害され、一般京大生からも不満の声が漏れ聞こえているというのが彼をカウンター活動に向かわせた契機であるという。要は”民意の代表者”であるということだ。

さて、私はまずここに数点の疑義を呈したい。

①クスノキ前という公共空間は果たしてどこまで開かれるべきか。

京都大学は国立大学であり、その受益者は国(ひいては国を構成する一要素たる国民全体)である。
授業やサークルで通っている等の理由から京大生が、実際的には最大の受益者であることは間違いない。また家庭を通して学費として京都大学に対して他の一般市民より多くのリソースを割いており、京都大学の空間の利用において優先されるべきであるというのも理解できる。
しかしその一方で(学費や設備費など金銭面の話をするのなら)、全く京都大学を直接的には利用していない国民の税金も投入されており、彼らもまた受益者として相当してよいはずである。
問題はそのアクセス権の高低を定量的に評価しがたいことだ。
つまり、「京大生は年間53万円払っているからこれだけ。東京都民のAさんは納めた税金のうちいくらが京都大学に突っ込まれているからこれだけ」という風に切り分けることは不可能であるし、またそのような定量的なアクセス権の設定が適切とも思わない。

ここで人によって意見が異なってくるのが先に述べた疑義「クスノキ前という公共空間はどこまで開かれるべきか」である。
私は、過去にアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、ドイツの大学を見てきた(短期留学でブリティッシュコロンビア大学、オクスフォード大学に2週間滞在、そこの学生と交流。ライプツィヒ大学の学生と私的交流)。
この経験の中で感じるのは、これらの国の大学が日本に比べて社会全体に開かれていることである。もちろんそれぞれ社会への開かれ方は違う。


ブリティッシュコロンビア大学では、大学構内に街ができていた。ベビーカーを押す女性に、ランニングする中年、散歩する老夫婦など…。「ここからここまでが大学の敷地ね」と言われた中に家が建ち車道は普通にクルマが走り、本屋やカフェが並んでいるのである。その中を縫って講義棟だとかドミトリーだとか、ミュージアムがあり、ここが大学であることを思い出させてくれる。
大学が街と混然一体となった社会への開かれ方をしているのだ。

続いてライプツィヒ大学の開かれ方についてである。
この大学は、諸外国から大量の留学生を受け入れている。その授業料は無料だ。なんという開かれ方であろうか。また、多くの人が”学生”という言葉から想起するのは若者であろう。しかし実際は「学び直し」という言葉で括られるような中年や老人の大学生もいる。彼らももちろん学費無料だ。
また、無料なのは学費だけではない。EU諸国の美術館博物館の入館料も無料、ライプツィヒ市内の公共交通機関の利用も無料、ドイツ国内の移動も廉価でできる。
これだけの福利厚生を国籍に縛られず提供しているところにドイツの大学の社会への開かれがある。

私はこれらの事例を見てきた中で、大学は社会にとってのオープンソースであるべきだという理念を持つに至った。
オープンソースたるというのは

・学籍者無学籍者の別が気にされない雰囲気
・図書館を始めとする研究施設の一般利用
・その他広場やカフェ等における自由な利用

などである。
ここに金銭によるアクセス権の高低という概念を持ち込むことがナンセンスなのはライプツィヒ大学の学費(0円)とブリティッシュコロンビア大学の学費(500万円弱)を取り出してみればわかることだろう。
問題は、金銭による区別ではないのである。
習慣的・文化的に大学というのはオープンソースとして存在できるようになる。

②実力行動の有効性

「クスノキ返せ」始めとする一部京大生は、パレスチナ連帯テントを「邪魔である」「迷惑だ」と言った。正しいのである。何故なら実力行動とは、”迷惑をかける”ことによって世間の耳目を集め、国や自治体といった権力に要望を通すものだからである。
当該運動をやっている人間は全員その迷惑さについて自覚的であろう。決して周囲の京大生に意地悪をしたいがためにクスノキ周りにテントを張っているわけではないのである。
あくまで手段の一つだ。

これは「クスノキ返せ」運動の責任者にも私が言ったことだが、(本当はその比較がナンセンスであることを知りつつ)「パレスチナ人民の被っている”迷惑”と京大生がたかだか昼寝できないことで被る”迷惑”とどちらがより”迷惑”なのか」という論点である。
方や生命・飢えの危機(昨今SNSですぐに餓死した子どもの写真など見つかる。パレスチナ人民がどのような状況に置かれているか気になる人は調べてみるとよい)、方や先進国のブルジョワ学生の昼寝である。
どちらをより優先的に救うべきであろうか。
私は前者であると考える。
そのために遠く離れた地域・一市民である我々ができることは何だろうか。
そう、我々は非常に微力なのである。「戦争反対」を叫んだところで戦火はやまない。しかし、我々国民の連合体たる日本国はどうであろうか。
一か国ではどうしようもないかもしれない。しかしこれにイギリス、フランス、ドイツ…と各国が口をそろえて「戦争反対、イスラエルのジェノサイド反対」を主張したら…?
国際社会の圧力によって戦争を止めることは可能だ。
そのために我々はまず自国政府を動かす必要がある。
それぐらいならできるのではないだろうか?
どうやって?
選挙、デモ、請願、色々な方法がある。

選挙が皆がまず最初に思いつく国民の意思投影の手段である。
しかしそれでは遅い。
イスラエルによるジェノサイドは”今この瞬間に”起きている。
選挙を待っていたらその間に何人死ぬことか。
”民主的な決定プロセスに従うこと”は人命に優先するほどの”正義”なのだろうか。否、私はそうは思わない。
それではどうするか。”今この瞬間に”でもイスラエルのジェノサイドを止めたいのだ。そのためには実力の示威行動で、世間や自国政府に問題をアピールし、解決に向かわせる必要がある。
そのための手段がデモでありスタンディングであり、クスノキ前のテント占領なのである。
「何故大学構内なのか」についてだが色々な理由があるだろう。
構成員の多くが大学生であること、世界的な大学構内で連帯テントを張る動きへの同調、大学という場が持つ社会的責任(現在の日本の大学は第二次世界大戦における戦争協力を強く反省する形で在り、反戦を強く訴える場として機能させるのが我々日本大学生に課せられた過去の戦争責任の償い方であると考える。特にアジア圏における加害の歴史と日本の大学の責任は切り離せない)、警察による暴力的撤去を免れやすいこと…。

③”民意の代表”について

「お前が代表していると宣う民意って誰を代表してんの?(笑)」という批判は勿論彼に対してできるだろう。私もそう思わないことはない。雑な理屈を言えば、私の意見・KUVASP参加者の意見はその”民意”に反映されていないからである。
勝手に”民意を代表する”ことの危険性はまず指摘したいところだ。エコーチェンバーの声のみが”民意”として聞こえてはいないだろうか。
ほかにも多様な”民意”があり、その意見を汲むことも社会形成のためには重要であろう。
”民意”を何で決するか、という問題で安易に「多数決で決めればよい」などとするのがいかに愚かであるかは説明せずともわかると思う。

さて、その上で「クスノキ返せ」が代表している「京大生の憩いの場が奪われるのはいかがなものか」という”民意”に対する反論である。
先に注釈的に述べた通り、我々は日本人であることで過去の加害・侵略の責任の一端を負うている。
ここまで言うと「言い過ぎだ」と批判を受けそうなので、少し譲歩して述べ直すと「我々は日本の大学(それも京都大学!)に通う時点で加害の責任を負うべきだ」ということだ。
戦前戦中、日本は国を挙げて戦争にまい進し、京都大学も研究という形で戦争協力を行ってきた。中国における731部隊の蛮行がまず具体例として挙げられるであろう。
戦後、戦争に突き進む政府にNOを突き付けられなかった反省(自分たちの”研究”で敵味方兵士一般市民問わず多くの人命を奪ってしまった反省)をもとに大学は再興された。
過去の大学関係者が、戦争に向かう政府を止めることはおろか人殺しに協力してしまったという過ちを我々は歴史に学んでいる。
この過ちは繰り返してはならない。
そのためには大学は最先頭で反戦を訴える砦たるべき(そしてそこの構成員が自らの先人が犯した過ちを繰り返すまいと罪に自覚的であるべき)である。
私は、以上の責任論から「京大生がクスノキ前で昼寝をする権利」よりも、「クスノキ前で反戦を叫ぶ義務」が優先されてしかるべきだと思っている。

また、この「京大生がクスノキ前で昼寝する権利」の侵害が主張されているなど、戦地から見たら腸の煮えくり返る言い草であろう。「俺らの人命より自分の昼寝か!」と。
そういう意味でも他者に思いを馳せる想像力(もちろん「クスノキ返せ」責任者も他者たる別人格の京大生を代弁して行動しているので持っている)をより広い他者に拡大してもらえればよいと思っている。

「クスノキ返せ」責任者は「困っている度×(自分までの)物理的距離を考えて、自分に救えるのは近くの京大生だからこの運動を行っている(近くの京大生にのみ救いの手を差し伸べる)」という趣旨のことを述べていたが、そもそも物理的距離を言い訳に助ける人/助けない人の線引きをすることがナンセンスであろう。
もちろん身近な人の方が助けやすいし、困っているのも目に見えてわかる。しかしそれは物理的に”遠い”他者を助けない理由にならないし、ましてやその努力をしている者への攻撃とはなってはならないはずである。

そもそもこの問題は、「パレスチナ人民を助けるか昼寝したい京大生を助けるか」の二者択一的な選択ではないはずだ。
最近私が何かを述べるときによく参照しまくっており、「今回もか…」という感じだが、『七つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー)によると目指すべきは、”Win-Win”or”No Deal”(取引しない)である。
どちらもより幸福になれる解決策を目指すべきではなかろうか。

昼寝をするなら(昼ご飯を食べるなら)本当にクスノキ前でなければならないのだろうか。鴨川沿いの土手に座ってもいいし、総人広場のベンチでもいいはずである。

④”長期間”の占有について

「クスノキ返せ」の責任者は、パレスチナ連帯テントのクスノキ前占有について最大の問題点は「”長期間”の占有である」と述べた。
どこまでが”長期間”でどこまでが”短期間”なのか、そしてそれを誰が認定するのか、というところで議論の余地がある。
また、この許容度について各々の主観に任せられるところが大きく、恣意的な―つまり、「クスノキ返せ」責任者の独断による―快/不快によって、許容されるか否かが決まる非常に危うい(それこそ”民意”を反映しない意志決定になり得る)ものだと感じる。

⑤運動方法について

「大学当局への申し入れ」「警備員への苦情申し立て」は確かに運動方法として、権力を上手く利用するという巧みさはあるものの、どうしても「やーい、悪いことしたんだから先生に言いつけてやろーっと」みたいな幼稚さが残る。これはあくまで私の好みに合わないだけ、とも言うが。
なんというか、この権力への盲信性や追従性というのは「クスノキ返せ」の責任者が”いい子ちゃん”の人生を送ってきたのが想起されて、「もっと楽しい生き方あるよ」と言いたくなる。まあこれは脱線なのでこのへんで話は止めておく。

クスノキ解放後

そもそも私は「クスノキ返せ」運動については上述のように”運動”していることについては評価すれども、その主張内容については批判的であるというスタンスを取ってきた。
”運動”していることについて一定の評価をしていたのは、政治への直接参加の絶対数が少ない日本で自発的に運動を起こしたこと、かなりの熱量をもって運動を継続している(た)ことが理由である。
これは、私の「すべての市民はポップに政治参加せよ」という考え方にもとづくものである。
その上で、私は今まで述べてきた通りジェノサイド反対・反イスラエルの立場からパレスチナ連帯に対するカウンター運動については反対している。

しかし、運動そのものについても支持をしなくなったのは、クスノキが占領から解放(パレスチナ連帯テント撤去)されても尚反KUVASP運動を継続しているからである。彼は私が最大の問題点(「最後、彼を運動に向かわせたものは何だったのか」)を問うたときに、”長期間”の占有であると述べた。
この”長期間”の占有状態は連帯キャンプの解散によって解消されたにも関わらず、彼はまだ運動を続けている(2024/6/13現在)。
ここに、彼が当初掲げていたイシューは無い。何故ならもうクスノキは占有されていないからだ。テントという制約がなくなり誰もが自由に立ち寄り利用できるスペースになっている。「誰もが自由に立ち寄り利用できる」とは、昼寝したい京大生はもちろん、KUVASPに代表される政治運動の活動体も自由に利用してよいということである。

しかし、彼はまだこれにカウンターを掛けているようだ。

ここにどのような正当性があろうか。
KUVASPの投稿を見る限り、テントのような長期間の占有を目的とし得る構造物も見当たらず、昼休みのみ(もしくは一日限り)のパレスチナ連帯スタンディング運動であるように思われる。
果たしてこれは”長期間”の占有に当たるのだろうか。昼休み~一日程度の(それも占有面積も写真の通りである)占有を”長期間”と見なすのは苦しいのではなかろうか。

この”占有”に対するカウンターを行う正当性を私は説明し得ない。
この程度の”占有”に対してカウンターを行うなら、「岸田打倒!核戦争阻止!」を打ち出す団体や、昼飯をクスノキ周りで食べているサークル、大道芸をやっているサークルにも同様の申し入れを行うべきではなかろうか。
運動に道理が通っていないように感じる。

彼は、クスノキ返せ②のビラでも述べている通り”中東情勢やパレスチナ連帯キャンプへの一切の主張を撤回し、純粋に占領行為への批判のみを行う”としている。実際に彼と話した際も、「政治的主張が別になんであろうと、ここを”長期間”占有するその手段のみについて反対する」と述べていた。もちろん人間なので考えが時間と共に変化することはあろうが、それをきちんと説明するのが運動体としての筋であろう。
しかし、ここまでKUVASPにのみ執着して当該カウンター行為を行うようでは、ジェノサイド肯定・反パレスチナの烙印を押されても仕方あるまい。
本人は、「政治的スタンスとは一切関係ない、持たない」と述べていたが、政治的スタンスは往々にして他者に規定されるものである(右翼-左翼の例をとるとわかりやすい。一般的な左翼は右翼から見れば”左翼”だが、極左から見れば”右翼”であり、もしかすると当該左翼本人の自認は”中道”かもしれない)。その規定はやはり本人の行動を持って決められるものだろう。
そのことに注意して言動・行動すべきである。

かくいう私も自認は”ニッポン大好き愛国お兄さん”なのだが、傍から見れば”パヨク”なのであろう?知ってるぞ。


また、最近「クスノキ返せ」のTwitterアカウントに追加された文字列「KUVASPの再占領を防ぎたい」がための示威行動だとしても、単発のスタンディングに対してカウンターをかけるのは、相応の反感感情があると捉えられても仕方あるまい。
私の卑近な見方をすると

①言い始めて引っ込みがつかない
②正義中毒に陥っている
③運動に酔っている

ように見受けられる。


①についてだが、本人の運動とはある種関係なしにある日突然KUVASPのテントは撤去された。この肩透かし感が故に引っ込みがつかなくなっている。何か結果が出るまでズルズル引きずるサンクコスト効果である。「ここまで投資したんだから結果が出るまでもうちょっと…」の気持ちが故”長期間”占有の解消という当初掲げていたイシューが解決された後も、違う問題点にすり替えて運動を行っている。これは後述の③にも繋がるポイントである。

②について。脳科学者の中野信子は、著書の「正義中毒」の中で、SNS全盛時代に”正義中毒”に陥る人が増えていると論じた。これは有名人の失態・事件などをきっかけに一般人が匿名で彼らに誹謗中傷(本人たちは正義の鉄槌だと思いこんでいる)を投げかけ、中には自殺する例も現れた。
これは、他者承認欲求の肥大化が故であるとか正義を行使することは人間の脳にとって快感をもたらすであるとかが同著の中で述べられているので気になる人は参照されたし。
「クスノキ返せ」運動の責任者は現在この”正義中毒”に陥っていると推測する。当初SNS上で目立った「クスノキ周辺のパレスチナ連帯テントは迷惑」論に乗っかって、しかも直接行動を起こさない人が多い中で唯一行動したことが、彼を正義の執行者と誤認させ、正義中毒に陥らせた。彼の行動は(私含めて、ある種の責任を感じているが)彼に大きな他者承認や正義感を与えた。
人間は自身の行動を”正義”と思い込むことによって多くの残虐な行為を可能にしてきた。多分イスラエルもハマスも自分を正義の執行者だと認識している。だから戦争は終わらないのだ。だって、正義と悪の対立で最終的に勝つのが正義じゃないと良い社会は到来しないだろう?

私は一度この”正義中毒”から抜け出すべきだと提言する。
そのためには一度運動を休止することだ。
ここからは最後、③についてである。
運動は楽しい。麻薬である。これは私も経験しているのでかなりわかる。
聴衆の前でアジテーションするのは世の中の皆の耳目がこちらに向いているようで非常に心地良いし、権力との肉弾戦だって、弾圧してくる”悪い奴”(これについて私は実際に警察の方が悪いと思っているのだが。熊野寮祭における権力導入やガサ入れの話である)と闘う”正義の執行者”であると信じて闘っている。
某核派の人間がよく「(革命)運動は人間解放の闘いだ」というが本当にその通りである。
運動の中で感じられる解放感というのは何物にも替えがたい。
運動の高揚感・正義感、とても心地いいのである。
しかし、これによって運動本来の目的(社会をよりよくしようとするもの)を見失ってはならない。
「クスノキ返せ」運動はKUVASPがクスノキ前からテントを撤去した時点でその目的を達成しているのである。もう別に運動を続ける必要はない。
一方でKUVASPの闘いはまだまだ続く。イスラエルによるパレスチナ人民の虐殺・戦争がまだまだ続いているからだ。


終わりに

以上が私の「クスノキ返せ」運動に対する私見である。
直接運動の責任者と会って話したのはわずかに一回、それも数十分の話である。そのため彼の主張を十全に理解できていないこと、また私が本稿執筆時点で北海道・利尻島に居り、京都大学周辺の様子を直接見ることができていないことによる誤謬等あらばこの場を借りて謹んでお詫びする。

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