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『ラストナイト・イン・ソーホー』 エドガー・ライトの新境地

実際のところ個人的にも苦手な描写があり、そこで避けてしまう人たちもいるかもしれない。しかしそれが惜しいと言える作品でもあると思う。
ジャンルをまたぐのがエドガー・ライト作品の特徴の一つで、ホラー要素の強い今作だが、ドラマやミステリー、美しい映像、選び抜かれた音楽、そして主演2人の魅力など、なかなか無い密度、強度のあるものになった。とは言え‥ではあるのだが笑。

ともあれ、冒頭の多幸感の中にも不穏さを漂わせ、映画的に言えば“シャイニング”や“シックスセンス”の物語なのかと想像させるが、観ていく内にそれだけではないことがわかっていく。ロマン・ポランスキー『反撥』、ニコラス・ローグ『赤い影』の影響のことは今作について語られることが多いが、そこに触れてこなかった自分にとっては、ヒッチコックやそのフォロワーであるブライアン・デ・パルマに関連する『裏窓』『めまい』『殺しのドレス』『ボディ・ダブル』のことが、そして『キャリー』の原作者であるスティーヴン・キングのことが思われる。
すでに『シャイニング』については触れたし、エロイーズが内向的で同級生から嫌がらせを受けるのは『キャリー』と同じ。終盤で大火が出てくるのもそう。キング本人も今作を高く評価しているそうだが、それは自分の著作がどうというより、関心のあるもの、好きな物語においてライトと共有される部分が多くあるからなのではないだろうか。

とにかく今作は物語の要素、ジャンル、撮影、音楽、美術といった多方面で情報量が非常に多いながらも、とても良く作り上げられているところがまず評価の対象になる。その上でかつての煌びやかなショービジネスの裏で何が繰り返されてきたのか、を掘り返しつつ、現代の問題に繋げているところも素晴らしいなと思う。シスターフッドという意味ではひねりの効いた描写になったが、連帯や理解を安易に扱わなかったことも含めて評価できるのではないか。
また、今作ではホラー描写として痛みを感じさせるものが多くあったが、それはサンディといった「これまでの彼女たち」、そしてエロイーズ のような現在で耐え忍んでいる者たちといった、彼らの心の痛みをそのまま表しているので、怖いというよりも辛く悲しいものだった。繰り返すが苦手なジャンルでもあるので、その意図は十分すぎるほどに響いたし、とてもせつない物語に思えるのだ。

そして何より主演2人が素晴らしく、アニャ・テイラー=ジョイがあれほど歌える人だったとは、という驚きもあった。『クイーンズ・ギャンビット』では作品だけでなくアニャという才能に感動したわけだが、彼女が今作同様に女性の権利を扱う物語に出演しているのは偶然ではないだろう。そして、あの力強い目をした彼女演じるサンディがソーホーに飲み込まれていくことで、余計に悲しさが感じられるのだ。今作の初期段階での試写を観たジョージ・ミラーが次作『Furiosa』のフュリオサ役に抜擢したのも肯ける。
トーマシン・マッケンジーにはかなり難しい役割が与えられたと思うが、観ている側にも彼女の喜びと怖れが十二分に伝わってきて、色んな顔を持った俳優だなと思う。『ジョジョ・ラビット』から注目していたが、今後もオリヴィア・ワイルドの監督作『Perfect』での主演が予定されているなど、活躍が期待される。

この2人が共演した作品として後年まで語られるはずのものになったし、前作のメジャー性を伴った『ベイビー・ドライバー』を経て、このようなA級のホラーを撮ったことはいくらかの驚きもあった。そしてエドガー・ライトの次作はSF作品らしく、なんとスティーヴン・キング原作の『The Running Man』ということだ。なるほどな、と思えるし期待したい。

ちなみに劇中に出てくるナイトクラブ「カフェ・ド・パリ」はCOVID-19の影響で昨年の12月に閉鎖されたという。本来ならその前の9月に今作は公開され、カフェ・ド・パリにもあらためて注目が向けられて賑わったことだろう。エンドクレジットではロックダウン中に撮影された無人のソーホーが映し出されたが、そういう意味でも“Last Night”になったのかと考えたりもした。

最後にあのラストのシークエンスについて。出来る限り明るく希望の持てるものにしたかったのだろうが、エロイーズのいる世界は鏡の「こちら」なのか「向こう」なのか、などと考えたりもする。ハッピーエンド、バッドエンド、どちらにも解釈できそうな印象を受けたなあ。

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