ボロアパートの塾長が、僕に「自由」と「自信」を教えてくれた。
あなたには、自分の人生を大きく変えた師がいるだろうか。
僕の師は、小学校卒業後すぐに通い始めた地元の小さな塾の塾長。それまで心の奥底に影を潜めていた好奇心や学習欲がハッキリと現れるようになったのは、彼のお陰だと思っている。
僕は元々、勉強がとても嫌いだった。スマブラやFPSをして遊んでいる方が断然楽しかったし、学校の授業も、(親に無理やり申し込まれた)中学受験のための勉強も全然面白くなく。そんな感じだったから、受験当日も全く頭が追いつかずあっけなく落ちた。
小学生時代、よく遊んでいたFPS「ペーパーマン」
私立中学に入れなかったら塾に通うことが家の掟として定められていたため、小学校を卒業してからすぐに塾へ。
「兄が通っていたから」という理由で僕に選択権もなく通うこととなったのは、築年数そこそこのアパートの一室で開かれている小さな塾。種類バラバラの一人用の机が数個、2,3列ちょこんと並んでおり、生徒も全体で両手で数えられる程度にしかいなかったと思う。
そして先生は白髪まみれでヒョロヒョロノッポのおじさんただ一人。彼が塾長。
当時僕がイメージしていた塾は、もっと統一感、清潔感があって洗練されたものだったので、「ここ本当に大丈夫?」と不安でしかなかった。
でも、「こんな塾だからこそ良かったんだ」と今は心からそう言える。
入塾してからすぐ、英語の勉強を始めることになった。当時、小学校では英語の授業がなかった上、僕は英会話の習い事もしていなかったため、本格的に英語に触れるのはこの時が初。異国の言葉、未知すぎて始めてすらいない時から、とんでもなく苦手意識があった。
中学校で使う英語の教科書と全く同じモノを塾で貰い、入学前に先取り学習。多分「Apple」が読めないレベルで何も分からない状態からのスタートだった。
しかし、塾長はとにかくとにかく出来たこと全部褒めてくれた。単語を一つ新しく暗記しただけでも、教科書を見ながら会話のパートをワンフレーズ読み切れただけでも。些細な成長に大きなエールを送ってくれていた。
当時の自分は勉強は疎か、日常生活全般で褒められる経験がほぼ無に等しかったため、すごく嬉しかったのだと思う。「僕ってもしかして英語得意なヤツ?」と都合の良い自信が芽生えた。
その後の塾長の対応も本当にありがたいと思っている。英語の学習意欲が膨らんできてからは、完全に自由に勉強させてくれた。学習範囲を指定されることもなく、無理に教えに入られることもなく、僕が夢中になって教科書のページをめくる姿をただただ見守ってくれていた。
僕にとって塾は、問題が発生した時、気軽に先生に相談しにいける便利な自習室だった。
「やりたい」が芽生えてから、とにかく新しい知識を得たくて堪らなかったので、誰に何を言われることなく自分のペースで新たな単元の学習をさせてくれるのは本当に嬉しかった。気づいたら中学1年の秋には中学3年の教科書まで全部網羅して、高校英語の勉強していた。勉強ってこんなに楽しいのか・・・と小学生の時には感じることのなかった快感を得ていた日々。幸せだった。
一方、中学校での生活は全く順風満帆ではなかった。
自由からかけ離れた生活スタイル。地域内での評判も良かったからなのか各教員の規範意識が高く、少しの「乱れ」で罰される。腰パンで説教、髪染めバレて学級会議が開かれ晒し上げ。
そんな堅苦しい環境で中学1年の秋から学年委員長にチャレンジしてみたはいいものの、先生からも他の生徒からも「模範生徒」としての振る舞いを、より強く求められしんどくなっていた。また、キャパシティを考慮されずテニス部の部長にも強制任命され、中間管理職の如く、顧問と部員の板挟みを喰らい、どう行動すべき分からなくなり・・・。
もうなんか、欲とか意思を出したらダメになる気がして無意識に閉ざしていた。
僕は空っぽな人間になっていたので、言われるがままに2年半の間学年委員長を、1年の間部長を全うした。偉すぎ自分。
そんな自分を救ってくれたのもやっぱり塾長だった。
高校受験と向き合う時期がやってきた頃に、塾長は「ここ、合うと思うよ」と、僕にとある高校を紹介してくれた。地元から少し離れた地域にある高校。
教えてもらった時はそもそも高校生活のイメージが湧かず何が良いのかさっぱり分かっていなかったので、ひとまず中学3年生の時にオープンキャンパスに行ってみた。そうしたら見事に僕の感性にバッチリとハマってしまった。
その高校の校風は「自由」。制服はなく皆が好きな格好をして過ごしている。大学の如く様々なジャンルの授業が用意されていて、自分で履修したい授業を選び時間割を組んで受ける。そして外国語に強い。そしてなんか校舎が10階立てでクソデカい。
高校のイメージが湧いていなかった自分でも、「ここは普通じゃない」と身を以て感じ、却ってワクワクが止まらなかった。数々の制約に縛られないだろうこの環境で過ごせたら、どんな気持ちいいことだろう。
オープンキャンパスに行ったその日、僕は「皆が行くから」となんとなく選んでいた地元の高校を志望校から省き、ひとめぼれした高校と入れ替えた。その半年後には受験に臨み、無事合格。
遠く離れているからか通っていた中学校での知名度は低く、僕も塾長に教えてもらっていなければ当然のように地元の高校を選んで進学していたと思う。それはそれで絶対に人生が変わってたし、例えば知人が誰一人いない、顔も分からないオンラインコミュニティに自ら飛び込むような「チャレンジ精神」的なモノも、もしかすると芽生えていなかったかもしれない。興味がある未知のモノに素直に飛び込めるようになったのも、多様な選択肢が用意され自由にハチャメチャに過ごせる高校を紹介してくれた塾長のおかげだと思ってる。
塾長には当時クソほど嫌いだった勉強の楽しさを教えてもらえたのはもちろん、勉強に限らず影を潜めていた好奇心を引き出してもらった。これを基盤にして、高校以降は少しでも興味があることには分野問わず何にでも触れる習慣がついた。ゲームとテニスしか好きと言えることがなかったし新たに開拓するモチベもなかった自分が、少しの「やりたい」に敏感になって、演劇やったり昆虫食べてみたりロシア語を学び始めたり農業に関わり始めたりアフリカに飛び込んでみたり・・・本当に色々な未知の世界に自由に飛び込めるようになった。というかそれが、自分の人生の醍醐味になった。
もう、あの塾は無いそう。大学の合格報告をしに数年ぶりに塾長の家を訪れた時に、そう聞いた。寂しいけれど、塾長も高齢だったので仕方ない。
今、塾長はどうしているのだろう。もうかれこれ7,8年は会ってない。元気にしているだろうか。まだ僕が地元で暮らしている内にもう一回、顔を見に行こうかな。
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