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歯を治療途中で1年放置した話

インドには世界一甘いと言われるお菓子「グラブジャムン」なるものがある。小麦粉と砂糖でできた生地を揚げたもの、要するにドーナツみたいなのがたっぷりのシロップに漬けられたデザートだ。
以前東京に行った際インド料理屋で食べたことがあるが、世界一という肩書に恐々としていたのが馬鹿らしくなるほど甘美な体験だった。

東京駅などにあるエリックサウスで食べられる。

僕は甘いものも辛いものも好きだけど、これが世界一辛い食べ物だったらきっと食べられなかっただろう。たいていの人間は辛味や塩味に対してストッパーを持っていて、極端な濃度の味付けには身体が拒否反応を示す。

だが、甘味に対してヒトは明確な防御機構を持たない。少なくとも僕はそうだ。手元に甘いものがあると無くなるまでつまんでしまうし、水分補給にとコーラを常飲していた時期もあった。

当然ながら、そんな生活を続けていると壊れてくる部分がある。歯だ。

・惨劇の始まり、バレンタイン

奇しくもそれは2月14日、バレンタインその日に起こった。
特に外出する用事もなく、部屋でせんべいをかじりながら、今年もサークルの男どもにクッキー(自作)を配って傷の舐めあいをするかな、などと考えていたら、口の中で明らかにせんべいとは異なる感触がしたのである。
とりあえずせんべいを飲み込んで、舌で口の中を確かめると……欠けている。右上の第一小臼歯、つまり犬歯のひとつ奥の歯が見かけ三分の一ほど欠けているのである。
欠けたパーツは行方不明になったので恐らく飲み込んでしまったのだろう。
多少虫歯を患ったことはあるが、ここまで大きく歯を失ったことはなかったのでまあまあショックだった。

しかし、当時ものぐさの極致に達していた僕は、「まあ別に痛くもないし、急いで歯医者行くほどでもないか」とスルーしてしまった。普段かかっている歯医者は実家の方にあり、下宿先で歯医者を探すのが面倒だったというのもあるが、今考えると能天気すぎる所業だ。

・歯、粉砕。

そして欠けた歯を放置して2か月。4月の末頃。書きながら気づいたけど春休みに歯医者行けたんじゃないか? 何をしていたんだ。

何をしていたかと言うと、3年ぶりに学年が上がり浮かれていた。
浮かれた僕は、飢えた大学生の聖地、松山の台所”元帥”で唐揚げ定食白米大盛を食べていた。揚げたての衣に特製ソースがかかってジューシーな味わいが口の中いっぱいに……サクッ、ザクッ、バキンッ! え…………?

マジで「バキンッ」って音がした。口の中にある石ころみたいなのをつまみ出す。歯だ。「歯が砕けた」。同席していたサークル仲間がギョッとしたような顔で見ている。

しかしこの期に及んでもなお痛みはない。歯、砕けちゃった。テヘ。みたいなリアクションでお茶を濁し、僕はそのまま唐揚げ定食白米大盛を完食した。

・赤き氷山の象牙質

家に帰って歯をよく観察すると、無残にも砕け散ったエナメル質は、風化し崩れ落ちた古代遺跡よろしく土台と壁部分が少し残るばかりであった。そしてそのエナメル質の中から、さながら氷山のように鋭く赤白いものが突き出している。象牙質だ。

象牙質が完全に見えているのってかなりまずい状況なのだが、思うに1回目に歯が欠けた時点ですでに象牙質は露出していたと考えられる。

歯の外側を覆うエナメル質はヒドロキシアパタイトの結晶で、いわば金属みたいなものだから、虫歯菌も少しずつ溶かすことしかできない。象牙質もヒドロキシアパタイトからなる組織だが、有機物を多く含む。虫歯菌しか突破できないエナメル質に比べて、はるかに速く浸食されてしまうわけだ。

1回目に歯が欠けて露出した象牙質の部分が浸食されていき、おそらく空洞ができて内側の支えを失ったエナメル質は、元帥のザクザク唐揚げに敗北し砕け散った……そういうことであろうと推測される。

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痛みはほとんど無いとはいえ、さすがにこの状況では歯医者に行かざるを得ない。友人に下宿近くでいい感じの歯医者を教えてもらい、予約を取るのに土日明けを待ち、ゴールデンウィークをはさんだ結果、歯が砕けてからおよそ1週間後に歯医者へ行くことになった。

その1週間何をしていたかというと、徳島に行っていた。当然旅行先ではおいしいものを食べる。ヘッダー画像の焼餅がそれだ。歯が砕けてんのにどういう神経してんだ。

・神経は死んでいた

歯医者の先生は優しいおじいちゃんだった。顔が大きくて菩薩のような細い目で、高校の数学の先生にそっくりだった。あの先生も優しかった。

優しい先生は、歯の神経取っちゃうからねと言った。象牙質のさらに内側にある歯髄、要するに神経が入っているところもダメになっているらしく、歯の根っこの方までほじくって神経を取ってしまうとのことであった。

なんと恐ろしい治療か! と思ったが、考えてみれば痛くないのはもう手遅れだったからとしか言いようがない。診察初日で僕は砕けた歯の神経とバイバイした。

象牙質と神経があったところに薬を詰め、ゴムだかセメントだかわからない物質でふたをし、その日は痛み止めを2錠もらって帰った。
先生は治療がこの先どうなっていくかについての説明はあまりしなかった。僕も先生に任せて為すがままだったので特に訊ねることもなく、歯の根っこがきれいになるまで詰め物を取って換えて……という治療が何回か続いた。

そして初診からおよそ10日後、何回目かの診察の日。僕は予約を完全に忘れていてすっぽかしてしまった。一度すっぽかすとなんだか申し訳ない気持ちになり、再び予約の電話をかける勇気が出ない。

僕は「考えないようにする」ということに関して天賦の才があると自負しているが、この才能はたいていの場合状況をめちゃくちゃにして酷い結果をもたらす。

結局、大学を卒業して下宿先を離れるまで歯医者に行くことはなかった。

・時は流れ……

4月。歯が砕けてからおよそ1年。歯が1本欠けていると食事のしづらさを感じるし、ご飯粒とかが隙間に入ったりして面倒がある。その上この頃には神経を抜いたはずの歯が激しく痛み始めたのである。

歯を治療途中で放っておくのが一番よくないってことは僕も知っていた。これ以上目を背けることはできない。
僕は痛みに負けて地元の歯医者に行くことにした。

前の歯医者で入れたゴムだかセメントだかの詰め物は1年間頑張って詰まってくれていたが、仮の詰め物である。細菌が入るのは防げないのであろう。
歯の根っこの中に入り込んだ細菌が繁殖していたらしく、歯科助手さんが詰め物をとると悪臭が漂う。まな板の上の鯉ながら、申し訳ない気持ちが沸き起こる。これが生活の中で漏れ出たり、ふたが外れてたりしたら酷かっただろうな……

・ドリル往復地獄

とにかく歯根で繁殖した細菌を除去しなければならない。薬でやるのかと思っていたら、先生が細長~い手回しのドリルを持っているのが見えた。えっ! まさかそれを!?

神経が除去してあるとはいえ、奥の方には繋がっていた神経がまだ残っている。それが圧迫されたりすると痛むわけだが、そのギリギリまで細いドリルが突っ込まれる。ゴリゴリとドリルが進むのに合わせてピーピーと何らかのセンサーが鳴る。ピーピーの感覚が早くなると深すぎるってわけだ。ピーーピーーピーーピーピーピピピいててて!!! もう痛いんですけど!?!?

歯医者の先生は痛かったら手を挙げてくださいねと言うが、結局それで止めるかどうかは先生の匙加減だ。(偏見)

歯の根っこまでドリルが到達すると、ゴリッと引っこ抜いて膿をかき出す。そんなやり方だと歯の穴が広がりそうなもんだけど、不思議とドリルは毎回ゴリゴリ鳴く。

そんな感じでドリルが数往復してやれやれ終わったかと思いきや、しばらく様子を見て膿が出なくなるまで続けるとのこと。他の歯にある虫歯もちょいちょい治しつつ、毎週歯医者に通いドリルを往復される日々。それがまさか3か月も続くとは……

・もっとロキソニンをくれ!

歯根治療の日々で一番つらかったのは歯にふたをし始めた時だ。最初は「え? 穴開けっぱなしでいいの?」と思ったが、いざふたをしてみるとめちゃくちゃ痛い。歯の奥の神経に圧力がかかっているのか、脈動に合わせてズキズキと痛む。初めて貰った時は使わんでしょと思った痛み止めも、常用せずにはいられないほどにずっと痛い。この時ばかりは早く歯医者に行きたいと思わずにはいられなかった。

ふたをしても痛まなくなってくると、いよいよ歯を形成する段階に入る。僕の歯は中身はだめになったが、根っこの方は外側が残っていたため、それを土台にしてボルトみたいなのをぶっ刺して人工の歯をかぶせるという。人工歯を作るのに時間がかかるとのことで1週間はボルトだけ入れた状態だったのだが、見るからに金属って感じのものが生えてるのはちょっとロボっぽくて面白かった。

人工歯は3種類から選べて、値段はうろ覚えだけど、銀色のやつが数千円、口の外から見える側は白色で内側は銀色のが2万円、全部白いのだと5万円だった。治療中いきなりどれにするか聞かれたので困ったが、割と見える位置の歯だったので外側だけ白いのにしてもらった。

人工歯がどういう素材なのか聞きそびれたが、舌で触るとつるつるして気持ちいい。白さが周りの歯からちょっとだけ浮いてるけど、気になるほどではない。噛み合わせも問題なし。久しぶりに右側の歯で食べ物を噛めた。

・歯医者に行こう

歯の病気は怖い。
治療中にレントゲン写真を見せてもらったのだが、歯根のさらに先に白い丸が写っていて、それが膿だといわれた時にはゾッとした。今回は重篤にならずに済んだが、あれが血管に流れ込んだらと想像したら恐ろしいことだ。
僕は専門家ではないので本当にそういう事態になるかは知らないけど、歯の病気は放っておいても治ることはないので、まずは歯医者に行くべきであろう。そして、必ず完治するまで通うことだ。

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