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失恋手帖vol.3

失恋手帖vol.2 を読んで感銘を受けたので失恋手帖vol.3を勝手に作りました どうでしょうか

「たっちゃん」

小3のバレンタインデーで同じクラスで同じマンションで登下校を共にしていてそのまま放課後よく遊んでいたタツナリ君にチョコをあげた キモがられるかもしれない 他の子に貰った方が嬉しいかもしれないなどでギリギリまで悩んでいたせいで手作りではなく市販のものだけど自分の母親に「チョコをあげたいのでお金をください」と懇願するのは生まれて初めての気恥ずかしさで死ぬかと思った

タツナリ君は他の男子と違って髪がサラサラだし、ガサツさやデリカシーのなさが皆無で、洋服もクールで、足が速かったし、完璧だった。同じマンションというだけで一緒帰れたのは儲けもんだったし、バレンタインデーも帰り道にあげた ありがとうと言ってくれた お腹のあたりがムズムズした ホワイトデーは向こうからこっちのベクトルでアクションを起こしてくれると心待ちにしていた 告白だとか、両思いだとか、付き合うだとかを期待していたわけではない そもそもその類の目覚めはまだだった

当日タツナリ君がかわいい小袋を机の横にかけているのもしっかり確認した しかし登下校中も授業中も渡されることは叶わなかった はて……と不思議がっているとピンポーンの音 「そうじゃん!同じマンションはそうじゃなきゃね!」と勢いよくドアを開けるとタツナリ君の母だと名乗るものがいた 「チョコありがとうね〜!たっちゃんにもちゃんとお返し持たせたのにあの子恥ずかしがっちゃってねえ〜!なんかごめんね〜!はい、これお返し」と帰っていった

わたしはただただお腹をムズムズさせたかっただけなのに 「たっちゃん」と呼ぶその女に敵うはずないというのをまざまざと見せつけられて心底落ち込んであるのに わたしの母まで「500円のチョコで千円相当のクッキーと飴で儲けもんだね!」なんて言ってくる始末 大人はいつだって何にも分かってくれない


「ネオパル」

高校の理科の臨時教師が好きだった 理科の副教材、ネオパルノートから取った名前でその人のことを呼んでいた 当時同級生の恋人もいたし、この好きはよく分からないけど向井理の写真集を買った時の胸の高鳴りの類と同じものだった

かまってもらいたくて毎回補講にも追試にも出ていた ちゃんと赤点も取った 「ダメダメじゃ〜〜ん」と小突かれると「ああ、甲斐があった」と心底達成感を得ていた 友人たちは「ネオパルはヒョロヒョロしていてどこがいいのか分からない」「ネオパル、授業が分かりづらい」という評価で、ああ、わたしが生徒にならなきゃ!という使命感で好意を正当化し、ライバルがいないのをいいことに質問に通い詰めた セカオワが好きと聞いてライブ行くほど聞き尽くした

冬になると、ネオパルは教採に合格して今年度で退任してしまうということになった その日の部活は全然力が入らなかった

最後の期末試験は今までかまってくれたお返しのつもりで8割ぐらい取ってやろうと初めて化学の勉強をした 結果6割だったけど平均が低いのもあってかなり褒めてくれた わたしより高い点の人なんてたくさんいたけれどわたしを1番褒めているように感じた 授業が終わるとネオパルに「廊下来て」と呼ばれて、とことこついていくとまさかの「これあげる内緒ね」とわたしが好きそうな気持ち悪いゆるキャラみたいなくま?いぬ?のストラップをくれた 死ぬほど嬉しくて顔に出ていたと思うし、そんなこんなで好意はバレバレだけど、わたしの中では成就!ゴール!サイコー!だった さっそくエナメルバッグに括り付けて、興味のない友だちに自慢して回っていると「わたしもなんか貰った」という同じクラスの可愛い子が!しかもブレスレットを!ブレスレット?!アクセサリー?!男が女へ?という嫉妬となぞの裏切られた気持ちと先生の男性性を強く感じて嫌悪感が渦巻いてその日の部活はものすごく調子が良かった


「Aマッソの加納みたいにしてください」

ワタナベエンターテインメント所属の今年で芸歴9年目のAマッソという芸人がいるのですが、みなさんご存知でしょうか。 「大きい声出すなや!クライマックスか!」「癇癪で乗り切ろうとすな!毛沢東の嫁か!」や「思い出に三親等四親等、入ってけえへんやろ!思い出は他人と刻め!」などの独自のワードセンスと尖りで売っています。

初めて見た時から、加納(ツッコミ)も村上(ボケ)もショートヘアー(「ショートヘアーの女思想強い」というワードもあります)で、お笑いを創っていて、小可愛くて、女性性を売りにしない点だとか、なんだかわたしがなりたい理想像を見つけてしまった衝撃が走りました。共学だったのでこの例えは説得力に欠けるのですが女子校の憧れのバスケ部の先輩のような存在でした。先ほどなりたい理想像と言ったのですが、厳密に言えば、なり得る範囲での最上級といったところでしょうか。自分が似ているアイドルをアイコンにする方をよく見かけませんか。この前の水曜日のダウンタウンで柳原可奈子が出した説で「女性に好きなタレントに似ている人を聞いてみるとちょっと自分に似ている人を挙げる説」(ちなみに自身は「平子理沙」と答えるとのこと)に似た現象なんだと思います。なり得ると言っても実際に合致しているのは、ショートヘアー、ティーシャツ、デニム、というだけなのですが、そこは目を瞑ってくださいね。今まで、美容院に行ったら適当な首から上のモデルを指差していたのですが、ある時からタイトルのような懇願をするようになりました。長くなりましたがそれぐらい好きです。

わたしが似せている方加納は加納軍団を形成して多くの後輩芸人を抱えていて、AマッソはSNSをやっていないもんですから、わたしは欠かさず彼女たちのSNSであわよくば拝めないかチェックする日々を送っていたのですが、ある時、軍団で花見をした〜という旨のツイートと集合写真が上がっていて目を疑いました。スカートを履いていたのです。はい、ええっ?!と。なんでこんなにも衝撃的だったのかはわかりません。どちらかというとショックを受けている自分にショックでした。シツレン!!という音がしました。自分の女性性拗らせの答えとして勝手にAマッソの加納に投影して作り上げていたんでしょうね、さらに。だから裏切りのように感じてしまった、と……歪んだ愛ですね。自分がやられたくないことを他人に、しかも好きな応援すべき人にしてしまったんです……早々に失恋してしかるべき恋でしたね。これが抑止力の味か、口には合わん。 ってやつですね。


「親の背中で子泣き爺」

シンプルに失恋した。まあまあ長く付き合って、相手はわたしに飽きて、他の子とも付き合ってみたい、ということだった。どこにでもある、よくある話。だけどお腹に大きな風穴を開けられた気分で、スースーして、心はずっとさざ波を打ち続け少しのショックでたちまち荒れた。普段聴きもしないback numberを聴いた。普段気にも留めない歌詞が驚くほど入ってきた。電車に乗ると停車駅一つ一つに思い出があり(実際は隣駅と横浜駅ぐらいだが何にでも元彼を関連付けれる星状態)、その度に泣いた。東海道線の10号車のボックス席で泣く女として少し有名になった。スペイン語の授業でも泣いた。初めて人からハンカチを借りた。その人も初めて人にハンカチを貸したと言っていた。講師のコロンビア人に「シンケーン、ダイジ」と注意されてまた泣いた。振られて1週間ちょっとの刺激で何にでも泣いていたのが落ち着いて、もうJUJUやback numberを聴いても抉られなくなった頃、母親に報告しようとした。わたしは報告する時や、相談する時、すぐ泣いてしまう悪い癖があり、落ち着いてから話さないと親を心配させてしまう、と思い日にちを置いた。本を読んでいる母の背中に「最近、わたし暗いじゃん?ww」のテンションで話しかけた。もう泣きそうだった。普段、無関心で不干渉主義なのでいつもは振り向かないのに、この日に限って振り向いて「うん、何があったの?」と聞いてきたからもう「別れ」のところで爆発し、「た〜〜!!!」と言いながら母の背中にしがみ付いて泣いた。妖怪子泣き爺。泣き顔を見られたくなかったので背中にぴったりくっついて離れなかった。えんえんと泣き終わった後、なんだか気まずくって母をうかがったら、とっくに読書を再開していた。娘がしがみついているのに?!と、少し笑った。21歳の冬。

#失恋手帖 #失恋 #エッセイ #Aマッソ #コラム

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