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おみやげを配る、という生き方

4日間、旅をした。
荷物はでっかいスーツケースひとつに、手提げトートバッグ。
子どもと自分の着替えだけなら、小型キャリーで十分なのだけど
帰りのスーツケースはおみやげで満タンになってて
自分でも意外だった。

20代はバッグパッカー旅行に夢中で
ヨーロッパやアメリカを最小限の荷物で移動し
お土産なんてものは、せいぜい自分の家族くらいにしか買ったことがない。
(もしかしたら自分用のしか買わなかったかも)

北海道に移り住んで思ったことは
「みんな、知り合い程度の他人によくお土産配るな〜」
ということ。

保育園のお友だちからは毎年のようにディ◯ニーランドのクッキーをもらっていたし
近場の温泉に一泊するだけでも、律儀にお土産をくれるご近所さんや
職場の関係
習い事の関係
たまたまそこに居た、というだけの関係

とにかく、関係性の濃い薄いにあまり関係なく、大量にお土産をばらまく、そういう文化なんだな、と捉えていた。

わたしたちは、年一度か二度の帰省のたびにお土産を配ったりなんかしないし、よほどの親しい友人でなければ旅行にいったという話もしない。
それがデフォルトだから、空港や観光地のお土産物もたいていスルーしていた。お土産を買うより、自分たちが現地で楽しむ、そこでしか食べられないものを食べる、そういう生き方がシンプルで心地よいと思っていた。

『おみやげを大量に買ってばらまくことに、なんの意義があるの?』
『相手の好みも知らないで、お土産を配るってなんなん?』
そう心のどこかで批判していた自分もいたと思う。

ところが今回、旅先でどんどんお土産を買い足してしまう、そういう行動をよしとする自分の変化に気づいた。
歳をとったせいもあるのかな。

「あの人これ好きそう・・」
「こんなのが美味しかったよって話したい」
「この前くれたお菓子のお返し」

きれいにパッケージされたご当地銘菓を見ると、いろんな人の顔が浮かび、お財布の中身も確認せずにレジに持っていく。


そう、いつの間にか増えていた知人や友人、いわゆるお世話になっている人間関係が織り重ねられていくと、おのずと「お土産を配りたい」モードに変化するんだ・・

遠いところに足を運んで
わざわざ荷物として買い求めるお土産。
いまは商業色に染まってるけど
もともとは、花1本、貝殻1枚でも、見たことのないものをあの人にあげたい、そういう想いから始まってるんだと思う。

というわけで、わたしの旅先での楽しみ方
その1,そこでしか見れない景色を写真におさめる
その2,ご当地グルメを楽しむ

ここに新たに
その3,あげたい人の顔を思い浮かべながらお土産を選ぶ

というのが付け加わりました。
本当にもらって嬉しかったお土産、心に残るお土産、そういうシーンを反芻しながら、お土産の選択眼を磨いていきたいです。

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