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『プロミシング・ヤング・ウーマン』

誰が被害者になり、誰がどのように悔やみ悲しんで、怒りに囚われたか。
今作の主人公の行動の発端となる「事件」が示されたが、それはUSの人々に実際に起きた事件をいくつか思い出させることになっただろう。代表的なものがスチューベンビル強姦事件、それとブロック・ターナーによる事件であり、調べれば理解できるはずだ。
この実際の事件に共通するのは、US社会の“レイプ”に対する捉え方であり、それは「有望な若い男性」と「酩酊した女性」という構図からくる根強い不公正さだ。それらは今作で描かれた通り。いやUSに限ったことではないのだ。

主人公のキャシーが「狩り」をしているところから始まる今作だが、やはり当初は動機が曖昧で、キャリー・マリガンの演技含めて「どう判断していいのか難しい」ものになっている。もちろん狙いの内だろう。だから、サンダンスで上映された際には観客二人が怒鳴り合いになって、一人が退席したという逸話は肯ける気もする。
キャシーの狩りは、あえて酩酊した女性を演じて、そこにつけこもうとする男を返り討ちにするというもの。このくだりで注目されるのはキャシーが酔っていないとわかった瞬間の男たちの反応で、自分の行為が完全にアウトだと知っている。訴えられたらどうなるか、が頭の中に渦巻いてその後恐怖しながら暮らすのだ。危険な行為だが、そこに身を晒すことで自身への罰も課しているのだ。しかしそれは後にわかることで、途中まではわからない。よく出来た本だなと思う。

ライアンの登場をきっかけに復讐を加速させるが、憎んでいたものに自分もなっていくことの虚しさを知り、また憎むべき側にいたと思っていたライアンが“良い人間”だとわかってキャシーはかつての自分に戻っていく。しかしマディソンが恐怖と自責に耐えられずにキャシーの家を訪れる。そこで彼女(観客)はキャシーがどのような育ち方をしたのかを初めて知るのだが、応接間は格調高いトーンで統一されていて、キャシーの服装も良家の雰囲気をたたえているのを見て、自分が思い違いをしていたことを理解できただろう。この部屋の様子を観たときに自分は思わず泣いてしまった。
冒頭から観ていたキャシーはかつての自分と全くの別人となっていたのだし、それほどのショックを受けていたのだ。そして彼女は真相(さらに辛い事実)を知ってしまう。
ただし、ここまで少しずつ明かされる「事件」の情報によって、ライアンが「そこ」にいたことは予想できた。だからあのドラッグストアの演出などもやや複雑な気分で観ることになる。

ラストは衝撃的なもので、カタルシスは薄い。そうした曖昧さが今作の魅力なのだと思う。あの「事件」にはいろんな立場の人物が関わり、そして無かったことにされた。キャシーはそれら関係者に「思い出せ、そして罪を認めろ」と迫ることで復讐とした。肉体的な危害ではなく精神的なそれである。それこそが被害者の苦しみなのだと。
だからそうであるなら、あの手枷は緩く締められていたと思うべきなのかもしれない。あれがキャシー(とニーナ)の復讐だったのだ。

そして観賞後にひとつの考えが浮かんで、今作で扱われた事柄のことをさらに忌まわしく思うようになった。
それは「ニーナが誰よりも“優秀な女性”であったから狙われたのか」ということ。最悪すぎる。

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