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彼女らは走り続けるべきだったか?~"負け組"たちの馬生について~

 前回、ホッカイドウ競馬にて2020年に200戦200敗を記録して現在も走り続けている「ダンスセイバー」についての記事とツイートが多くの人に拡散されました。ハルウララと同じく、今も頑張るダンスセイバーの名前が少しでも知られるだけで嬉しく思います。


 さて、そんな中で、というよりもハルウララブームの時から、ダンスセイバーのような何度も出走しなければいけない「負け組」たちについてこんなコメントが多く寄せられます。


「ハルウララのように年間20以上も走らされる馬たちについて、連敗数記録などを美談のように語るべきではない」

「彼女らはこうまで走らなければいけないのなら、早く休ませてあげるべきだった」


 なぜハルウララやダンスセイバーのような地方馬たちが年間20以上も走り、走り続けなければいかないのかについては前の記事にまとめました。

 このような意見についてはもちろんそういった面もありますし、私もそう思う部分もあります。それは決して間違った意見とは思いません。実際、年間20走以上させるのは"勝つための競争"への参加の観点でいうとかなり難しいですし、肉体的にも大きな負荷をかけているだろうと思います。「競走馬」として見た時に、彼女らにとって「負け組」として見られるのは屈辱的だったのではないかというのも前回お話した通りです。

 なので手放しに、無条件に「負け組」としてのダンスセイバーやハルウララの境遇を称賛しているわけではないし、そういうだけのものではないということだけはご理解ください。

ここからはあくまで個人の意見ですが。

 しかし同時に、彼女らが走るのを辞めたとして、それで幸せ(馬にとっての真の幸せが何かは私にも当然皆さんにも知りようがないかもしれませんが)なのか、と言われると、それもまた疑問に思うのは確かです。


"走らなければいけない"現実

 それではハルウララやダンスセイバーのような彼女らが走らない選択肢があったかと言えば、それもまた難しかったのは前回述べたとおり。預託料のために出走し続ける。それが彼女らの走るしかない理由でした。

 勝つどころか走れなければ生き残ることができないのは中央も地方も同じ。しかし地方競馬では勝てなくても走り続けることで生き残るチャンスがある。もちろん走り続けなければいけませんが。

 では、なぜ地方競馬はそういったシステムになっているのか? それは、地方競馬の規模そのものにあります。

 前の記事でも書きましたが、地方と中央では賞金が段違い(レースにも寄りますが、地方はだいたい中央の1/10ほど)ですが、それもあって馬の預託料もまた段違い(上下しますが、中央は普通に1000万円ほど。地方(特に高知)はそれよりも安く、ハルウララは130~140万円だった)。

 そのため中央において個人で馬を走らせるにはそれなりの規定(主に金銭面)をクリアしなければならず、簡単に言えば中央で馬を走らせている馬主は年収3000万を超えて保有資産も7500万円くらいを優に超えるお金持ちの人たちが多いです。

 一方、地方競馬で定められている個人馬主の規定は「原則、直近年における所得が500万円以上であること」。これだけです。まあ私にとってはこれだけでも十分お金持ちですが。

 そのため中央は負ける馬を切っていってより強い馬のレースを行う傾向、地方(南関や名古屋などはまた違いますが)は多くの馬主さんを受け入れて沢山の馬が走れる環境を作る傾向にあります。

 そのため地方は沢山の馬主さんや馬にチャンスがありますが、同時に、引退や競争停止になった後の馬へのケアが中央に比べて難しい傾向にあります。中央に比べると地方は個人馬主さんも多いですから、自前で乗馬などに馬を送れる環境にいる人も多くないかもしれません。

 そのために簡単に引退させる選択肢を取っても馬のためになるかどうかも分からないため、走れるだけ走らせてあげている……というのもまた現実でしょう。

 アグネスタキオンがG1優勝したとはいえたった4走だけで引退できたのも、地方とは違う金銭的な背景や、それによる馬主さんの横との繋がりがあったからとも言えます。

 人間のエゴであると言われればそうかもしれませんが、それはG1で活躍するような馬にも同じように言えて、ひいては競馬そのものの存在に関わってくるお話なので、深くは語りませんし語れません。競馬で生まれ救われた命が沢山あるのもまた事実ですから。

 もちろん現実はそうではないとはいえ、どんな馬が引退しても安心できる余生を過ごせるのが一番ですがね。

 ただ一つ言えるのは、ハルウララにしろダンスセイバーにしろ、調教師や厩務員の方々が体調を見ながら走らせているでしょうし、私もそこの専門家ではないしダンスセイバーに直接触れたわけでもないので、実際に走ることがその馬にとってどうなのかはわかりません。彼女を走らせられるか否かを一番知っているのは恐らくそこに関わる人々。馬に関わるのは馬主さんだけではないですから、そんな沢山の人々に私自身はどうこう口出しできるものではないと思っています。


"クソ馬"たちの根性

 こういった「走らなければいけない」馬たちの話をするたびに思い出すのが、かつて大ヒットした不良たちによる青春野球ドラマ(元は漫画)の「Rookies」のお話です。

 主人公の野球部顧問である川藤は、自身のかつての行いのために謹慎処分となってしまい、肝心の甲子園予選の最終戦でチームの皆と戦えないどころか、チームの試合をつぶしてしまうかもしれない状況に陥り、悔しい思いを抱えます。そこに川藤を野球部たちを見てきた記者の吉田がこんな話をします。

「なあ、先生。知ってるか?この馬。『タンブリンダイス』」

「いいか?単勝で、これだ。164.0倍。デビューから今まで、ビリ争いしかしたことがない。誰にも相手にされない"クソ馬"だ」

「明日のレースは、こいつにとっての最期のレースなんだ」

「ほら、勝ってナンボの世界だからな。
テメエのエサ代も稼げないような馬には用はねえんだよ。

引退した馬が、全部が全部、牧場とか乗馬クラブに行けるわけじゃねんだ。
 きっとこのクソ馬もわかってんじゃねーのかな。
 でもこいつは、諦めずに最後まで走るだろうけどな」

「俺はな、この絶望的なクソ馬の、土壇場の底力ってやつに
 賭けてみようと思ってるんだ」

「大穴で」

 その後吉田記者は、川藤が真剣に向き合ってくれたから、野球部は這い上がってこれたんたんじゃないかと語ります。その後、吉田記者が言う"クソ馬"の野球部たち、そしてタンブリンダイスは奮闘を始めます。


 この野球ドラマの1シーンが、競馬についてのあらゆる状況を表しているように感じました。

 ハルウララもダンスセイバーも「テメエのメシ代」を稼げているからこそ走り続けることができ、生き残ることができていました。地方競馬においてはそれが全てであり、彼女たちが走らなければいけない理由です。

ではそんな中でもなぜ彼女たちは走れるのか。

 それは、特にハルウララは、沢山の人が見てくれて、応援してくれたからこそなのではないかと思います。調教師や厩務員の方々、沢山のファンの人々。そして、ウマ娘などによって今再び話題にする沢山のファンたち。

 ダンスセイバーだって、きっとホッカイドウ競馬で馬券を買ってくれて、応援してくれる人々がいるからこそ走り続けることができるのだと思います。まあそもそもそうしなければ競馬場が立ち行かなくなるので当然と言えば当然なのですが。

 ハルウララもあれだけの人気になり、ブームになったからこそ安心できる余生を過ごせた……と言えるのかは正直分りませんが、何はともあれ現在も沢山の人々の支援の中で余生を送れているのは確かだと思います。

 負け続け、負けることさえ願われた、競走馬にとっては"クソ馬"と呼ばれるほどの屈辱。それでも諦めず怪我無く走り続けたのがハルウララでした。

 ダンスセイバーも、名を知られぬまま引退すれば余生を過ごせるのかどうかも不明です。馬主さんの事情などにもよりますのでどうなるのかわかりませんが、ハルウララのように人間のトラブルによって行方不明……なんていうことにはなってほしくないと思います。


"彼女たち"を、私たちはどう応援すればいいか?

 ハルウララやダンスセイバーについて思うところがある人は沢山いると思います。純粋に記録達成をめでたく思う人、次は勝てるようにと応援する人、年間20を超える走りを可哀そうだと思う人、走るのを辞めさせるべきと思う人、様々だと思います。

 月並みですけど、最初にお話した通り、そのいずれの意見も決して間違いではないと思います。負けながらも走り続けるというのは過酷で特殊な状況。そんな中で様々な意見が行きかうのは当然です。

 そんな中で私たちができるダンスセイバーにできる一番のことは何か。

 個人の意見ですが、それは、彼女たちを知ることだと私は思います。

 お金で競馬が動いている以上、というかそもそも馬がどう思っているのかわからない以上、我々ファンが馬をどうこうしろと言って無理やり引退させたことで、本当に馬のためになるのかどうかは分からないんですから。ただ「走らされて可哀そう」だけじゃない、ただ「沢山走ったから素晴らしい」だけじゃない。なぜ彼女らが走り続けるのかを知り、それによってどんなことが起きたかを知る。そうじゃないにしろ、せめて名前だけでも。我々ができるのはそういったことではないですかね。

 競馬雑誌の一ページに、大量の名を知らぬ馬たちの抹消記録がずらりと並んで衝撃を受けたのは、前の記事でも話しました。人の記憶に残らず一文だけで、恐らく未来にはその名を知る人はいなくなる。それはとても悲しいことのように思えます。ですがもちろん全ての馬にそうすることは不可能。

 それならせめて、これは人間のエゴかもしれませんが、それでも沢山の人たちがホッカイドウ競馬を目にし、その中で200走を越えても諦めずに走る"ダンスセイバー"という名前に頭の片隅に少しでも反応し、気に掛けることができたのなら、200戦200敗という壮絶かつ過酷な走りをした彼女も少しは報われるのではないでしょうか。

 もしこれから一勝したり、無事に引退できたとき、その名前に一言の賛辞や感謝を述べることができる人が増えたのなら、それは少なくとも悲しい事ではないのではないかと思います。もしかしたらハルウララのように、ダンスセイバーで勇気を貰える人もいるかもしれませんし。

 また、例えその過酷なレースや境遇が間違っていると思っているのなら、彼女たちの走りを知っていてその軌跡を未来にも伝えていくことができれば、その先で馬たちの過酷な状況を好転させることだってできるかもしれません。今はハルウララの時と時代も違いますから、そういった見解が反映されるときももしかしたら来るかもしれませんから。

 「人が本当に死ぬのは忘れ去られた時」とはある映画の台詞ですが、馬はどうなんでしょうね。

 でも少しでも沢山の人たちの頭の片隅にでもその名前が残ることができれば、沢山の名の知れぬ馬たちが去っていく競馬界において、たとえレースで一着にはならなくても、ハルウララと同じで小さな「勝ち」になると言えるのではないかと、私はそう考えています。



 前回も含めて、なんか綺麗な終わり方みたいになっちゃいましたが、競馬の世界は色々と闇深いと言いますか、理不尽なこともあるので一概にすべてがあちらが正しいみたいな話もないのは確かです。最初にもお伝えしましたが、完全な美談にはならないと言えばもちろんそうですし、それは間違いではないというのだけは強く言っておきます。

 なんかどっちやねん、言い訳に聞こえるぞと思われるかもしれませんが、まあそれでもかまいません。ただ本当にそれほど複雑で答えが出ないお話だということだけは書いておこうと思います。

 ただ、それでも北海道に住む一競馬ファンとしてダンスセイバーの名前を知ってほしかった。それが今回ダンスセイバーについて書いた理由です。

 だけど、そうして引退しても無事に余生を過ごせない馬も沢山いるのが現実。ただ寄付しなければ救えないなどそんなことはありません。そんな馬がいるということだけでも知っていただければ、きっと救われる馬もいるんだろうと思います。

 そんな中でもし「引退馬への支援をしたい」という方がいらっしゃれば、是非引退馬へのご寄付をお願いします(ちなみに回し者ではありません)。

 あと、少しでもダンスセイバーもあとどれくらい走り続けるか分かりませんが、今年はしばらく走り続けるだろうと思います。ホッカイドウ競馬でダンスセイバーが無事に走れるように、一緒に祈りましょう!

 ちなみにホッカイドウ競馬が行われる「門別競馬場」は馬主さんや調教師さんも一緒になって観戦していて、地方競馬の中でも比較的和やかな雰囲気が漂う競馬場なので、コロナ後の現地競馬観戦にはおすすめの場所です!

競馬を見るときはマナーを守って楽しく見ましょう!



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