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子どもの生きる力を伸ばす、哲学的思考

20年以上ぶりに、都の西北にて(母校ではない)
苫野 一徳先生の哲学講座。

子連れは私だけ、特に事前確認もしていなかったけど(お題的に勝手にオッケーかと!)快く入れていただく。200人の聴衆を震撼させるギャン泣きもなく、0歳GJ!

哲学に触れはじめたのは大学生の頃、でも何だかよくわからん、の域を脱せず。かなり読むようになったのは30過ぎてから。

冒頭からぶっ飛ばしてハイスピードの2時間!
いやかなり面白かった〜。

人間の思い悩むことは2000年以上変わらない

そのほとんどは考え抜かれ答えが出ている。
つまり、物事や問題の本質を捉え、解くための「考え方」のヒントがたくさん詰まっているのが哲学であると。

途中でメモ断念するほどの圧倒的な情報量!だったので若干違っているかもしれないが。。

子どもの生きる力を伸ばすには。

▷価値観や感受性の交換対話
▷環境が学びの場になる。

価値観や感受性の交換対話

音楽、美術、書物など何らかの作品で自分の価値観を確かめそれを交換し合う。
親と子が、お互い知り認め合う機会。
自己了解も他者了解も深まる。
本当に優れた作品は、良さの本質を言葉にできる。絶対正しい、はないが、かなりの深度で本質を共有できる。

環境が学びの場になる。

子どものケンカを大人はやめさせようとするが、相互承認の機会を奪っている。放っておけば「このままじゃダメだ」と本人が感じたり周囲が介入したりする。子ども同士でルールを作り出す。安心安全の場が与えられれば子どもは自分たちで相互承認できる。

どれだけ見て、待てるか。介入するならタイミングが大事。大人がすべきことは仲裁ではなく、場をどう作れるか。子どもたちが、自分は人に力を貸せるとか、助けてもらえるとか感じられる場。

そして、理性や言葉が発達するにも信頼と安心の場が大事。まずは自己承認。自分オッケー、悪くない、と思えること。他者からの信頼と承認が与えられ相互承認しあえること。

大人が青臭い根っこの話をする。
どうしてここにいるかとか、どんな人になりたいとか。表面の違いだけでいらつくのではなく、根っこが同じと感じられれば相互了解が深まる。

対大人と対子どもって、そんなに変わらない

まだ子どもだし、も、大人なんだから、もなくて、ひとりの人間同士として、どう対話し、関係性を育み、共に育ち合うかに尽きるなぁ。

※2018年12月に書いたブログ(まもなく閉鎖予定) より転載しています。

皆さんからのサポートは、子どもたちと新しい体験をしたり、新たな学びのために使わせていただきます。