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打席に立つこと
営業の仕事に入社してしばらくした頃、社内で活躍している先輩とわたしは何が違うのか?と考えた。
ほとんど売れない私と、バリバリ売ってる先輩では、当然ながら出している成果に大きすぎる差があった。
でも実は、人間として大きく差があるか?ということを考えたら、あまり差がないような気がしていた。わたしが極端にコミュニケーションが取れないとか、読み書きや計算が全く出来ないとか、スタンスがなってない(毎回アポイントに遅刻するとか?)とかでもない。
じゃあ何が違うのか?
「打席に立つ」経験の差
もちろん差分はいくつもあって、1つは売れてる人のプロセスをそっくり真似ることから始めたのだけど、加えて、周囲のタテヨコナナメあらゆる人を観察した。ある時、この言葉を聞いて、子供の頃のことを思い出し、そして、納得したのだ。
ビジネスの場では、とにかく打席に立つ経験をする
打席に立つ経験が少なければ、
チャンスは来ないし、何がチャンスか見極めもできない
最初はやりたいことより、やるべきことが多いけど
求められた結果は当たり前に出しながら
やりたいことができた時、手を挙げられて、
そして、チャレンジできるように。
それが、次の打席に立つことに繋がる。
これを話してくれた人は、いま、上場企業の取締役になっている。(取締役になるのがゴールと言ってるわけではない)
やたらと打席に立たされた小学生時代
1学年5クラスもある大きな学校だった。わたしは、力のあるおばちゃん先生に好かれるタイプだった(今は知らないが昔はそういう先生多かった)。贔屓されていた?というとそうだったかも、でも可愛がられるというより便利に重宝されてる?感じ、が自分の認識だった。
おばちゃん先生は、あらゆる場面にわたしを動員し
私は他の子にない多くの経験を積んだ、多分。
・発達がゆっくりでサポートが必要な子がいたら、いつも隣の席(複数いたのだけど、クラス替えしても6年間ずっとそうだった)
・クラスや学年で歌をうたう時のピアノ伴奏
・学校代表で市議会に出る
・市の広報誌に記事を書く
・約4000人の前でスピーチ(運動会とか)
おまけが、中学入学式での新入生代表挨拶だ。
こう書くと嫌なやつだけども、、自分で手を挙げたものは一つもない。
当時は、授業中にお漏らしして臭ったり、その着替えを手伝うなんて正直嫌だった。ピアノだってわたしより上手な子が(多分)何人もいたはずだ。
最初は、なんで私がやらされてる、感が強かった。でも高学年になる頃には、なんとなく、自他共に、あぁこれはわたしの役割だ、とか思うことは増えた。環境が人を作るのかもしれない、と思ったのはこの頃から。
実力と期待は必ずしも比例しない
「本当の実力なんてねえ、誰がわかるかって問題があるんですよ」
これは林修先生の言葉。本当そうだなと思う。
実力は目に見えないし、評価の難易度も高い。一方で、実績は目に見えやすくて、認知バイアスによって過少にも過大にも評価される。
打席に立ちまくった代償
あちこちで目立ってしまっていた私は、結果として、例えば児童会長をやりたかった男の子や、ピアノを弾きたかった女の子や、その親御さんに、たいそうな嫌がらせを受けた。
家庭科の作品展示を見て「これは絶対親が手伝った」と言われたり(たまたま母がそれを聞いていて、んなことあるか!と激怒りしていた)、公立中学の制服を作りに行ったら、名簿にバツを付けられていたり(この子は中学受験してるので来ませんよと他のお母さんから言われたと…受験はしていなかったのに)。
入学前の春休み、代表挨拶の打合せで初めて中学校に1人で行った時、口の悪い学年主任のおっさんは「へー、君が小学校の先生イチオシの○○さん。ふーん。普通じゃん」と言われ、妙にホッとしたのを思い出す。
でも、10クラスもあった中学校で、入学前に学年主任に顔と名前と、悪くない前評判?を知られている(=これも認知バイアス)、これはなかなか得難い経験で、ありがたいことだったなぁと今では思っている。
仕事で打席に立つべき理由
ビジネスの場では、いかに「本番」でバットを振れるかが重要だ。素振りしない、は論外として、ずっと素振りだけしたり、草試合だけ出ても、誰も注目していない。
目立つために仕事しろというのでは断じてない。でも、仮に実力がまだ足りなくても「やってくれそう」「任せてみよう」と期待をかけてもらわなければ、出場機会すら得られない、ということはたくさんある。
若手であっても、新人であっても、「できそうだ」と思ってもらえれば、周りは勝手に期待して、やりがいのある環境を提供してくれる(小学生の時の私と同じだ)。
そして、実は、身の丈以上のチャレンジが任される時は、ここで絶対ホームランを打てると確信されてるわけではなく、いい試合運びをしてくれるはず、そのための努力ができるだろうという期待をされているのだと思うし、結果を出すためのアドバイスもくれることが多い。
どうやって打席に立つか?(心構え)
ビジネスの場において、特に新人の場合は、”小学校のおばちゃん先生”が最初からいるわけじゃない。
いちばん重要なのは、自分にとって、実績として成果を上げやすい(得意分野)を見極めること。ここでは大きなことでなくていい。そして、小さくていいので、それを実行するフェーズに持っていくことが大事だ。
ここで結果を出せば、得意分野に近しいところで身の丈より高いチャレンジの場を提供してもらえる可能性が上がる(あいつはこれが得意だから任せてみよう、的な)
そこでまた結果を出していけば、ビジネスにおける環境は複利で高くチャレンジングなものになっていくはず。
出場機会を得ないまま、自分は出来るのに評価されないとか言っててもしょうがないのだ。お天道様は見てるって言ったって、日陰で座ってたら見えないわけで。
日向に出る努力、をしよう!
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