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思い出すこととこれからのこと

今日からちょうど1年前、親友が亡くなった。報せを受けたのはそこから1ヶ月ほど経ってからだが。命日であることに変わりない。

こうしてnoteに書きたいと思えるくらい、気持ちが整理できてきたので書き残しておこうと思う。そうなったきっかけとなる出来事、というか人との会話の中で感じられたこと等を書いていきたい。

親友との関係はいわゆる幼馴染、それ以上だった。お互いに家庭環境での悩みがあったから、家族よりも家族の様な存在だった。

人生の中で起きてくる悩みの全てを共有していたと思う。何かあればお互いに報告し、意見を言い、励まし合う。

そんな親友を突然、亡くなりましたと告げられ、仕事を休んで地元に帰ったとき、もしかしたら嘘かもしれない。本当は生きていて私を待っているのかもしれないと少しでも希望を見つけたかった。彼女の実家のリビングに案内されて、小さな骨壷が置いてあるのを見たとき、どうしようもない絶望感におそわれた。本当なんだ、本当に死んじゃったんだ、と。

彼女の両親とは10年ぶりくらいだった。

色々なことを話してくれたし、私も話した。
3年間くらい絶縁状態だったこと、亡くなる直前のこと、彼女の精神状態のこと。

その中でも印象的だったのが、彼女の友達についてだった。

Twitterでこんなことを呟いていた、と。

私は友達が本当に少ない、友達がいない、本当の友達は1人しかいないんだ。

その本当の友達っていうのが、私のことなんだと。LINEを見ても1人だけいるんだ、他はお客さんとかなのに。1人だけ友達として登録されてたんだ多分。それが◯◯ちゃん(私の名前)だったから。

どうして気づけなかったのかなあ。私は。こんなに私のことを大切に思ってくれている人がそばにいたのに。
馬鹿だよなあ、ほんと。

それで、ずっと自分のことを責めていた。

悲しくてしょうがなくて、乗り越えないといけない、前に進まないといけないってずっと考えていた。

でも、ちょっと間違っていたみたいだ。

必ずしも乗り越える必要はないって、周りの人が言ってくれて、好きなアーティストもそう言っていた。ああ、そうなのか。乗り越える必要はなくて、つまりそれって親友を忘れないでいるってことだから、彼女もその方が嬉しいんだと。たしかにそうだ。

今は正直、悲しいっていうよりも会いたいとか懐かしいっていう気持ちの方が大きい。

この話したいなあとか、相談したいことあるなあとか。

亡くなった人ってきっと忘れられていく人が多いかもしれない。記憶の中で霞んでいってしまうのかもしれない。

もし、何かの縁でこのnoteを読んでくれている人がいたとして、誰か大切な人を亡くした経験があったら。でも、長い人生だから、これから亡くすこともあると思う。その人たちに伝えたいことがある。

亡くした瞬間、その後はしばらく悲しみに暮れるかもしれない。永遠に悲しみが続くように思われるかもしれない。でも、いつか絶対思い出を楽しめるようになる日が来ます。私がそうだから。

忘れないであげてください。忘れなければ、その人達は永遠に生きているから。

いつかは自分自身も死ぬのだから。それを忘れちゃいけない。

どんな理由で死んだにしても、生きている私たちが充実した人生を送るべきだ。それが最大限の追悼だ。

長くて拙い文章をここまで読んでくれた方がいたら、ありがとう。

これからも日記をちょくちょく更新していくから、気になったら読んでください。

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