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『キバの唄』第1話 闇の守り人

足が、もう動かない。
息を吸っても、うまく吸えない。足が震える。汚れた指先も、寒さと感じた事のない恐怖で震えを抑えられない。

「諦めろ。」

男の静かな声が聞こえると、心臓を思い切り掴まれた錯覚がして、顔をしかめてしまった。止まってはいけない。

逃げなければ。離れなければ。

懸命に行き止まりの鉄製の壁を手探り、叩いたり、蹴ったり、隙間でもないか指先で探り必死で突破口になりそうなものを探した。

そんなドラマチックなチャンスなんて都合よく転がってはいない。分厚い頑丈な鉄製の壁は無情にそびえ立ち、何の欠陥もなく、目の前に完璧に立ち塞がっていた。
もう、だめだ。震えが制御できなくなり、その場に腰から崩れ込む。

「お前は本当によくやった。ここまで完璧にやり切った一般人は初めてだ。」

冷酷で、冷え切った声。
男は、憐れみの入り混じった目で、"一般人"の俺を見下ろす。褒められている筈なのに、今自分が欲している温かさなど微塵もない事だけは理解した。

「こっ…ここで、おっ俺も…っ!俺のことも殺すんですか…?とっ父さん達…っみ、みたいに…っ!」

勇気を振り絞ってだした声も、大声を出したつもりなのに、顎が震えてまともに発声できずに裏返り、どもり、情け無く響いた。

震えが止まらず、歯がぶつかり合ってガタガタと音を立てる。それを必死で止めようと食いしばっても、震えは止まらないので奥歯がカタカタと鳴った。
泣きながら自分の口を両手で覆い、強く押さえる。情け無さすぎる。

(くそ…っ!くそっ!くそ!震えるなよっ!ばか!)

それ以上口を開くな、と言わんばかりに男は、右手のひらをこちらに向けて制止させる仕草をする。

専門店で作らせた高級スーツに身を包み、自分のほうに向けている手にも黒革の手袋をはめていた。革靴の艶が、薄暗いなかでも確認できる。よほど良いものに違いない。

「ここで、消える。元々お前はそういう予定だ。アナトール」

急に言葉の圧力が増す。
反射的に顔を上げて数メートル先の男の顔を見上げた。

「俺は、予定を崩されるのが何よりも嫌いなんだ。」

その目は、全く笑っていない。
全く表情を変えず、自分のほうへ向かってくる男の落ち着き払った動作が、否応無く自分を追い詰めた。

殺されるのだ。自分はここで。間違いなく。

「まっ!ま、ままま待ってくれませんかっ!!」
「…」

無様だ。それでも、沈黙が耐えられない。

「そっそ、そ、でっでも!死にたくない!こんなっ…ことっ聞かされてません…っ!どうか…っ」

咄嗟に出たのがよくあるセリフでも、そんなことどうても良かった。

そして、特に男の動きを止めることは出来ず、男は黙々とジャケットの裏に手を伸ばし、取り出したものを当たり前の様に自分へ向けた。

「そ…れ—」

男は、何の躊躇いもなく簡単に引き金を引いた。

(っあ…!!)

目を咄嗟につぶったが、痛みは感じない。
小さな、手のひらに収まるサイズの銃だった。先端に何かが付いていて、それがサイレンサーだと気が付いたのは、男が発射したと同時に鉄壁に深くめり込んだ鈍い音が破裂音ではなく極端に小さいものだったからだが、おかげで完全に腰が抜ける。相手は本気なのだ。

そんなことを考えている内に、俺の頭に直接硬い銃口を突きつけられていた。

終わった。

俺は、結局やつらに利用され、使い捨てられるのか。
銃口を突き付ける男が何やら無声音で呟くのが耳に入る。

「“ルシアンの為に…”」

(え…ルシアン語…?なんで…)


パシュ…ッ!!パシュッ!!


目の前の男の体から何か弾け、自分の顔に赤い液体が飛んできて付着する。その温かさを感じるより先に、恐怖の根源だった男が一瞬で崩れ落ちたことに驚きと安堵が押し寄せた。呼吸すら忘れる衝撃。
目を見開く俺の前の視界が開けて、複数の人影が映る。

「え…だ…れ…」

倒れた男と同じサイレンサーの付いた銃を立った姿勢で片手で構えている、まだ幼さの残る男と、その隣に立つ背の高い青年。そして…

「さすが、キリル。間に合った。」

撃った男の真横に腕を組んで立つ少女が、頷きながら俺の姿を確認して言うのが聞こえる。少女だと思えたのは、その凛とした声から判断したからだ。外見は、まだ幼く、美しい金色の前髪はさらりと流してはいるが、耳まで刈りあがっている短髪なので、一見すると少年だった。

「立てる?」
「…」

目の前に差し出された少女の、小さいのに俺よりも皺や古傷が多い無骨な手を見つめてしまう。しかも、乾きかけだが、彼女の手は、血にまみれていた。
何も言えず、質問するのも躊躇う。この手を掴んでいいのか?
得体の知れない命の恩人を、俺は信じても平気なのか?
助けてもらっておいて、しっかり安心しておいて、図々しいと言われても仕方ない。でも、もう、誰も、信じることができない…!

「いい。そっとしておいてやれ。」
「レオ…!そうだね…」

背後から、背の高い男に掛けられた声に、少女は素直に頷くと改めて俺の前に屈みこんだ。視界に、少女の大きな碧眼の瞳が映り込む。
美しい。ガラスの様な深くて複雑な青灰色をした美しい瞳だった。

「この先、あんたが怯えて暮らすことはない。あんたはもう自由。しっかり、自分の為に生きて。」

遠くで、狼の遠吠えが聞こえる。
少女のまっすぐな瞳から目を離すことができない。黙って頷いた。

「時間だ!カシラ!」

その場にあとから駆け付けた更に幼い少年が声をあげた。
カシラと呼ばれた少女は素早く立ち上がり、周りの男たちに声を掛ける。

「朝になる。行こう。」

「了解!」
「おう。」
「そうだな。」
「了解♪」

彼女が掛けた一声に、集まった男たちが次々と応える。
今になって気が付いたが、彼らは、白地の布に揃いの紋様の入ったオル(羽織り型の袖なしのマント)に身を包んでいる。少女も、周りの男たちと同じサンガル(緩やかなシルエットパンツ)を履いていた。どう見ても彼らは家族ではない。

彼らは、いったい…

「アナトール・バロフ・ポロシェンコ」

自分の本名をはっきりと呼ばれたので、反射的に顔を向ける。
一人だけ、背の高い青年が自分のほうへ一歩前に出ると、首まで下げていた揃いの布を掴んで口元を隠して続けた。

「俺たちのことは、誰にも言うな。それがお前を守る糧になる。」

彼の言葉は、無駄がなくて短ったけど、不思議な力がこもっていた。
この言葉は無条件に信じられる。きっと、それが彼らからの厚意な気がしてならなかった。
彼らのためではなく、自分のことを想って発してくれた言葉に感じる。

「はい。必ず。あ、あのっ…ありがとうござい…ました。」

次々と自分に背を向けて駆け去っていく幼い少年たちと、恐らく一人だけ年齢も上であろうレオと呼ばれていた背の高い青年。そして―

「あんたは、もう大丈夫。」

美しい、カシラと呼ばれていた不思議な少女。
少女というより、神様や妖精かなにかの類の異質な空気を纏う戦士。この先彼らに会うことはもう無いんだろうか。

「元気で。」

彼女がそう言って素早く踵を返したとたん、無音の静けさが一気に戻ってきて我に返る。

「あ…っ!あの…っ!ちょっ、待って…!」

彼らが一瞬で駆け去った道を走って追いかけた。もう何の音も聞こえない。完全に消えていた。こんな瞬間的に人って駆けられるものなのか…?
しかも…

「こんなに…いたのか…!」

出口までの道中に、絶命している屈強な体格の男たちが大量に転がっているのを視界の脇に捉えながら、ひたすら全力で駆けた。少しでも可能性があるなら、もう一度、彼らの姿を目に焼き付けたかったのだ。

待ってくれ!君たちはいったい…!

半開きの扉を思い切り突っぱねて開けて出ると、施設の外は切り崩した山の中腹で、視界の先は大きな深い森がどこまでも広がっていた。扉の外にも、動くことのないガラの悪そうな男たちが転がっている。

雪混じりの凍てつく空気を一気に吸い込んでしまい、寒さをようやく実感した。
一番近くに転がっていた男の上着を剝ぎ取って羽織りながら、疾走したせいでドクンドクンと高鳴る心臓を少しでも落ち着けられるように、その場に腰を下ろす。必死に記憶を整理した。

彼らは、カシラと呼ばれていた少女を含め、5人しかいなかった。それも殆どが自分の年齢の半分にも満たない少年少女だ。レオと呼ばれていた青年だけが大人に近い姿だったように思う。記憶も曖昧だし、ちゃんと見てもいなかったけど、彼らはそこまで重装備でもなかった。

道中で見た、とんでもない人数の男たちを、彼らだけで倒したというのか…?

銃声も聞こえなかったし、物音もそこまでしなかった気がする。でも、思えば記憶の中の少女の髪や顔と上着には、確かにたくさんの血が付着していた。あれは彼女のものではなく、全て返り血だったというのか…?

ひとり銃を構えていた男も、黒っぽく見えていた上着は、血だったということを今になって理解する。どのみち、自分はあの銃から逃れたとしても、待ち構えていた屈強な男たちに予定通り消されていただろう。

どうやって移動したのか、あまりに見事に姿を消してしまった彼らの姿も明日には忘れてしまうかもしれない。このまま忘れてしまいたくない強い恩義を感じながら、彼らの為に自分は口をつぐまなければいけないとも思っている。

森の先から朝日が昇っていく。その静かな輝きを目を焼くくらい強い光に感じた。この眩しさに、この真の自由に、自分は今、猛烈に、吐きそうなくらい感謝が込み上げてくる。

近くにはいないはずなのに、こぼれる涙や鼻水を流しながら、額を地面に擦り付けて突っ伏して叫んだ。叫ばずには、いられなかった。

「ありがとうございます…!ありがとう!助けて…っくれて…!うぐっ…ありがとう…!」


冷や汗が、人生ではじめて背中を伝うのが分かる。
でも、でも、これだけは奪われたくなかった。祖父の前から受け継いできた指輪だ。

「おい…さっさと出せよ。全部って言っただろうが。聞こえねぇのか?」

「すっ、すみません!こっちに、まだっ!出してないものっ!あ、ありました!すっ、すぐ出しますね…っ!ほら、!お前も早く…!」

ほかの商人達は自分達が全てを出したと分かる様に、手袋や防寒用の帽子まで脱いだみせ、服のポケットを裏返しにして隠してはいないアピールをしている。

こんな事になるなら、やはり最初から自分が主張したように、朝を待ってから出発すべきだった。
予定がずれ込んでいるからと言って、無理して時間短縮の為だけに、この悪名高い谷を進むなんて。それも、これほど治安の悪さで有名な谷道を「夜間に」通ることは、自分たちはここです、って敢えて教えているようなものなのに。
あまりに必死に大勢に説得されて、理解できなくもない…と多勢に無勢で今回は譲ってしまったのが俺の運の尽きだった。

でも、こんなのおかしい。
これは商品と同時に俺たちの財産でもある。特に、俺は鉱物中心の仕入れ屋だった。仕入れは信頼が物を言う。

すべて奪われたら、俺たちは明日からどうやって生きればいい?

「おい、お前!」

心臓がうるさい。
自分じゃないと言い聞かせて俯いても、周りを取り囲むガラの悪い輩たちの一人が俺ひとりをしっかりと指さしていた。ほかの商人達も揃って怯えた顔を一斉に俺に向ける。

「いま、何か口に隠しただろう!」

目ざとい奴だ。地獄に落ちろ!
顔色を変えずに、何とか飲みこもうとしたとき、リーダー格の男が自分のほうへ足早に近づいてきて、小型刃を抜いて喉元に突き付けてきた。

「飲んだら、体裂くぞ。」

というか、少し勢い余って先端が少し食い込み、刺さったんだけど!
ちくっとした痛みを感じたので咄嗟に顎を上げて後ずさり、距離を取って刃先から逃れたものの、すぐ取り巻きの男たちに取り押さえられてしまう。

これだけ頑丈に取り押さえられたら、戦意も、希望も残らない。

「お前さぁ…勘違いしてんじゃねぇよ。」

バキッ…ッ!!

凄まじい衝撃で視界が真っ暗になったあと、キーンとした謎の金属音と真っ白な光で視界がいっぱいになる。驚いて瞬きしても、きらきらと星みたいな粒が広がって前がよく見えない。口の中は舌を噛んだか、じわじわと鉄の味がしてくる。

思い切りリーダー格の男に自分は殴られたのだと分かった時には、強制的に吐き出された俺の最後の財産である指輪を、男が興味もなさそうに眺めたあと、近くにいた他の輩に放り投げていた。

「そ…それは…っ!!かっ返せ…っ!」
「おいおい…てめぇ…それが…」

鼻で軽く笑ったあと、男が飛びかかってくる。

「勘違いだ、って言ってんだよッ!!」

また重い衝撃を顔と上半身に立て続けに食らったあと、背後から別の男に蹴り飛ばされて前に倒されると、いろんな男たちから思い思いに蹴られて、何が起きているのか分からなくなった。
ただ、自分は、モノ以下の扱いを受けていて、こんな得体の知れない奴らに酷く、深く、一方的に見下され、傷つけられている。なんの抵抗も認めてはもらえない。

どこが痛むのかも分からない感覚。這うこともできず、地面にうつ伏せたまま、奴らが暴力を止めるまで待つのに必死だった。大勢に暴力を振るわれている間、ほかの商人が逃げ出す悲鳴や音だけは聞こえる。それに混じる幾つかの笑い声も。

地面に何度も顔をぶつけられているので鼻の骨が折れたのか血が止まらない。俺は、呼吸するのに必死だった。死にたくない。死んでたまるか!

「はぁっ、はぁっ…!てめぇらの命なんてなッ、俺の、気分、次第なんだよッ!」

来る…!!また、蹴られる…!!

すでに自分がどんな状態になってるのかは分からないが、顔を上げて蹴られたくないので必死に歯を食いしばって来たる衝撃に備え、体を思い切り縮めて強張らせた。


し……ん…


(ん…?あれ…痛くない…時間差攻撃…とか…?)

一瞬、無音だった。無音に感じた。

「ぎゃああああ…っ!!」
「だっ誰だ…ッ!くそッ!この…っあああ!」
「ひぃっっ!!!」

ぽたぽた、と自分のうなじに何か生温い液体が垂れるのを感じたあとで野太い絶叫が響く。連鎖的に、次々と男たちの絶叫と銃声や刃のぶつかる音が聞こえてきた。

(え…なんだ…なに…が起きてる…?)

ずしゃっと、勢いよく自分の伏せている地面の近くに何者かが踏み込んだ音が急にくっきりと聞こえる。

「キリル!この男、手当てして!こっちはミカとあたしで行く!」
「了解。」
「おっしゃあっ!派手にやれるぜっ!」

(えっ…こども…?てか…おんなのこ…?!)

「ばかッ!遊びじゃないっ!これは…」
「だぁーー!っるせぇな!分かって…っるよッ!!遅れんなよ、カシラッ!」

とても刻みの細かい金属音と悲鳴、逃げ惑う男たちの声や音、それに風を切るような音が数回したかと思うと骨と骨がぶつかるような生々しい音、絶叫…

「俺の声、聞こえるか?」

上体を誰かに抱き起こされ、ようやく落ち着いて深く呼吸をすることができた。目を開けようとしたけれど、片目がうまく開かない。
頷いたつもりだったが、殆ど思うようには動かせなかった。情けない。

「分かった。意識が飛びそうになったら、どこでもいいから体を動かして。」

声の主は、気にすることもなく黙々と、そして全く躊躇なく俺の口に手を突っ込み、何かを確認したり、俺の顔に水らしき液体をかけたり、鼻から流れる血を止血したり…と、とにかく手早く、速やかに立ち動いてくれた。
敵じゃないことは確かだ。

「いいよ。もう大丈夫だ。」

アルコールや、薬剤のにおいを感じている間に、彼の応急処置は完了した。近くの大きな岩影に引きずられているうちに、遠くであれだけ騒がしかった喧騒もいつの間にか収まっていることに気が付く。
あれだけの人数だった山賊達は、逃げおおせてしまったのだろうか?
それとも、この子供たちが警察を連れてきてくれたのか…?

あいにく、目をうまく開けることができなくて確認できない。
そして今になって頭も重い鈍痛で気分は悪いままだ。

「心配しなくていい。町への安全な道の最短ルートを書いておいた。次からは、これを辿れ。」

くしゃりと自分の手のひらに握らされた紙の感触。
君たちは、いったい誰なんだ…?
言葉に、ならない。

「あと、これ。」

反対の手のひらに握らされた固くて丸い形の…

「俺の…指…輪…」
「大切なんだろ。もう奪われないから安心しろ。」

本当に、安心していいのか。ほっとしたら熱いものが頬を伝うのを感じる。

「あり…が…と…う」
「正直に言うと、俺たちは存在を知られたくないんだ。その…」
「わ…かった…よ…言わ…ない、あり、が…とう」

この少年(たぶん)がどれだけ自分に手を尽くしてくれたか、短い時間だったが、十分すぎるほど肌で感じていた。どんな犯罪者だろうと、俺は彼の期待に応えるつもりだ。

「ありがとう。俺たちがついてる。」

この言葉を置いて、彼の気配は消えた。

その場に残り、隠れていた商人仲間が言うには、少年たちは突然現れるなり、凄まじい速さと強さで山賊達に突っ込んでいき、すべてを一瞬で蹴散らしてしまったらしい。それも、一人残らず。

(人間じゃなかったのかもしれない…)

あの夜のことは、今も時々思い出す。
俺は声しか聞いていなかったけれど、忘れることなんてできなかった。
あの時、無残に、一方的に命を奪われていたら…と思うだけで、今のすべてが愛しく感謝できたからだ。

ボロボロの身体では商売どころではなく、家族にも会えない日が続いたが、彼らが守ってくれた商品(一部、山賊の過去の戦利品を含むが)のおかげで、全て元通りの生活を送れるようになった。

いづれにせよ、関わってはいけない物騒な子供達なのかもしれない。それでも、俺は、彼らにもう一度会って、御礼を伝えたかった。
彼らがどんな存在でも、俺は、必ず味方でいよう。朝を迎えるたび、そう決意する。

「ありがとう…本当に。」


「礼を言う。ほら、のこりの金だ。」

皺皺で汚れた紙の束を手早く部下に渡して確認させ、条件を満たしたことを確認できると、男は静かに頷いた。

「……たしかに。」

札束を渡した中年の男も、当たり前のように堂々と頷き、目的の為に必要な機器やIDを目の前の男から受け取る。多少のトラブルはあったが、当初の手順通りオルカラド王国に入国することはできた。

「で、首尾は?」
「実は、少し不可解なことが起きてる。」

想定していた回答とは違った為、中年の男は訝しげに男を見返した。

「どういうことだ。」
「我々の仲間が…ことごとく消されている。」
「…」
「先んじて我々の仲間の動きを封じる者達がいるんだ。派手に動き回る割に実態が全く掴めない。あの方も、気にされているらしい。血眼で探している。」

思っていたよりも深刻な事態に、中年の男も眉間に深い皺を寄せた。
そして、目の前の実践の戦闘には到底不向きな、痩せこけた中継役の男の言葉に反応する。

「待て。封じる者たち、とは…オルカラド軍の特殊部隊じゃないのか?」

大袈裟にも思えるほど、残念そうに中継役の男は首を振る。

「いや。そこの動きなら監視できる。だから、手を焼いてるんだ。この勢いで潰されたら、我々の苦労が…」
「なら、その苦労を省いてやるよ。」

突然、背後から声がして男たちが振り返ると、見たこともない揃い衣を身に纏った集団が4人並んで立っている。全員同じ紋様の入ったフード付きのマントのようなものを纏い、同じく揃いの布で顔の半分を覆っているので顔までは分からない。しかし、やけに軽装だった。

声からして子供だったので、男たちは顔を見合わせ、吹き出した。

男たちが連れている図体の大きい男たちも同様に、拍子抜けしてニヤけながら思い思いの武器を手にする。こんな自警団気取りの子供たち相手に銃はもったいない。

拷問道具や、鉄棒、刃物、鈍器―それらを見ても、目の色を変えず、彼らは身動きひとつしない。そのことに気が付いた者は一人もいなかった。

「こんな夜中に大人をからかうな。まぁ面白かったから、特別に許してやろう、なぁ?さっさと出ていけ。」

入国したばかりの男が半笑いで、ほかの物騒な男たちに声を掛けると、どっと笑いが起きた。体格も、武器も、人数も勝り、男たちは野次まで飛ばして興奮している。

「ぎゃははっ!おい、なら有り金置いていけよ、ガキ!」

「おいおい、誰か相手してやったほうがいいんじゃねぇか?お子ちゃまに悪いぜ?」

「はははっ待てよ、本気か?俺はガキはごめんだ。」

「おい!それかよ、こいつらも金になるんじゃね?」

「おっいいねぇ~!」

好き勝手に盛り上がる男たちの言動に全く微動だにせず、何も喋らない謎の子供たちに、痩せ型の中継役の男が違和感に気が付く。
この人数と武器に全く驚かない子供達は、そもそも、どうやって、この厳重な警備体制の中をかい潜れた…?

変装は体格的に無理がある。それにこの人数に、この格好を通すほど警備は甘くない。出入りに関しては、腕と能力の高い者だけを雇っていたが、なんの報告も上がっていなかった。考えれば考えるほど、嫌な予感で脂汗が出てくる。
鍵は、どの扉も、中からしか開けられず、外からの侵入は不可能な筈だった。

「意外と、脇が甘いな。クジマ。」
「…っ!!?」

突然、自分の名を呼ばれたので見上げると、知らない男。
しかし、どこか見たことがあるような気がしなくもない顔だ。「誰だ」と言う前に先に首に何かを刺され、その衝撃ですべて消えた。

ひとり、男がこと絶えたとも気づかず、騒ぐ男たちのボルテージは、得体の知れない子供をどうやって金に換えるかで下世話に盛り上がっている。
騒ぐ男たちが近づこうとしたとき、4人のうち1人がすっと一歩前に出て、被っていたフードを捲り上げた。男たちの騒ぎ声が止む。

明らかに少年のような、性別不明の子どもは、その大きく美しい瞳で冷たく男たちを見渡すと、腰から中型の刃を抜いて上に掲げて見せた。

「“セルゲイに、報いを。”」

ルシアン語だった。
一瞬で静まり返る。静まり返ったのは、彼らの隠していた母国語を使われたからだけでなく、彼らですら、口に出すのも憚られるほどの人物の名前を平然と呼び捨てられたからだった。

そして、少年だと思われた人物は、少女だったことも、彼女が恐れるどころか、ぞっとするほど冷たく、執念を込めた瞳で最大限の侮辱をしたことも、男たちの深部を抉り、刺激した。

「“侵略者には、制裁を。”」


事態は、動いた。
いきり立った男たちは、おぞましい咆哮を上げながら一斉に彼らに向かっていった。

翌朝、近隣住民たちの通報によって警察が現場に到着すると、密入国者をはじめ、違法にオルカラド王国に滞在していた者たちが集団で絶命しているのを確認することになる。

集団で争い合った痕跡以外は、怪しいものもなく、生存者および目撃者もいない事件として処理された。


朝焼けに消えた謎の戦闘集団は、このあとも、あらゆる場所に出没した。
この自然に恵まれた小さな国―オルカラド王国内で揺らぐ深い闇に、何度も何度も、現れては多くの恐怖を嵐のように打ち砕いていく。

企みのある者は、ことごとく消され、助けを求める善人は漏れなく救われた。

救われた者たちは、口を閉ざす代わりに、いつしか彼らへの深い謝意と生きる喜びを唄にして、名もなき彼らの存在に名前を付けたという―



自分が良いものと信じる作品作りを心がけています。妥協はしません。夢に向けて多方面でグレードアップ中です。応援、宜しくお願いします。