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溺れて、生きて、彷徨って

記憶

息ができない。

腰に付けた網が海底の岩に絡まり、視界は暗闇に覆われ、口の中には不快な塩辛さが広がっている。
身動きを取れば取るほど、網の絡まりは複雑になっていく。

息ができないのに死んではいない。
息がしたい。
楽になりたい。

その感覚が、今もはっきりと私の記憶の中にある。海に溺れたことなど、私は一度もないというのに。

その記憶は、私の生きるという感覚そのものだった。不死の者が海底に囚われ、生き続けているような、終わりの見えない宇宙の果てを彷徨っているような。そんな感覚が、常に私の頭にこびりついているのだ。

小学校に上がった頃、母から、母方の祖父の話を聞いた。話というのは、彼の写真が仏壇に飾ってある理由だ。母が6歳の時、家族で海に出かけたらしい。母の父は牡蠣を取りに、網を腰に付けて海に潜った。そしてその網が海底の岩に絡まり、彼は溺死したという。

私はそれを聞きながら、あたかも自分の身に起こったかのように想像したのだろう。そして、その想像が、時間の経過とともに、自分の経験だと錯覚し、私の感覚と融合し、私の中に生き続けているのだ。

記憶というのは、信用できない。

時間が解決してくれる、とよく耳にする。確かに、時間に助けられたことは、数えきれないほどある。時間は、ときに感情や思考の鮮明さを奪い、無意識のうちに変化していく。だから私たちは、長く生きていられるのかもしれないけれど。

しかし、記憶は自分の都合のいいように塗り替えられている気がしてならない。「今」感じている感情、「今」巡っている思考、「今」の私の全てが、これを書いている間にも過去となり、記憶となる。一度きりの自分の「今」が、外に飛び出すことなく、私の中だけで消化され、形を変えていく。それがなんだかとても不快で、気持ちが悪い。

そこで私は、「今」を通して見た、私の子供時代から現在までを、言葉に遺すことにした。もう訪れることのない「今」が、さらに鮮明さを失う前に、死んでしまう前に。



小学校低学年の頃、誰もが通るであろう「死」の恐怖を、私も感じていた。授業中も、寝る前も、暇さえあれば「死」について考えていた。

死とは何だろう。
死んだらどうなるんだろう。

浮かび上がるのは漠然とした疑問ばかりで、当たり前だが、答えは出なかった。「死」への恐怖に、段々と答えがないという事実への恐怖が加わり、私は他者に答えを求めた。母の答えはこうであった。

「あなたが死んでも、あなたの魂は永遠に残り続ける。別の人に生まれ変わって、また家族みんなと会えるから、死ぬことは怖いことじゃない。」

私はこの言葉を信じた。「死」はそういうものなのだと最初は疑わなかった。それは、宿題の答えを見ることの楽さを知り、その答えを決して疑わない幼さゆえのことだった。

しかし母の答えを聞いてからも、「死」への恐怖は消えなかった。自分で考えても考えても出なかった答えを、いとも簡単に導いた母は、私よりも長く生きている大人だからなのか、それとも私を慰めるための嘘をついたのか。私は半信半疑になり始めた。

とにかく恐怖から逃げたかった私は、母の答えが正解であると自分に言い聞かせるようにした。「死」が私の頭をよぎるたびに、死んでも魂は残り続ける、また生まれ変わるから大丈夫、と呪文のように唱えていた。しかし恐怖は消えなかった。

小学校四年生になり、七歳から所属していたバレーボールチームで、レギュラーを獲得した。練習も一段と厳しくなり、監督に怒られることが増えていった。その監督が、よく言っていた言葉がある。

「人間いつ死ぬかわからないんだから、常に全力を出せ。人生はいつ終わるかわからない。後悔しないように、今、全力を出せ。」

彼はその言葉を、大方説教文句として使っていたようだったが、その言葉は私の中にスッと入り込み、「死」への恐怖を軽減させた。

確かによく考えてみれば、明日が来る確証なんてどこにもないのだ。今日の帰り道に、交通事故に遭って死ぬ確率がゼロだとは、誰も言い切れない。

「死」は、想像以上に、人間の「生」と隣り合わせなのだ。

「死」への恐怖は、そこから徐々に消えていった。「死」から逃れることは絶対に不可能であり、それがいつであるかも分からない。そこから思考の矛先が、「今」に向かったのだ。

今を生きる。

いつ死ぬかわからないのなら、「今」したいことは何なのか。後悔しないために、確実に自分が持っている「今」を、どう使うのか。

「死」について考えることをやめたのではない。「死」を身近に感じ、それを意識することで、「生」を強く意識するようになったのだ。

孤独

とにかく、感受性が高い。私は、他人の感情の変化や嘘に酷く敏感だった。気づくと無意識レベルで自分の言動が他人軸になっていた。

小学校6年生の時、それが強みになることを知った。リーダー的な役割は、自分の中でも得意だという自覚があった。効率の良い手段を見極めつつ、一人ひとりの感情に目を向けて周りからの信頼を集め、全員が納得できる結論を導き出す。その方法で、私は小中高と部活動のキャプテンを務めた。

しかし、感受性が高いことは、良いことばかりではなかった。私が一番苦しんだのは、孤独感だ。

孤独と聞くと、独りでいるところを想像するかもしれない。私の場合、最も孤独を感じたのは、誰かと一緒にいる時だった。誰かに嫌がらせを受けたり、いじめを受けたりしたわけではない。むしろ、誰とでも仲が良いよね、と言われるような子供だった。しかし自分が優しい人だと褒められれば、酷く罪悪感を感じた。その優しさが、自分の本心から生まれたものではなかったからだ。

私は常に、無意識のうちに、他人一人ひとりに合った「自分」を作ってしまう。そういう生き方をしていると、たまに目の前の光景が映像のように見えてくる。それはまるで、他人の人生の夢を見ているようだった。

いつからそういう生き方をし始めたのかは思い出せない。自分の本心が他人とズレていることに気づいた時か、自分があまり他人に興味が持てないことに気づいた時か。他人の気持ちを汲み取ってしまうからこそ、ありのままでは生きていけないと信じ込んでしまったのだろうか。

教室で友人と話していても、笑い合っていても、私はその場にいる気がしなかった。自分の意識が、肉体の自分を俯瞰しているような感覚だった。

そもそも私は、自分が一番理解できなかったのだ。複雑で矛盾ばかりの自分の精神が、他人の感情よりもずっと難しく感じていた。誰かと一緒にいると、それが強調されているような気がした。自分が理解できない自分を、目の前の人間が理解してくれるわけがない。そんな思い込みが、生まれてしまった。

私の孤独は、本心を誰にも打ち明けられない孤独であり、誰にも理解されないのだろうという思い込みによる孤独だったのだと思う。



「あなたが死んでも、あなたの魂は永遠に残り続ける。別の人に生まれ変わって、また家族みんなと会えるから、死ぬことは怖いことじゃない。」

母の「死」に対する答えは、形を変えて私を襲ってきた。長い間棲みついていたその言葉は、知らぬ間に、私にとっては疑いようのない事実となっていた。それが、私にさらなる恐怖を植え付けた。それは、「永遠」に対する恐怖だ。

成長していくにつれて、世の中の黒い部分を知っていくにつれて、生き辛さを感じていくにつれて、この世界から、私は死んでも逃れられないのだろうかと、そんな疑問がよぎった。

生きていればいつか必ず死ぬ。
しかし死んでも生から逃げることはできない。

その考えが頭に浮かんだ時、絶望を突きつけられたような気がした。それからは、その絶望がちらつくだけで、私は怯え、息苦しさを覚えた。

中学生にもなって、母に泣きつくのは気が引けた。恋バナや愚痴話で盛り上がっていたクラスメイトに打ち明けるような話題でもなかった。

私は独り、その恐怖とひたすらに向き合った。そしてその恐怖と戦っているうちに、私はその絶望を鎮めるために、無理やり答えを作ることにした。

死んだら、何も無い。

死んだら無。
思考が停止し、自分の存在を認識することもできなくなる。
ただの無。

そうして私はやっと息ができるようになった。
大丈夫だ。
魂など存在しない。
私は生まれ変わらない。
そう思うだけで、私はとても安心できたのだ。

これは逃避型無神論というものに近い。今考えてみれば、母の言葉は、宗教的な死生観であり、彼女の無自覚の信仰によるものだった。日本における、宗教に対する軽視は、とても危ういと思う。当時私は、母の言葉を、変えようのない事実だと認識していた。子供は皆、大人の言うことを正しいと信じて疑わないのだ。宗教や信仰に関する教育の重要性を、今は身に沁みて感じている。母の言葉は、彼女の信じていることであり、絶対的なものではないと考えられるようになってから、私は幾分か心が楽になった。


意味

死んだら何も無い。

高校生から最近まで、その言葉を繰り返し自分に言い聞かせているうちに、自分の中で、ある疑問が湧いてきた。

死んだら何も無い。
人間は生まれては死ぬ。
私は、何のために生きているのだろう。

私は生きる意味を見失ってしまった。考えても考えても、その問いの先は空虚だった。

よく、「生きている意味を探すのが人生だ」という言葉を聞く。しかしそんな陳腐な答えでは納得できず、とにかく答えを探そうと必死になった。その答えを見つけないと、この先、生きていける気がしなかったからだ。

生きていることに、意味はない。

今、自分が持っている答えはこれだ。いつか変わるかもしれない。まだ20年も生きていない自分の、若さゆえの愚かな答えなのかもしれない。ただ、今自分が一番納得する答えは、これしかない。

私はこの答えを、ネガティブだとは思っていない。周りから意味がないと言われることに対して、自分で意味を作り出せるのが人間だ。意味というのは、人間が作り出すものだ。つまり、元々は物事自体は意味を持っていない、と私は考えている。

そう考えると、人間は自由だと思える。他人に無意味だと言われたことも、やりたかったらやればいい。無意味に思える自分の好きなことも、とことんやればいい。世間の言う「意味があること」ばかりに意識を囚われたくはない。どうせ全て無意味だと考えたら、自分の夢や願望に、もっと素直に向き合えるようになったのだ。

生きることに意味がないのなら、「今」をもっと、大事にできる。「今」やりたいことは何か、自分は「今」何がしたいのか。

今を生きる。

私は再び、この言葉に行き着いた。

この先、生きる意味が見つかるかもしれない。正直、そんな期待もしている。今は全く見えない。生きることに意味はないと、本気で思っている。幸せを感じる時は、ただただ、その温かさを噛み締め、悩みや不安に押しつぶされそうな時は、たかが意味のない人生だ、と割り切る。都合の良すぎる生き方ではあるが、案外気に入っていたりもする。

生き方に、正解はない。正と誤、善と悪、全て人間が作り出したものだ。そこに絶対的な定義はない。

本質を掴もうとすればするほど、何も掴めずにするすると抜け落ちて、空っぽな所に辿り着いてしまう。そういう曖昧な世界で、自分にとっての正しい生き方を見つけるのは難しい。

正解は見つけられない。おそらくこれからも。ただ、今の私が言えるのは、私にとってのベストな生き方は、今を生きることだ。


彷徨う

息ができない。

腰に付けた網が海底の岩に絡まり、視界は暗闇に覆われ、口の中には不快な塩辛さが広がっている。身動きを取れば取るほど、網の絡まりは複雑になっていく。

息ができないのに死んではいない。
息がしたい。
楽になりたい。

この感覚が私の生きているという感覚だ。心の根底に、この感覚が染み付いて離れない。絶望の中、ただふらふらと波に揺られている。ゴールもなければ意味もない、そんな不安定な海の中を彷徨い続けている。

しかし私は、この得体の知れない感覚を、自ら手放したいとは思わない。

私はこれからも、「今」という希望を糧に、絶望の中を彷徨い続けるのだろう。




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