【けいばエッセイ】細江さんのポストに思う~郷愁の淀~
明日の予想もできた。明後日の予想もできた。枠順確定後に修正する必要もなくなった。ってか、推奨馬は望ましい枠をゲットできた。今週は3連勝する。ほんまか。
かあちゃんに頼まれた仕事は「明日やるから」と先送りしてこんなことを書く。
ずんこさん。そのポスト「それな!」です。
いろんな意見があることを承知で暴論を吐く。
若いころからずっと、それこそ非開催日でも、場外と言ってた時代から、パークウィンズに名前を変えてからも淀にお世話になってきた私でさえ仕事でない限り行かなくなったほどだもの。家族との思い出がたくさんある私でも行かなくなったもの。家族も行きたいと言わなくなったもの。
なぜか。
「なんちゃらパーク」って名前が好かんとかそんな薄っぺらい話じゃない。「選民思想」が露骨になってきているからだ。昔から、それこそ中央競馬会と名前を変える前からの日陰の存在だったころから競馬を支えてきてくれたじいちゃん、ばあちゃんを「もういなくなった」かのように扱う。そんな姿勢が見え隠れするからだ。
じいちゃん、ばあちゃんが二人できて、寄り添って歩く姿をどう思ってみてたんだ。競馬が生きがいで、土日に淀にいくことを楽しみにいてくれたじいちゃん、ばあちゃん。改装前はいろんなところでお会いできたじいちゃん、ばあちゃんたちに私は元気でいてほしいよ。自分で何とかできる自分の健康のことよりも、そんなじいちゃん、ばあちゃんの健康をこそ願う。
なんであんなに何もかもが高いんだ?
なんであんなに何もかもがまずいんだ?
私のまわりは「高くてまずい」「くつろぐ場所がない」「指定席を取るのがめんどくさい」から行かなくなった人がほとんどだけど、圧倒的に「高くてまずい」がリードしている。
競馬場を「ラグジュアリ」な位置づけにしてどうすんの?ただでさえ京都は新規の外資系ホテルが軒並み「ラグジュアリ」を求めるようなインバウンドを対象にしたものにして、古き良き時代の文化をめちゃくちゃにしようとしているのに、そんなのと足並みをそろえてどうするの。
たとえば錦市場。それはもう京の台所じゃなくて占領された地だ。それを是とするかのような淀の運営。
場内の芝生広場だって、自分たちが管理しやすいように「あれはダメ」「これもダメ」って、あほか。芝生広場は子供たちが遊ぶためにあるだけでなく、家族の思い出を作るためにもあるんだぞ。
いろんな遊具を抱えて、駐車場からの接続バスに乗り込む親子連れの生き生きとした目を見たことがあるのか。そんな親子が、芝生広場まで行って「あれはダメ」「これもダメ」といわれてしょんぼりする姿を見てどう思うのか。それを見るこっちまで心が折れるよ。
それでも「もう一度来たい」と思ってもらえるとでも思ってるならそれはよほどおめでたい人だけど、この設計と運営はそんなおめでたい人によるものだろうから、観客減は当然のことだろうよ。
食べ物だってそう。ワンコインにちょっとだけ足して食べることができる「うどん」「そば」や淀でしか食べることができなかった風味のある「ラーメン」。レジャーフーズのおばちゃんお元気ですか?あのときは子どもに親切にしてくれてありがとうございました。
ファストフードってそんなもんだろ。
開催日には、ちょっとだけリッチな思いができた近鉄レストランの朝定食。そこでワイワイ言いながら、その日の夢を語り合う貴重な時間と場。
そんなものをすべて奪ったからこそのこの「不人気」だろうよ。
観客が減ったのはネットで馬券が買えるからじゃない。G1でネットがつながりにくいからでもない。もちろんスターホースがいないからでもない。
これまで支えてくれたお客様へのリスペクトを失ったからだという当然の帰結。
細江さんのポストにこんなことを思った。