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『孤狼の血 LEVEL2』 犬から狼的なものへ

今作は原作にはないオリジナルのエピソードを用意したということで、ラストの日岡の処遇を考えると、次作もありそうである。つまり映画としての三部作にするための今作、という予測もできる。
そういうオリジナルの枠組みを活かしたような仕上がりで、上林の暴れっぷりはあたかも“怪獣”のようである。ヤクザ抗争だったり怪獣だったりと、かつて日本映画で隆盛を極めたジャンルを、白石和彌監督はここで思う存分やりたかったのだろうなと思える。また制御できない災厄という意味で、現状の世界の出来事も考えさせる。ただしあの上林を作り上げたのは他ならぬ人間であることも描かれている。(そういう意味ではヤクザと怪獣は似たような描かれ方をしてきたなと思うし、それらを利用しようとする存在もまたいるのだ。)
しかし、である。本当の「悪」は誰たちなのか、は今作のテーマの一つだろうし、現代の日本で語られるべきものが含まれていると感じた。

139分という尺が長く感じないほどに詰め込まれたアイデアの数々は、『仁義なき戦い』のテイストを流用しながら、今の日本映画でもここまで出来るのかと思える強度があった。むしろその「強度」にこだわった作品で前作とは別物と言っていいくらいだ。
今作は指摘がなされているように『広島死闘篇』への目配せがあり、あの最凶の大友勝利を超える残虐さで暴れ回るのが上林である。今作を先月末に観たが、まさか千葉真一がいない世界で観る事になるとは思ってもいなかった。残念なことだ。
凶悪な鈴木亮平ということで『TOKYO TRIBE』でのメラのことを思い出していたが、上林の残虐性は比べ物にならない。まさに「目」を逸らしたくなるものばかりだ。ただ日本刀を持ち出したのはやはり『TOKYO TRIBE』への目配せはあったのかもしれない。

あの上林を受け止める松坂桃李の日岡も素晴らしいのだけど、あえて特筆したいのはチンタを演じた村上虹郎のことである。
チンタは組織に潜入することで日岡から援助を受ける。つまるところ利用されているのだけど、お互い心の繋がりは感じていたし、チンタの中にも正義はあった、と思う。彼の出自のことを思えば居場所のない存在で、その中で半島への憧れもあった。日岡に利用されている自覚もあったはずで、それでも彼の中には悪に染まらないアイデンティティがあり、そのために最後に命を落としてしまう。彼が日岡に言った「上林のような奴は野放しにできない」は彼自身の考えであって、それは私を排除した「公」の心であり尊い存在なのだ。だから誰(何)が彼を死に追いやったかは色々と考えされられてしまう。
そして、こういうことを深く考えたくなるのは、村上虹郎の好演ゆえ。彼の演技は、ごく最近だと『るろうに剣心 最終章 The Beginning』や『今際の国のアリス』で観ていて、そのどちらもがやや常人離れした攻撃性を持つ役である。そういう流れだから、このチンタという人物をあのように血の通った存在にしたことへの良い意味での裏切りがあり、彼の好演が今作の出来に寄与しているのは間違いない。素晴らしかった。
『広島死闘篇』には梶芽衣子がいて、彼女の存在感が圧倒的だった。そういう意味では今作は彼女に代わる存在はなく、その分チンタが十分に存在感を示したと言ってもいいのかもしれない。

上林をあのように怪獣ライクにしてしまうことでリアリティは薄まる。そうしたモノに相対する日岡もまた同等の暴走でもって伍していくわけで、松坂桃李の熱演ぶりは凄かった。嵯峨の銃を奪って上林を仕留めるところではいくつかの意味でカタルシスがあったが、日岡が狼に近づいた瞬間でもあるだろう。前作での日岡は「犬」のように描かれていたが、今作で彼の変貌ぶりを描きつつ、それゆえの悲劇もあった。だからこの後の日岡を見たいものだし、それは『凶犬の眼』として制作されるのだろう。

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