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儚い"卒"わりとそして始まり

この春、わたしは大学を卒業した。

こんな状況なので、大学の卒業式は開催されず。
「じゃあ!また!卒業式でね!!」
こう言って別れた同期が沢山いた。

卒業式が "当たり前に" あるときは、面倒くさい行事の一つでしかなかった。長い校長先生の挨拶、謎の起立礼、合唱。写真撮ったり泣いたり笑ったり。疲れるし。

こんなにも卒業式が恋しいと思うとは。卒業式がないと、区切りがついていない気がして、前に進む気持ちになれない。

幸い、大学で一番仲良くしていた友人たちとは、最後に家でピザパをして一緒に過ごすことができた。これがわたしの卒業式。ホントに仲が良くて、お互いを励まし合い高め合うことができた最高の友人たち。メンバーの半分が会社に就職し、半分が大学院に進学する。実家に帰る子、東京に出る子、さまざまだ。
「遊びに行くね!」「また絶対会おう!」
今までのようにはいかないかもしれないけれど、これからも付き合っていく大事な人たちだと感じた。大切な出会いだった。(実際、別れてからもうすでに電話した子もいる。)

何かから "卒" 業したら、それはもちろん何かが始まることを意味する。特別に何かがスタートしなくても、何かが "卒" (お)わるのだから、そのときの自分とは変わっていて、知らずのうちに何かが始まっているのだ。

いつもは卒業式なんていう面倒くさい(と思っていた)行事のおかげで始まりを意識することができていた。"卒" わりを意識したら、始まりを意識できるなんて面白い。

ピザパなんていうあまりにもチープで儚い "卒" わりだったけど。それでもわたし、わたしたちは進む。次の始まりに向かって。

#みんなの卒業式

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